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町寿司と酒肆にて天然のフグを追いかけてみる

フグという食べ物は浜田家にとっては縁遠いものだったように思える。家族でフグを食べに行こうみたいなセリフは聞いたことがなかった。そんなフグバージンだった僕が初めてフグを意識させられたのはTOTOの社長だった方に「浜田くん、北九州までフグの白子を食べに行こう」と誘われた時だったように思える。まだ20代の頃だ。僕は初めて北九州、小倉という街に向かった。そこですべての料理に白子が出るというフグの白子オンパレードみたいなコースを食べる機会を得た。

そこからフグ縁に恵まれたのか?大分にフグを食べに行ったり、大阪のフグ屋めぐりをしたり、京都の焼きフグを食べに行ったりと色々とした。「フグっていうのはこうやって食べるんだよ」と、てっさを箸でスライドインさせるようにして複数枚をガバっと食べる。あとはテッチリはポン酢の橙が要など、まぁフグ通は誰もが一家言を持っている人が多い。東京を代表するフグ屋に連れて行ってもらった際は、「身は淡白で味がないからね」と、フグ歴40年なその方はてっさをガバっと食べながらそう言った。大分で食べた時は禁止部位だけど肝しょうゆを作って食べないと、フグの身の味なんかあんまりないんだから、ポン酢とかだとダメなんだよとも。

毎年冬の時期になるとフグに出会う。僕のフグな人生はそんなある意味、「ふーん」的なルーティンに入っていったと思う。テッサならここ、焼きならここ、てっちりならここ。あと蕎麦をすする仲間と同様にフグを食べるならこの友達、とそのぐらいのルールだろうか?そんな規定されたルールにある意味満足しながら、淡々とフグ人生を送っていたところ電光石火の如くその男は現れた。天然フグの身欠きを持ってくるという。そして最高の白子もと。ちょうどWAGYUMAFIA DISTRICTという店がオープンして、秘密の鉄板部屋が出来たのでそこでフグ三昧をすることにした。彼のてっさを食べてから、そしてフグの白子を鉄板で豪快に焼く。それにはそのフグ男も「こんな風景みたことない」と眼を丸くした、そしてヒレ酒が進む。あれが男のフグとの最初の出会いだった。

その男が長く奉公した仲卸から独立するという。お祝いも兼ねて神田で一献交えることになった。ちょうど西のフグのドンと呼ばれる人もたまたまその店にやってきた。西のフグは東の商いの10倍という。我が家がそうだったように、フグを食べる食文化が圧倒的に浅いのが東だ。「ただね、天然の商いの数字は圧倒的に東なんだよね」と、彼は眼をキラキラさせて言う。捕れたばかりのフグを水槽で寝かせることなく、すぐに捌くのが肝心だ。出荷コントロールをするために水槽で泳がしていたらどんどん身が痩せていく。僕らはなんと9時間、フグの話しをした。その数時間後、いよいよ屋号「串田」の仲卸が豊洲でスタートする。そう開業前夜数時間前まで熱いフグの話しをしていた男は、いよいよデビューしたのだった。

僕らが作った町寿しSUSHIMAFIAと酒肆YATCHABARにて串田さんのフグが食べられる。僕らのてっさはポン酢も使わないし、そのまま食べてもらう。そう何もつけずにまず一枚。これがなんとも言えない独特の芳香を出していく、そして状態に合わせた身の締りを感じながら、丁寧に記憶へと消えていく。僕が今まで食べていたフグは別の魚だったんだろう、きっとそうなんだ。つくづく食は人の叡智の連鎖が育ててきたものなんだろうなぁっと思う。クッシー、これからもよろしく!


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