見出し画像

まず女性が楽しみだしたダイニングシーンを見ながら味わうイスラムの社会

サウジでの会食中に気づくことがある、外食する人の多くは女性だ。その点を現地の友人に聞くと、女性の方が早くこういう新しいことにはアダプトできるんだよね。男性は外食してはならないという制度がずっと合ったし、また外食すると当たり前だけど酒飲めないからね、と笑う。なるほどなぁっと思う。ご存知の通り、サウジアラビアは禁酒の国だ。どこの国でもダブルスタンダードなものがあるが、ここサウジも同じでみんな内緒で自宅には酒を持っている。ただし公共の場所では一切酒が飲めない。僕もサウジに来るときは束の間のフリーアルコールなデトックス時間を楽しむことにしているのだが、現地に住んでいる酒好きにとってみたらまぁ確かにそんな事情があるのだなぁっと面白く聞いたのだった。

昨日のコラムにも書いたが、4年間でこんなにも国が変貌するのかと思うぐらいの激変ぶりを味わっている。当時は写真を撮ろうとしただけで注意されたし、女性は黒いローブを被れと注意されるなど、僕が訪問した中東でももっとも保守的なイメージがあったサウジだが、その影はどこに行ってしまったのか分からないぐらいオープンになっている。ご存知のようにユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、一神教で誰を預言者にするかということが違う。イスラム教はもっとも遅い7世紀に預言者であるムハンマドの誕生からスタートしている。この宗教が2つの宗教と違うのは、最初からイスラム共同体と一心同体となっており、すなわち政治と宗教を一体化して成り立ってきた宗教であることも言える。

イスラム教が生まれた現在のサウジアラビアは厳格なイスラム教をベースにする国家だ。2018年まで女性が車の運転できなかったというのもそういうベースが背景にある。対して世俗国家と位置づけられるインドネシアやトルコなどは、お酒も飲めるし礼拝を取り入れていない国もあったりと、イスラム教を理解するに興味深い。それは旧約聖書、新約聖書も存在は認めているが、預言者であるムハンマドの言葉以外は間違いも多いとされている考え方にも何か通じるものがあると思うのだった。

イスラム教は行動規範がベースとなる宗教だ。それは行動を持って規範を示すという概念に基づく、例えば、お酒を飲んではいけない、豚を食べてはいけない、利子を取ってはいけない、お祈りを一日五回する、生涯に一度はメッカ巡礼をするなどだ。対してキリスト教は心情規範がベースになっている、これは行動規範ではなくて、心の中で神の存在を信じられるかどうかというポイントになっている。ここまで理解していくと、今回のサウジアラビアの外食が男女でできるようになったというのも、心情規範と行動規範のバランスをどう体制的にも納得して落とし込んでいくかということがポイントになる。まだまだ男性が少ないこと、そしていわゆる目だけがみえるニカブをまとっている女性、そして少し開放的されて髪と首のみを隠しているヒジャブ、そして何もまとっていない女性たちが、テーブルを囲みながら食事を楽しんでいる姿をみて、歴史が奏でててきて生まれた言い得ぬ感動の1ページに僕はいるのだろうなぁっと感動するのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?