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レコードの針を落とすという行為

宮本敬文という写真家がいて、年齢は僕よりも10ほど上だったんだけどどちらが兄か弟かわからないぐらいによく遊んでいた。逗子の共通のお母さんみたいな人の家で、出会った僕らは最初はお互い外人だと思ったようでずっと英語で話していた。変だなと思ったマダムが、「あんたたちなんで英語で話しているのよ!」と言われて「なんだおまえ日本人なのか?」とお互いに大笑いになったのを覚えている。

ニューヨークに住んでいた彼は写真を愛していた。どんなときでもカメラを持ってきて、シャッターを切っていた。そんな彼の影響もまたフィルムカメラへ戻してくれたきっかけになったと思う。宴の途中に彼がフィルムを装填する姿がなんとも格好よかったことを覚えている。ちなみにあれだけ撮っていたプライベートの写真を僕は見せられたことがなかったように覚えている。それも敬文らしいところだ。

そんな彼がある日の僕の誕生日に一ヶ月前に、「あのさ、おまえにソニーの昔のレコードプレーヤーをやろうと思うんだよ。」いきつけだったガランスというバーの後ろのテーブルでそう呟いてきた。少し酒が入ったときの敬文の話は、だいたいが忘れ去られるので、それとなく流していたらその翌日にメッセージが届いてMMのカートリッジだけ買って、事務所のドアのぶにかけてくれという。

指定されたのはSHUREのV15 TYPE3というカートリッジだった。当時1万5000円ほどしたと思う。そのカートリッジでソニーのレコードプレーヤーを完成させるという。ちょっと待っていて欲しいとのことだった。どうやら今回は本当にレコードプレーヤーを仕上げてくれるのかも知れない。

誕生日の直前、敬文から連絡が届いた。「あのSHUREめちゃめちゃ音がいいんだ、しばらく聞いていたんだ。一通り聞いたらちゃんとプレゼントするから、ちょっと貸しておいてくれ。」相変わらずの敬文節がそこにあった。事務所で一緒に聞こうと言ってくれたのだったけど、僕もいつでもいいやっていう気分になっていた。

それから2ヶ月後、敬文は帰らぬ人となった。きっとあのときのSHUREのMMカートリッジとともに旅立っていったのだろう。その年の3月に彼の誕生日祝いをしたときは、ようやく親父が亡くなった年を超えたんだと満面な笑みをして乾杯していたのにも関わらず、追いかけるように飛び立っていったような気がする。

あれから4年とちょっと。本当は敬文からもらえる予定だったレコードプレーヤーが海を超えてやってきた。レコードを回転させて安定したタイミングで針を落とす。彼も常連だったパウルコーヒーで購入したイルガチェフェを挽いてゆっくりとドリップする、敬文はいつもイタリアンローストだった。「そうそう、あのレコードもいいんだよ、今度貸してやるよ」時折そんな声が聞こえてくる大切な時間だ。

ウイスキー! さよなら、ニューヨーク」宮本敬文

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