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現代ステーキハウスに感じる圧倒的な安定感

物心つくかつかないうちに我が家にはステーキがあった。最初はデニーズかどこかだったらしい。幼少期にオーストラリアに移動してから、オレンジジュースとオージービーフの値段にびっくりする。そこから食卓には黒い鉄板が似合う肉が並ぶようになった。子供の頃の記憶といえば大根をおろして、そこに醤油をかけるというのが我が家の流儀だったように思える。オーストラリア人は塩と胡椒だけで肉を食べるなんていうことはこの幼少期の記憶だ。まだ当時の僕には大根おろし醤油が必要だった。こんなことを書いているのも、ヨルダンでステーキハウスに訪れたからだった。世界中どこを訪れてもこなれたメニューのラインナップはなんとなくの安心感がある。旅したときに野菜も食べて、ヘルシーに食べたいと思ったときにステーキハウスはおすすめだ。サラダを食べてから、肉とサイドの野菜を食べれば体調も整うのだ。

僕のヨーロッパ最初の神戸ビーフと尾崎牛の輸出は、ロンドンで出会ったデンマークのステーキハウスMASHだ。そこの和牛のコーディネーターに就任して、コペンハーゲンまで良く食べに行ったことを覚えている。そのときのメニューを彷彿とさせるメニューが眼前のテーブルの上に大きめな紙で鎮座している。このステーキハウスのフォーマットは17世紀にロンドンで生まれたチョップハウスが原型だと言われている。文字通りステーキとチョップに特化されたような店だ。残念ながら閉店してしまったが最古のチョップハウスは1757年創業のSimpon's Tavernだ。よくこの手の店でTavernが付くことが多いが、これはラテン語の宿や店を意味するtabernaに由来する。そのTavernから100年後にニューヨークにThe Old homestead steakhouseが誕生する。この店が最古のニューヨークのステーキハウスだ。

僕が今日食べているヨルダンのステーキハウスも、このニューヨークの現代ステーキハウスフォーマットに習うものだ。このフォーマットを考えた人は秀逸だ。スターターで焼き立てのブリオッシュとバターが登場し、そのあとにオイスターとシュリンプカクテルで泡を楽しむ、焼き立ての音とともに登場するのは豪快な塊肉だ。アルコール度数が高いアメリカのカベルネが運ばれて、そして肉汁とともにクリームほうれん草とグリーンビーンズ、そこにマッシュポテトかカリカリの厚切りポテトが添えられる。締めは甘いデザートとたちだ。このイタリア料理のコースにも似たようなフォーマットを、今夜も経験しながら素晴らしい起承転結だなぁっとつくづく感服するのだった。ハレの日の食事というのはいつになっても牛肉が似合う、それは鳥でもないし、豚でもないのだった。

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