見出し画像

DAMN GOOD COFFEE、井崎英典とのCOJ一周年を迎えて

思いもかけずやってきたコロナ。時間が出来た僕は今までの知識のアップデートをすることにした。そのひとつがコーヒーだ。オーストラリアに住んでいた両親がかぶれた紅茶を飲んでコーヒーを飲むという浜田家ならではの朝食カルチャーにおいて、僕がコーヒーを飲みたくなるのは至極自然な流れだった。そこから背伸びしてヘミングウェイの単行本をもって、小遣いを浮かせて貯めた900円で、全く味の分からないブルーマウンテンを荻窪の邪宗門ですするみたいなことをしていた。そんな僕が出会ったのが井崎英典という男だった。僕が会いたいと思う人はほぼいないが、コロナでの切迫された脱落感も手伝ってから、気づいたら親父に紹介を頼んでいた。親父はSCAJというコーヒー協会の理事に昔就任してもらっていた、僕がコンサルティングをしていた団体だ。そこからの流れは井崎さんのnoteを読んでもらう方が早い。

若くして世界チャンプになった彼は、今後の展開を悩んでいた。そんな相談に乗る中で、あれから思いもかけず、僕らはハモることになった。とにかく一緒に旅をした。そしてそこで出会った昭和喫茶の薫りに誘われて「妄想喫茶」がスタートした。トップレストランのコーヒーがなぜネスプレッソなんだ!という疑問から、思いもかけず、僕らはCOJという会社を共同で立ち上げた。彼の息子の名前がジョーになったということを聞いて「さすが、井崎さん。息子もコーヒーなんだね!」と告げると、「え?」という狐につままれたような顔で僕をぽかんと眺めるのだ。Twin Peaks世代の僕と、彼とは一回り以上離れていることに気づくのだった。そのウィットも込めて”CUP OF JOE”、そしてメインの意味に"COFEE OF JAPAN"を込めた。僕らが編集する世界一のコーヒーだ。彼の家族が丁寧に焙煎する世界一のコーヒーは、トップレストランや高級鉄道の多くに入っている。実は僕にとってのCOJは、一番最初にもらった井崎さんの今後を10年後の答えとして用意した装置だ。まだ多くのことは語れないが、COJのタグライン"DAMN GOOD COFFEE"よろしく、きっとDAMN GOOD LIFEになるはずだ。

そんなたくさんの思いもかけずが重なって生まれた僕らのCOJがついこの間一周年を迎えた。日本初の喫茶店の日に生まれたこの会社の周年行事は、お互いの家族で飯を食べることにしている。昨日は早めの時間から妄想喫茶のアイディアのひとつのモチーフにもなった千駄ヶ谷のCHACOあめみやで食べることにした。オージービーフをたらふくと2キロ弱、コストコのPBことKIRKLANDの赤ワインで流し込む。思えば、僕らが出会った頃はCOJの名前の由来となったジョーもいなかったし、僕らのララもいなかった。なぜか「ハマしゃん」と懐いてくれるジョーが抱っこを求めてくる。そして、初めて私もーというララ。いつもの炉窯の隣の席だから、煙もモクモクで、僕らの心はホクホクなのだ。これから僕らにとっての大きな発表が控えている、多くの人にコーヒーが作り出す出会いを感じてもらえたら嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?