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乾杯の記憶


私は田舎育ち。東京に憧れていた。

高校で上京するはずが、希望の学校に落ちて脱出はお預けになった。

田舎の高校ではガリガリ勉強していた。

と、ある同級生を好きになってしまい、それからというもの勉強に集中できなくなって、ちょっとどうかした感じになった。

高校には屋上につながる階段があって、そこは人も来ない。よし、ってんでなんか途中記憶が曖昧だが、待ち合わせして二人きりで会うことになった。

こちらはハラハラして階段で待っていると、やって来て何か持ってる。

これ飲む?

渡されたのは紙パックのジュースだった。二人で並んで階段に座って、そのとき音もなく乾杯した。

しばらくお互いの夢を話した。

二人で会うことはそれきりなく、乾杯もすることはなかった。


時期が来て、私は東京へ。

父が東京に出張で来ると、私の住んでいるアパートに必ず寄ってくれた。

私も居酒屋に行けるようになったから、父が来ると夜は一緒に飲んだ。その度乾杯もした。

父の包み込むようなオーラを感じると田舎に居た頃のように安心するものだった。


そんな学生時代も終わり、私は再び田舎の実家へ舞い戻ってきた。

私は両親のもとで、あれこれ挑戦した。

ところが、父はもうお酒は飲めない身体になっていた。

家での乾杯はお酒とお茶、みたいなのが普通になっていた。

そして父はついに施設に入った。

このご時世、面会もかなわない。

もう、一緒に食卓を囲むことはないのだろうか。

こんなに身近に住んでいるのに。

もう、乾杯できるときは来ないのだろうか。

ずっとずっと続けてきた父との乾杯ができない。

あの日の同級生と同じように、再びの乾杯は約束されてはいない。

紙パックでも、グラスでも、乾杯はそのときその瞬間の幸せの合言葉だった。

乾杯の瞬間は永遠だ。

幸せの瞬間の表現だ。

いつ最後になろうとも。

その瞬間は消えることはない。

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