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★成育歴②中学生~大学院生時代

成育歴を掘り起こす3つの効果
1)心の問題解決にアクセスできる
2)自分自身を理解してもらえたと感じ、強い安心感が持てる
3)価値観の源泉に気づく
ということで、5回に分けて記します。~今回2回目~

■中学生
中高一貫の女子校に入学。独特な先生が多く、授業が楽しい!お友達も個性的で優秀!姉が通った地元の中学とは全く違う世界に興奮!刺激たっぷりな毎日。

中1でみんなに追いつかなきゃと勉強を頑張った結果、なぜか特待生となり中2で学費免除されたことをきっかけに、勉強そっちのけで部活や生徒会にいそしむ。
陸上部でショートカットだった中3の時に豊川悦司に似ていると、高校の先輩方に写真を一緒に撮られたり、同級生からティファニーのアクセサリーをプレゼントされたりと、とにかく女子にもてた…

父が中国へ単身赴任。朝早く仕事に行って夜遅くに帰ってくる仕事人間だったが、いよいよ家にいなくなってさらに存在感がなくなる…

■高校生
さすがに進学校だけあって高校に入ると、明らか勉強モードなグループが出始める中、歌好きな私は毎日カラオケ。ポケベルを駆使し、深夜ずっと友達と電話。当たり前だが成績はどんどん下がり、下から数えたほうが早い劣等生に。
高2の夏休み明け、一気にやる気スイッチを入れて猛勉強!
親友の誘いで受験した大学に合格!
中高の友人は、みな本当に個性的で自立していて(離婚率50%超え…笑)定期的に情報交換して、刺激を与えあっている。
私の基本的な価値観は、この6年間で培われたといっても過言ではない。

大学受験の時期は、母が本当に大変だったと思う。
ずっと不在の父に代わって町内会の役員したり、祖母のお相手もだし、家族の面倒をみつつも、自分の趣味の着物でNYに行ったり。

高1の時に父の単身赴任先の中国へ行ったとき、あまりの文化の違いに驚愕する。自分がとても恵まれた環境で生きていることを実感するとともに、こんな大変な国でゼロからビジネスを立ち上げに行った父への尊敬の念が初めて沸く。

■大学生
大治町から名古屋へ、名古屋から東京へ、都会の刺激がもう楽しくて、毎日寝る間も惜しんで遊び倒し。
授業→サークル(アカペラ)→バイトの繰り返し。
理系の学部だったので男子60名に対し、女子8名(しかも地味目…)で、いつも男子とつるんで、大学生らしい日々を送る。ファミレスでレポート書いたり、進級論文のための地質調査で山にこもったり、研究室に寝泊まりしたり、安酒飲んだり、親の元を離れて満喫。

アカペラサークルは、プロになるメンバーもいたり、テレビからの誘いがあったり、バーやレストランで歌ったり、大きなイベントを立ち上げたり、いろいろなチャレンジをさせてもらって、ものすごく人間関係の幅を広げてくれた場になった…
同期のメンバーとほどなく付き合うことになり、お互いの実家に行ったり、両親とも連絡を取ったり、ほぼどちらかの家に一緒にいることが多く、将来結婚するかもと思っていたが、留学から帰ってきたらゲイであることをカミングアウトされ、別れる。彼のご家族からは、いろいろな経験をさせていただき、非常に勉強になった…

理系に進学したからには、その専門分野で就職すべきというコチコチな考えから、やはり大学院を卒業しないといけないと、親にお金の相談。
(進学自体は、エスカレーター式に問題なく行けたので)
私立の理系の大学+大学院学費、下宿代、生活費を計算してみて、思い通りに進学させてくれた父に改めて感謝する。

■大学院
理系の勉強をしているからには、研究職で就職せねばと、大学院へ進学。
論文を執筆し、学会でも発表。「メソポーラスシリカへのポルフィリン吸着」小さな穴がたくさん開いた粉末に規則的に色素を並べることで人工光合成ができるのでは?という基礎研究をしていた。
就職活動をするも、最終面接では必ず研究職以外のポジションを提示されることで、やはり自分には理系の就職は向いていないことを自覚。
希望の大手消費財メーカーに内定をもらうも、父が心筋梗塞で倒れ、生死をさまよったことをきっかけに名古屋へ帰ることを決意。
名古屋に拠点がある化粧品メーカーへ就職。

姉2人は、女子高→付属の短大→お茶汲みOL→寿退社→専業主婦と、全く別の世界を生きているので話が合わず、大学に進学したくらいから家族に事細かに自分の生活や考え方について話すことはなくなった。

~★成育歴③へつづく~

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