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★成育歴④第1子・第2子の妊娠・出産

成育歴を掘り起こす3つの効果
1)心の問題解決にアクセスできる
2)自分自身を理解してもらえたと感じ、強い安心感が持てる
3)価値観の源泉に気づく
ということで、5回に分けて記します。~今回4回目~

■第1子妊娠・出産
入籍から半年もたたずして、夫が名古屋へ単身赴任。
家を買ったり、結婚したりすると転勤になるという噂は、本当だった…笑
結婚式を控えて、大きな人事異動があり、図らずして盛大な結婚式に…
新婚生活も遠距離となり、東京と名古屋を行ったり来たりしている間に、入籍から1年で妊娠発覚。

自分の意思でキャリアチェンジしたく異動した直後、もう少し二人だけの時間を満喫したかった私は、素直に喜べず、電話でノーテンキに喜ぶ夫に元気をもらった。つわりもほとんどなく、一人の妊婦生活も問題なく過ごし、産休へ。

たまたま実家のある名古屋へ単身赴任していたこともあり、里帰り出産かつ立ち合い出産ののち、育休生活は名古屋で過ごすことに。
私は実家との行き来で仕事やキャリアについては何も考えずただただ赤ちゃんとの毎日を過ごすお気楽な生活で、これまで通り深夜まで働く夫の生活とどんどん差ができる。

■1回目の復職
両立に不安があり、必ず東京へ戻って一緒に暮らしてほしいと夫に懇願、会社もその要望を受け入れてくれて、家族全員での東京での暮らしが始まった。
基本的に私が時短勤務で、夫はこれまでどおりの生活を送る。
子どもに何かあって緊急対応が必要な時は、私がすべて対応する。
家事全般も育児全般もすべて私が背負っている状態で苦しかった。
それを相談すると、話し合って決めたことだろうと、非難される…
喧嘩も絶えず、お尻にパンチをもらって尾骨が折れる事件も…笑

仕事も、育休中に部署が変わり、復職先はこれまでの経験があまり生かせないポジションに。上司やリーダーはとても理解のある方々で、感謝していたが、仕事に対するモチベーションもダダ下がりで、ライフワークとして始めた妊娠出産の勉強に精を出す。

復職から半年で部署移動し、貢献できる仕事に出会えたことで、精神的にも安定したのか、第2子を妊娠した…

■第2子妊娠・出産
東日本大震災、夫の金沢への転勤を経て、産休入り。
名古屋で出産して、金沢で育休期間を過ごす。

全く知り合いのいなかった地で、同じマンションにたくさんお友達ができたり、ベビーマッサージで知り合ったお友達とワークショップを企画したり、とてもたくさんのつながりができた。
1年後に復職で東京に戻るときには、それぞれのコミュニティーで送別会を開いてもらって、送別の品をもらって、本当に人の温かさを感じた。

■2回目の復職
夫は引き続き金沢での仕事だったため、一人で娘2人を連れて、東京に戻ることに。2歳&0歳の10月入園は、非常に厳しく、以前に通っていた保育園に偶然が空きが出て、姉妹別園ではあったがなんとか入園。
夫は単身赴任、自分の両親は遠方、夫の両親は和菓子屋で多忙、ひとりですべての家事育児をこなし、仕事と両立するという生活がスタートする。それでも復職して働きたいと思えるほど、仕事に前向きになっていた。

そうはいっても、2つの保育園への送迎からの出勤、満員電車にゆられて、職場に着くも、バタバタと短時間で集中して仕事をこなし、帰宅、また2つの保育園への送迎、夕飯づくり、入浴、就寝…と毎日をこなすのに精いっぱいだった。2人ともあまり熱を出すこともなく、元気でいてくれたことが何よりの救いだった。

復職から半年後に、2人とも同じ保育園に通えることになり、送迎が一気に楽になった。この保育園で本当に助け合えるママ友と出会って、毎日の保育園送迎でおしゃべりするのが息抜きに。

とホッとしていたのもつかの間、夫が家を買おう!と言い出し、入園から3か月後に引っ越し。当たり前だが、7月に3歳1歳が入園できる保育園などなく、車での送迎が始まる。家から職場と逆方向に30分車で送迎、保育園の近くに駐車場を借りて、電車で出勤、帰りは、自宅の最寄り駅を通過して保育園へお迎え、また30分車を運転して帰ってくるという生活…
引き続き夫は単身赴任のため、当たり前だがすべて私一人でこなす日々。

2人の子を連れて、東京に戻った時点で、すでに腹くくって仕事する!と自分で決めたからか、不思議ともう無理!と投げ出すことはなかったし、むしろ、難しい局面をどう乗り越えていくか、楽しんでいた気がする。

車送迎に慣れてきて、仕事でも大きな起案を通して、充実していた10月、異動の辞令が。久しぶりの広告営業で担当するクライアントも全国に渡る、メンバーのマネジメントもしなければならない。乗り越えたと思ったら、また新しい山がやってくる感じ…仕事としては、自分がライフワークにしていた妊娠出産に近い領域で、ワクワクした。

異動して3ヶ月は、忙しすぎてあまり記憶がない。日帰りの出張が多く、朝一番に預けて、新幹線に飛び乗り、商談をこなして、駆け込み乗車で帰ってくる、その間、電車で席が空けばすぐに座ってパソコンを開いて仕事、移動中はメンバーやお客さんに電話、基本走っての移動…帰宅後は、子どもたちに食事を作り、お世話がノンストップ…
今思い出しても、なんでこんなに頑張れたんだろうと思うくらい目まぐるしい…引き続き子どもたちは元気で病気知らずでいてくれたのが本当にありがたい。

そうこうしているうちに、仕事で大きな成果をいくつも残し、生活も安定してきたところで、夫が退職して和菓子屋に。
子どもは、やっぱり3人がいいと言い出し、であれば、上の子が小学校に上がるタイミングにしたいと、第3子をほどなく妊娠…

~成育歴⑤につづく~

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