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学校を嫌いになる時「小学校編」

これは自分が小、中、高、と学校教育というものを体験して、本当にやめたくなった瞬間をまとめたものです。自分が体験したものですので感じ方は、個人差もありますし、土地柄の特殊なものかもしれないですがそこはこんなことがあるんだなと思っていただければ幸いです。

・入学当初時間割が6時間目まであると知った時

幼稚園では昼ごはんを食べて母親の送り迎えを待ちすぐ帰れるという生活を子供ながらにとても快適な生活をしていた自覚があったのでそれが崩れるのがとてもいやだったのを覚えています。しかも3時という微妙な時間で自分の門限は5時だったので遊ぶ時間としても物足りなく感じていてはじめの頃はやめたくなっていました。

・机に座って字を書くのが苦だった

今になっては当たり前となっているこの時間もはじめの頃はとても嫌だったんです。机に座ることを強制されているこの空間に1分1秒でも居たくないそう思ってました。しかし人というのは順応する生物で3ヶ月もするとそれが当たり前の生活になっていました。

・上履きの不便性

靴の利点としては足が汚れないため、危ないものから足を守るというものだと思うんですけど、上履きはそのどれもクリアしていないんです。上履きというのは汚れるのは当たり前で毎週家の前の金網にホースで水を出しブラシでこすっていく作業が冬になると地獄の労働に変わってしまいます。冷たく赤くなっている手で冷水を出し汚れが落ちるまでこすりつづける。とても大変でした。そして危険なものから守るにも足底は薄すぎる。一度画鋲がささったことがあってもうトラウマになりました。あまりいいところがないのに使い続ける意味はあるのだろうかと思い履いていました。

・なぜ真冬にやるのかマラソン大会

これはつくづく思うんですけどなぜ真冬にやるのか意味が全くわからない。春頃の少し暖かく体を動かすのに丁度いい気候のときにやればいいものを、まるで駅伝のように真冬の寒い時期に走らされるのは全くの謎です。あれは年末に見るものがないからといって見るのがちょうどよくてそれで視聴率が増えるのを狙ったりフルマラソンに適している温度とかいろんな条件でやっているのにこちらはたかだか2キロ弱を走るだけなのに震えながらひたすら走る。これは大嫌いでした。

夏休みの宿題(図画工作)

自分は絵を書くのが下手で不器用。完全に詰んでました。これは親に協力してもらって親7割強自分3割というスタンスでやってきましたが、あまりたのしさをそこに見いだせなかったのが、つらかったです。親は結構ノリノリにやっているのをなにも感じなく完成品を展示していたんですが、他のレベルに圧倒されていて回収したのを覚えています。ここぞとばかりの力作で作品が、ショーケースに飾られているのを、自慢してくる友達がいたのも思い出されました。

最後に卒業式のなにもない時間

我々子供たちには来賓が誰だかPTAの代表だとかの話を聞いても全く誰だか知りません。そこを過ぎると卒業式恒例の名前→返事→授与という流れ作業が約300暇で仕方なかったです。約1時間何もなくただ座るだけそれが最後の式でいいのかともっと明るく楽しくやっていった方がいいのではとおもっていました。

ふと振り返りたくなったので書きました。