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栗林公園散策

NPO法人わがことの山地武です。ここ最近、気鬱なニュースが続いているので、ちょっと気分転換に、近所にある栗林公園の見どころを紹介してみたいと思います。

特別名勝 栗林公園

栗林公園は香川県高松市にある400年近い歴史を有する大名庭園で、面積は約75ヘクタール(東京ドーム16個分)もあり、文化財庭園としては国内最大の広さです。
江戸時代の1600年代初め、生駒氏の家臣であった佐藤道益の居宅の作庭が栗林公園の始まりとされています。その後、1642年(寛永19年)高松藩初代藩主の松平頼重(よりしげ)が居住するための御殿として栗林荘を建て、高松藩松平家の国もとの下屋敷として100年ほどかけて整備されてきました。
ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンに「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価の3つ星に選定されたそうです。


檜御殿跡(ひのきごてんあと)

園内には「講武榭(こうぶしゃ)」や「鹿鳴原(ろくめいげん)」などの芝生広場がいくつかありますが、「檜御殿跡(ひのきごてんあと)」は高松藩初代藩主の松平頼重(よりしげ)が隠居した館があったそうです。
この松平頼重、あの水戸の徳川光圀(みつくに)=水戸黄門の兄であり、徳川家康の孫にあたります。
それが何で高松藩かというと、父の水戸徳川家の頼房(よりふさ)は家康の十一男で、当時は兄である尾張徳川家の義直(よしなお)、紀州徳川家の頼宣(よりのぶ)に子がいなかったため、遠慮して頼重を堕胎するよう家臣に命じたところ、密かに家臣が出産させ秘密裏に育てられたそうです。
その後、次男である光圀が水戸徳川家を継ぐこととなったため、頼重は高松十二万石を与えられました。ちなみに光圀は本来家督を継ぐべきだった兄の頼重に申し訳なく思い、頼重の子を養子として、水戸徳川家を継がせました。そして頼重は光圀の子を二代藩主頼常(よりつね)としたそうです。


北湖(ほっこ)

栗林公園内にはいくつか人口の湖がありますが、北湖は高松松平家の2代藩主頼常(よりつね)が飢饉で苦しむ領民のために、改修工事をさせたり、珍しい木石などを持ち寄らせて食料などの報奨を与えたりしたそうです。


掬月亭(きくげつてい)
掬月亭(きくげつてい)

「掬月亭」はかつて高松松平藩の藩主が大名屋敷として南湖に面して建て、四季折々の風情をたしなんだ場所です。かつては能楽の舞台などもあったそうで、北斗七星のように館が連なっていたことから「星斗館(せいとかん)」と呼ばれていました。
第三代藩主の頼豊(よりとよ)は華奢を好み、茶屋などの造園工事に力を入れすぎて藩財を圧迫したそうです。


飛来峰(ひらいほう)から眺める南湖

栗林公園が紹介される際によく掲載される写真が「飛来峰(ひらいほう)」から南湖を望む眺めです。背後にある紫雲山も栗林公園の敷地です。
ちなみに紫雲山は幼い頃に、その形からでっかい前方後円墳だと思ってました。


鶴亀松(つるかめまつ)

園内には約1400本の松があります。
その中の「鶴亀松」は、高松藩の家老だった稲田貞一が松の手入れに熱中するあまり時間を忘れて登城に遅刻したために、禄高を百石削られたことから別名「百石松」とも呼ばれます。
なんとも楽しく切ない逸話です。


赤壁(せきへき)

西湖の「赤壁」は三国志で有名な揚子江の景勝地にちなみ名付けられたそうです。
その赤壁に流れ落ちる「桶樋滝(おけどいのたき)」は、昔、高松藩主の観賞用に造られ、当時は人力で滝口の桶まで水をくみ上げていたそうです。
現在なら職権乱用とかパワハラで問題になりそうですね。もちろん今はポンプアップして滝を流してます。


お手植松

園内には「お手植松」という、皇室の方や海外からの貴賓が来園の際にお手植された松があります。
秩父宮殿下、高松宮殿下、英国エドワード・アルバート王太子殿下、良子(ながこ)女王殿下、北白川宮大妃殿下、大正天皇(皇太子当時)。昭和天皇が皇太子時代にお手植されたクロマツもありましたが、落雷で枯死してしまったそうです。
貴賓による植栽もさることながら、それを長年大切に育て手入れしてきた造園課職員の方の職人芸に頭が下がる思いです。


百花園の茶畑

南梅林は昔「百花園」と呼ばれ、高松藩五代藩主の松平頼恭(よりたか)により、薬草園として造られました。その頭取としてエレキテルで有名な平賀源内が携わったこともあるそうです。当時、源内がオリーブの木と間違えて、ホルトノキを植えたという逸話があります。
現在は茶畑があり、毎年5月に地元の小学生が、新茶の茶摘み体験をする恒例イベントがあります。


右手前が杜鵑嶼(とけんしょ)、左奥が天女嶋(てんにょとう)

南湖は中国の神仙思想をもとに整備されており、3つの小島と1つの岩組みがあります。カエデが色づく「 楓嶼(ふうしょ)」、春にはツツジが鮮やかな 「杜鵑嶼(とけんしょ)」、高松藩の時代に弁財天の祠があった「天女嶋(てんにょとう)」、仙人が住むという「仙礒(せんぎ)」です。


偃月橋(えんげつきょう)

園内には14の橋があります。公園のシンボルともいえる南湖にかかるアーチ型の「偃月橋」、松のトンネルを抜けたところに架かり朱塗りが美しい「梅林橋(ばいりんきょう)」、慈航嶼(じこうしょ)に架かる木組みの八ツ橋「津筏梁(しんばつりょう)」など。橋を渡るたびに風景が変わり楽しめます。


商工奨励館(しょうこうしょうれいかん)

「商工奨励館」は明治32年に香川県博物館として建設され、現在は1階が公園のガイダンス、2階はジョージ・ナカシマさんの家具が設置された休憩所になっています。展示室やレセプション会場、カフェなども併設されてます。
今はありませんが、昔は公園内に高松市美術館や動物園、野球場などもあって、昔から市民の憩いの場でした。


大禹謨(だいうぼ)の碑

商工奨励館の中庭には、西嶋八兵衛(にしじまはちべえ)が香東川(こうとうがわ)の大改修工事の際に安泰を祈って、地中に埋めた「大禹謨(だいうぼ)」の碑があります。
江戸時代まで香東川は東西2本の支流にわかれて讃岐平野を流れていて、東側の支流はしばしば氾濫していたため、西側八兵衛が東の流れをせき止め、西側の1本にしたそうです。現在の高松市中心部は東の支流が流れていたところで、せき止められた後も地下から伏流水が湧き出て、栗林公園の湖の源泉となっています。西嶋八兵衛の治水工事がなかったら、高松市は今も川の底だったかも。


日暮亭(ひぐらしてい)

「日暮亭」は石州流(せきしゅうりゅう)の茶室として1898(明治31)年に建てられました。もともと高松松平藩2代藩主頼常(よりつね)の時代に創建された「考槃亭(こうはんてい)」という茶室がありましたが、明治時代に園外の民家に移築された後、再建を望む声があがり、現在の「日暮亭」が建てられたそうです。


吹上(ふきあげ)

最後に私が一番好きな場所である「吹上」を紹介します。かつては付近を流れていた香東川の名残で伏流水が地上に湧き出しています。栗林公園の水源地で、園内のすべての池の水がこの地下水で賄われています。
こんこんと湧き出る清水は、昔から水不足のときも枯れたことがないそうです。


ということで、あまりに最近のニュースでテーマにしたいネタが多すぎて、何を書こうかと考えてるうちに、めんどくさくなって現実逃避の投稿になってしまいました。
あまりに近所なので普段は意識することがありませんが。長い歴史と憩いを感じる場所が身近にあるのは素敵なことだと思います。
栗林公園を散策したくなっていただけたら幸いです(^^)

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