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ニコチンの幻。⑱「21歳大学1年生になるまで。」part 5

ついにpart 5まで来てしまいました。

夏休みもあと少しです。


でも、こういう最後の最後で書きながら寝落ちて週3更新の締め切りの日またいじゃうあたりがポンコツなんだなってつくづく思います。

これは金曜日の投稿でした。


過ぎてしまったものは仕方ないので、ここでめげずに夏の挑戦、もう一息頑張ります。


興味を持っていただける方、どうかお付き合いください。

それでは、始めます。

(前回のものはこちらから。)


北海道でひとり暮らしを始め、とりあえず某チェーン弁当屋でパート契約ながらほぼフルタイムで働きはじめました。


ほとんど、家と仕事先との往復の日々でした。


幸い仕事は苦手ではなかったので、フリーターというシフト編成における都合のよさも相まって、わりとすぐ店長に頼りにしてもらえるようになりました。


やることなすこと「え、何やってんの。」と反応されることになれていた私は、頼りにされることを過剰に喜んでしまい、忙しさの中でフリーターの生活にそれなりに満足してしまいました。


「はたらく」生活は、学校生活と違い、労働に対して給与が支払われる。


その当たり前と思われることを実際に経験するうちに、多少の理不尽に鈍感になっていったのです。

おかしいと思えたことや、どうにかするべきだと声をあげられたことに対して鈍感になり、むしろ「まあいいか、その分給料もらえるわけだし。」とスルー出来るようになってしまう。

声をあげても、あげなくても手に入る給料は一緒。

なんなら仕事ができると思われたって、同じ給料の中で与えられる仕事が余計に増えるだけ。

やりがいという曖昧なものでごまかされ、労力は簡単に搾取される。

自分がただ生活をするために働く中で、お金の問題じゃないなんて言ってられない。

むしろそんな積極性を求められる場の方が珍しい。


はじめて自分の「生活」のためだけの給料を手にしたとき、私の今までを支えてきたエネルギーが、すっとなくなるのを感じました。

いったい何に必死になっていたのだろう。

肩書も持たずにひとりでいったい何ができると思っていたのだろう。

これからどうなるんだろう。


見ないようにして、勢いでごまかしてきた不安が押し寄せました。


とても褒められた生活はしてこなかったけれど、それなりの信念と向上心と行動力だけは誇れていたのに、このまま鈍感さに甘えていけばそれさえなくなってしまう。


わたしはそんなモヤモヤをとにかく働くことでごまかし続けました。

それが何の解決にもなっていないことにさえ目を背けながら。


そんななか夏が終わるころ、わたしにとって転機となる出来事が起こりました。


北海道胆振東部地震です。

わたしは大きな被害を受けたわけではありませんでしたが、それでも恐怖はありました。そのとき、もっと大きな被害を受けた人たちの恐怖はどれほどだろうと思うと同時に、電気や食料が途絶えてもただただどこかの誰かがどうにかしてくれるのをおとなしく待つことが悔しくなりました。

分業社会の中、様々な役割はあるけれど自分が何をする側でありたいか、そんなことやっと冷静に考えました。

そして、自分ができることを考え直すためにもちゃんと勉強しなおしたいと思い、大学を目指すことを決心したのです。




はい。今日はここまでにします。

大学受験を決心してからの話を次回したいと思います。

もうちょっとです。ほんとですよ?


興味を持っていただける方、あと少しどうかお付き合いください。


2020年9月26日 15:40 25℃ 湿度62% 残暑の面影も見えない室内より。






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