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ペルシャなのにスコットランド

本日も柄模様について。今日は「ペイズリー柄」です。
ペイズリー柄といえば、日本の「まがたま」のような、くるっと曲がった涙のようなデザイン。
名前の由来はスコットランドにあるペイズリー市ですが、実はペイズリーで生まれた模様ではありませんでした。

それならばなぜペイズリー模様と呼ばれているのかというと、
単純に「ペイズリー市で大量生産されていたから」だったようです。
19世紀前半、大量生産機械が発展し、ペイズリー市の織工たちは手織り機と「ジャカード織機」を併用し、
カシミア・ウールに似ているがより安い、大量生産のショールやバンダナを作りました。
ジャカード織機では5色の鮮やかなバンダナが作られ、そこに印刷されていたのがいわゆるペイズリー柄。
いわば世界でもかなり初期の「大量生産品」であった「あの模様のバンダナ」の代名詞となったのが、ペイズリーでした。

ではペイズリー柄の起源はどこにあるのでしょうか。
調べていくと、やはり古代インド、および古代イラン(ペルシャ)に辿り着くようです。
ペイズリーは最古の模様の一つともいわれ、
古代インド・ペルシャでさかえたゾロアスター教で、生命と永遠の象徴であるヒノキを表す模様「ボテ・イェゲ」が、
ペイズリーと同じ形をしています。
また一説には3世紀ごろのササニー朝で太陽やフェニックスを表す模様として使われ、
貴族の衣服に金や銀で織り込まれ、社会的地位を示していたともいわれます。

そしてこれがヨーロッパに渡った理由もやはり、インド植民地時代でした。
インドのカシミール地方で作られるカシミヤ・ショールは東インド会社を通して、
ヨーロッパ全土で高級品として有名になりました。
そのときショールに織り込まれていたのがこの「ボテ・イェゲ」だったのです。
17世紀ごろにはバルト諸国で「悪魔よけの模様」としても人気になりました。

しかし高級さゆえに圧倒的人気にはならず、
名称も「松ぼっくり」や「コーン」の模様と呼ばれていたようです。
やがてペイズリー市の職人たちが安く大量に作る方法を編み出したことで、
模様自体の知名度がペイズリーとともに上がっていったのでした。
ひとえに有名になるといっても、いろいろな理由があるのですね。

大量生産で有名になってから、特にアメリカの建国時代に流行したため、
今ではカウボーイのスカーフの柄模様としてもイメージが強いですね。
東洋趣味や、フロンティア精神も感じられます。

ということで、本日はペイズリー柄のジャケットと、セットアップのベストをご紹介します。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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