見出し画像

ダサい。

今の自分はすごくダサい。うまくいえないけどカッコ悪いなって思っている。でも一方で、それもいいなと思っている自分もいる。どういうことなんだろう。



最初の「ダサい」は、今まで自分でしっかりと考えてこなかったこと。自分の人生だったり、将来だったり、どう時間を使って過ごすかということに無頓着だった。まったく何も考えてないつもりも当時はなかったのだけれど、現在から振り返ってもみると、考えてなかったなと思う。

こうして時間を経て、昔の自分の行動がよかったのか、よくなかったのかが少し見えてくる。結果はすぐに出ないというけれど、過去の自分が成したことが今の自分につながる感覚はここ最近で少しずつわかってきた気がする。今の自分がいるのは(良くも悪くも)昔の自分の行動なんだなって。

だから、こうして現在の自分を「ダサい」と表現したのは、昔の自分を否定したくて。お前がその場のノリや快楽だけで動いてきた結果がこれだぞって言ってやりたい。ちょっと後悔が含まれている。

後悔といえば、後悔しない生き方をしろといろんなところで言われた。でもその度に聞き流していた。正確には、その言葉の真意をよくわかってなかった。後悔はいつも後からわかる。

最近自分がああしておけばと思ったこと。それは「何かに熱中する」ということ。
熱中する対象はなんでもいい。自分が今までしてきたことのなかでいうと、小学校でやっていた野球だったり、部活のバレーだったり、高校の勉強だったり、大学の生活だったり。どれか一つでもやり切った!と、自分が納得して言い切れるものを作るべきだった。

なんでだろうと思ったら、生き方が物足りなくなってしまうから、かなあ。自分の人生ってこんなものか、、と死ぬ時に考えてしまうと思う。昔はそれでもいいと思ったけど、というかそういうつもりで生きてきたから、何かに全力でやるってことを選択しなかったんだろうけど、その生き方は果たして楽しいのだろうか。

大谷翔平や山本由伸を見て、移籍の金額や成績に驚いてしまうけれど、本人は全力で野球に向き合って、楽しんで、ひたむきに考えて過ごしてきたのだろう。その結果が今回現れたというだけで。羨ましいし、憧れる。そんな気持ちの一方で、なんで自分は向き合ってこなかったと思った。すごい人たちと自分を比べるのは畏れ多いけれど、何かに向き合った経験が自分にはない。

向き合うっていうのは、言葉でいうほど簡単じゃない。苦しいことの方が多くて、自分の弱い部分を直視しないといけなくて。他の人から「あの人はなんもできない」と思われる怖さを抱えて(そんなことは絶対にないけど、自分からはそう見えている)、その先に求めている結果ってものがあるように思う。痛い痛い痛いっていいながら、でも前に進む力が必要。その進む力が自分にはなかった。

だから、これからは向き合うことを意識して過ごす。

昔は昔として、後悔してもしゃーないので今後をどう頑張るか。幸いなことに、こうした気づきややらないといけないことが目の前にあるので、それを逃げずに、最後までやり切れるよう頑張りたいと思います。

ダサい自分に対して、それもいいなと思ったのは、やはり昔があったからこそ今があるから。後悔もあるけど、気づきを得られたのも昔の自分あってこそだった。肯定したいわけじゃないけど、自分は変われる、と言い聞かす。

苦しいときは弱音を吐いて、ダメだったところは反省して、最終的には前を向く。頑張るぞ!


読んでいただきありがとうございます! サポートは勉強代に活用させていただきます。