小説「ハンス 〜存在しなかったAIストーリー〜」あとがき

 人の手で、人に近く、それでも人とは違う知性を生み出したい。

 それは古くからの人類の願望のようで、古代呪術の時代、泥や藁でできた人形に念を込めて動かそうとしたことに、その起源を求められるかも知れません。
 それは神のまねごとをしようとした、というよりも、その願望が先にあってそれが神話に反映されたとみるべきでしょう。
 フランケンシュタイン博士の健闘もむなしく、そしてもちろん古代の呪術師たちの奮闘もむなしく、どうやら生物学的手法でも祈祷的手法でも知性の創造はむずかしいと明らかになってきたあたりで、人類はコンピュータを手にしました。
 コンピュータがあれば、実体がなくてもプログラムとして知性を作り出せるのでは?
 その挑戦は今日も続いています。しかしながらあれほど期待され、あるいは怖れられていたシンギュラリティはいまだ起こらず、「AIなんとか」という名称は「スマートなんとか」に後退し、そもそもそんなもの存在しなかったかのように、その分野から撤退する企業もあります。

 しかし一方で、研究室では地道な努力は続いており、小説「ハンス ~存在しなかったAIストーリー~」ではその成果を参考にしています。

 まずAI技術全体としては、国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センターの科学技術未来戦略ワークショップ報告書を参考にしました。
 この報告書は過去、現在、未来へとつながるAI技術が俯瞰的にまとめられていて、AI技術のいまを知ることができます。

 また人工知能のUIとして欠かせない自然言語解析については東京工業大学徳永研究室で開発されていた「傀儡」の概念を参考にしました。「傀儡」の概要については、『情報処理学会論文誌』二〇〇一年六月号に「自然言語を理解するソフトウェアロボット:傀儡」というタイトルで掲載されています。
「傀儡」では音声に対して形態素解析を行い、それを構文解析、フレーム生成、名詞句・照応解決へとすすめていきます。そして最終的には音声による入力内容を理解し、それに応じたアクションを返すのですが、「傀儡」の場合そのアクションはあくまでも仮想空間内で行われていました。
 それは仮想空間内の方が状況を単純化しやすいからですが、コンピュータの演算能力が格段に向上した現在なら現実空間でも可能かも知れません。

 人工知能が発見的でありうるか?この問いについてはすでに二〇〇九年にコーネル大学の 研究チームが答えを出しています。
 コーネル大学のリプソン准教授と大学院生のシュミット氏が開発したプログラムは、「運動量保存の法則」と「運動の第二法則」を自力で発見しました。
 与えられたデータセットを、演算子をランダムに組み合わせた式に代入し、いちばんもっともらしい式を比較して進化させるという遺伝的アルゴリズムをもちいたものです。作中の「偶然を力ずくで引き起こす」というのは、計算力の高いコンピュータならではの手法です。

 ハンスのエクソスケルトンについては、マサチューセッツ工科大学のヒュー・ハー教授の研究を参考にしました。ハー教授の研究は精巧に作られた義肢を筋肉からの電気信号でコントロールするというもので、電気信号のピックアップには腕や足の切断部分表面に貼り付けた電極を使います。
 教授自身、両足にロボット義足を着けていますが、それでとても上手にロッククライミングを楽しんでいます。

 また、チューリヒ工科大学のミシェル・シロヤニス博士率いる研究チームは、Myoshirtという外部装着筋肉を開発しています。これは強化外骨格(エクソスケルトン)とは違って、腕の筋力が低下した人向けに筋力補助をするものです。
 Myoshirtという名前の通り、シャツのように着る筋力補助装置を目指しており、はたから見ると大きめのサポーターのようです。やはりこれも皮膚の表面から筋肉の活動電位を感知して作動します。
 ちなみにMyoshirtという名前は「筋力低下」を表すMyopathyから名付けられました。

 人工知能開発のもうひとつの側面は、人間の脳がどう学習するかを明らかにすることです。現在のビッグデータもディープラーニングも、結局はこれまでのコンピュータ処理を大規模に行っているに過ぎず、あまり先行きが明るいとはいえません。
 一方で人間の脳がどうやって学んでいるかを調べ、それをモデルにコンピュータに学ばせればあるいは……。
 人工知能開発のためではないですが、人間の脳が「感覚運動学習」を行っていることを突き止めたのは、神経科学者で起業家のジェフ・ホーキンス博士です。
 彼はヌメンタという研究機関を設立し、そこで脳内の情報処理は入れ子式のコラム構造で行われていること、脳が現実世界や概念の座標系を作っていること、その座標系を作るのに感覚運動学習が用いられることを主張しています。まだ完成された理論ではありませんが、きわめて興味深い考察といえるでしょう。
 ちなみに彼は、携帯情報端末「パームパイロット」の開発者でもあります。

 作中に登場するハンスは、こうした研究の延長にあるものとして考えられたものです。もちろん、これらの研究が直線的に進んでいっても本当に自意識を持つAIが誕生するかは不明なところで、そこにはおそらく偶然の要素が必要になってくるのでしょう。
 人間が進化の途上で偶然知性を獲得したように、AIにもその「偶然」が起こったとき、「本当に本物の人工知能」が誕生するのかも知れません。
 なにしろ人間の知性自体、三〇億年以上の歳月をかけて、生物があらゆる可能性を試したあげくに獲得されたものなのですから。

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