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クーリエ


クーリエ

 はろう、もしもし。誰か聞いてる?
 この電波を拾ってるってことは、あなたは相当運がいい。
 あなたが聞いてるのは、宇宙船ジャガンナータ号の航海日誌。
 正式な航海日誌なんていうのは簡潔にして無味乾燥なものだから、こっちはあたしが個人的につけてる日誌。
 この船に乗っていて、どんなことが起こったか、どんなことに見舞われたのかを、あたしが勝手にしゃべってる。
 それを、指向性の強いビームに乗っけて適当な方向にバースト送信中。
 適当なったって、誰彼ともなく聞かれちゃまずい内容だってあるから、あんまり人様のいない方角に送ってるわよ。
 じゃあ送らなきゃいいじゃないかって思う人は、乙女のロマンがわかってない。読まれたくないなら日記を書くなっていうのと同じだ。
 あたしはフェリシア。クーリエ船ジャガンナータ号の、船長および航宙士および通信士および機関士および渉外担当。要するに一人で全部やる。
 そう、渉外よ。この船はあっちの星からこっちの星へ、積み荷を運ぶ輸送船。あたしたちみたいな稼業をやってる人間を、みんなはクーリエって呼ぶ。
 街から街へ、港から港へ、大昔には手紙を運ぶ仕事があったんだって。まだ人類が地球から一歩も出ていない頃の話よ。その仕事をクーリエって呼んだらしい。
 渉外っていうのは、いくらで、どんな仕事を引き受けるか、クライアントと交渉する仕事。それもあたしが自分でやる。
 あたしとしてはしっかり仕事を選びたいのよ。信用のおける相手と取り引きし、大切な品を大切な人にお届けする。そんな仕事がしたいのよ。もちろんたっぷりの報酬で。
 でも現実は、そううまくいかない。
 実際には、競争相手が多いからほとんど仕事を選んでなんかいられない。馬鹿みたいなはした金で、くだらないものを届ける毎日。
 いや、毎日だったらいい方だ。時には何ヶ月も仕事がない時だってある。そんな時には、依頼された仕事はなんであれ引き受ける。背に腹は代えられないとはいうけど、代えられない状況が多すぎる。
 評判だけは、いいんだけどな。
 当代最高にして、他の追随を許さない美人クーリエ。
 美女よ、あたしは、絶世の。見えなきゃなんとでもいえる?でも実際、あたしは美人だ。それだけは保証する。なんなら五十年もののウォクルーフ酒を賭けてもいい。
 そうね、あなたが知ってる美女を三人思い浮かべてみて。モデルでもタレントでも、リアルでもバーチャルでも構わない。そしてその三人の魅力を、そのまま足してごらんなさい。それが、あたし、フェリシア・ハリバートン。
 三で割ったりしないわよ。事実、それくらいの美貌があるから。ああ、そうそう、髪はブルネットのショートね。さらっさらよ、さらっさら。これは母親譲りらしい。覚えてないけど。
 連邦宇宙軍特務課に所属していたあたしの父親と、水泳が大好きだった母親は、あたしが七歳の時、軌道ステーションの爆発事故で死んじゃった。いや、殺された。警察は事件を立証できなかったし、なんの証拠も挙げられなかったけど、それでもあれは事故なんかじゃない。
 少なくともデレクはそう睨んでる。
 デレクっていうのはその当時、あたしの父親と同じ部隊に所属していた軍人だ。詳しくはまた今度話してあげるけど、あたしの親代わりと思ってくれれば話が早い。
 父親とデレクは、戦闘機ファイターには必ずタンデムで乗っていたらしい。戦闘機ファイターにタンデムするってのはお互いに命を預けるようなもの。よっぽどの信頼がなければ出来ないことだ。
 その相棒が、殺された。
「ある作戦が完了した直後に、あの事故は起こったんだ」
 そうデレクはいう。
「あり得ねえ、絶対にあり得ねえ」
 そうデレクはいう。
 そうかも知れない。そうじゃないかも知れない。
 あたしもその事故に巻き込まれたけど、危うく一命をとりとめた。その時、父親がデレクにあたしのことを頼んでくれたらしい。
 施設に入れられて、いずれ知らないところへ里子に出されるくらいなら、信頼出来る相棒に預けたいと。最初で最後の頼みだと。
 ステーションから射出される救命ボールにあたしを押し込みながら、とぎれとぎれの無線を通じて、父親はデレクにあたしを託した。それが十五年前のこと。
 その後、デレクはあたしを引き取り、連邦宇宙軍に勤めながら男手ひとつで育ててくれた。かなり乱暴な育て方ではあったけど。
 そのつてがあるから、この船の装備はかなりいい。中古で買った船だから、さすがにあちこちボロくなって、ガタが来てはいるけど、それでもエンジンを換装しているおかげで民間宇宙船では最速の部類に入る。武装だって、普通なら許可が出ない物騒なものまでついてる。
 そう、武装だ。あたしたちの仕事にはこれがいる。ていうか、これがあるから、クーリエって仕事は成り立ってる。
 単にものを運ぶだけなら、星間無人輸送システムが安くて便利だ。梱包して、積載して、定時になったらぴゅん。
 だけどこの無人船、アクシデントにはめっぽう弱い。小惑星の衝突しかり、人為的な妨害しかり。
 無人輸送システムの草創期、星間運送会社は原因不明の問題に頭を抱えていた。無人輸送船の難破だ。
 本来宇宙では、計算通りにものが動く。極端な話、Qドライブを持たないコンテナだって、十分な速度を与えてやれば何百年後か、何千年後かには目的地に届く。
 ところがそれが、届かない。無人船が次々と座礁し、難破し、行方不明になる。
 運送会社は最初、それをナビゲーション・アレイの不具合や宇宙塵の衝突のせいだと考えていた。だけど、被害額と事故率の相関が、それを否定していた。事故の起こる確率に対して、喪失される積荷の額が大きすぎる。つまり、高価なブツを積んだ船ばかりが事故に遭うようになっている。誰かが手引きをして、効率よく船を襲っているのだ。
 まず真っ先に調査に乗り出した保険会社の報告書は、これが人為的なものであると示唆。銀河連邦政府への調査依頼を提出。
 銀河連邦政府は、最初はただの偶然として処理しようとしていた。ところが、ブラスターで無惨にも八つ裂きにされた無人船が見つかるにいたって、ようやく認めざるを得なくなった。
 宇宙には、海賊がいる。
 かつて地球の海を我が物顔で闊歩し、至るところで略奪の限りを尽くした荒くれ者どもの末裔が、この宇宙にはいる。
 彼らにとって無人宇宙船はかっこうの餌食だ。なにしろ、抵抗される危険がない。近づき、エンジンを破壊し、積み荷をいただく。船ごと乗っ取って、戦利品を売り払ったあと、船を自分のものにしたっていい。実際、海賊組織の下っ端が乗ってる船は、大抵が強奪した無人輸送船を改造したものだ。
 そこで登場するのが、あたしたちクーリエってことになる。あたしたちクーリエは、依頼主から預かった荷物を死に物狂いで守る。なんとしても目的地に届けようとする。
 武装することが許されていなかった初期のクーリエは、大変だったろうなあ。とにかく速くて運動性能のいい宇宙船で、海賊の襲撃をかわすしかなかったんだから。

 クーリエが武装を許可されるようになったのは、オニキスの大強奪以降だ。あたしが生まれるより前の話だけど、あまりに有名だから、誰でも知ってる。
 資源小惑星ND三八〇六二の採掘が終わり、掘削機、加工機、電磁射出機カタバルト、その他諸々の輸送がクーリエに依頼された。ひとつの小惑星を掘り尽くすと、次の小惑星へ丸ごと移されるのだ、採掘施設も、人員も。
 施設丸ごとの輸送なんて何年かに一度しか行われないから、採掘会社としては専用の輸送船なんて持ってても無駄。
 そこでクーリエに頼む。その方が安上がり。人員の輸送だけは、別途船をレンタルしていただきます。操縦は出来るけど、五百人を超える人間を運べる船を持ってるクーリエなんて、どこにもいない。それにクーリエが運ぶのは基本的に物資だけ。人員の輸送はまた別の業種だ。
 とはいえ、資材だけでもかなりの大規模輸送だから、五組のクーリエが協力して施設の輸送にあたった。
 採掘施設は組み上げればそれ自体が巨大なコンテナ状になる構造をしている。コンテナは自前の小さなスラスターで宇宙空間に持ち上げられ、クーリエ船によってその重心を押されていく。
 ちなみに引っ張るのは無理。テザーを使って引っ張ると、最終的にコントロールが効かなくなる。
 作業関係者たちは、採掘会社が借り上げた船でクーリエ船に同行。こうすれば到着と同時に施設を展開出来る。通常の手続きだ。
 通常でないことが起こったのは、船団が航路のなかばにさしかかった時だった。
 現れたのだ、海賊が。
 人員輸送船通信士の声が、こう伝えている。
「真っ黒な船が、突然、船の真上に現れました」
 おそらくはステルス化された船だったんだろう。回収されたフライト・レコーダーを分析しても、レーダーにはなにも映っていない。気づいた時にはもう、喰らいつかれていた。
 外部カメラの記録映像を見ると、オーロラを背景に、真っ黒な船が人員輸送船に触れんばかりに接近している。ここでいうオーロラってのは、干渉コクーンが放つ位相空間の光のことね。
 だだっ広い宇宙を行き来するには、光速でもまだ足りない。それどころか、いまだに人類は光速を越える方法を知らない。光速を越えて移動出来ないなら、移動したことにしちゃいましょうよっていうのが、Qドライブによる移動だ。少なくとも、あたしはそう教わった。
 この宇宙は可能性に満ちてる。詩的な意味じゃなくて、文字通りの意味でね。あたしはいまここにいるけど、ここにいない可能性だってあったわけだし、別の場所にいる可能性もある。
 Qドライブは宇宙船がどこか別の場所にいる可能性を無理矢理作り出す。現実と可能性の間を宇宙船は移動するのだ。その間の空間を位相空間と呼んで、位相空間にいる宇宙船がばらばらにならずに通常空間に戻って来られるように包み込んでいるのが、干渉コクーンだ。少なくとも、あたしはそう習った。
 干渉コクーンの光は、絶えず七色に揺らめいて見える。本物のオーロラじゃないし、オーロラの何倍も明るいけど、あたしたちはそれをオーロラって呼んでる。
 そのオーロラの光を呑み込むかのように、一条の光も跳ね返さない、黒曜石オニキスのように黒い船。そのオニキスが接触回線を通じて、人員輸送船に話しかけてきた。というより、命じてきた。
「全船、機関を停止しろ。さもなくば破壊する」
 人員輸送船はその言葉を他の船に伝え、すぐに六隻の船のエンジンが停止した。
 途端、オーロラが崩壊する。砕けたステンドグラスが無限の彼方に遠ざかっていくように、虹色の光が散っていく。位相空間から通常空間に戻ったのだ。
 船を停める以外に、選択肢はなかったと思う。相手はレーダーを無効にする艤装の持ち主だ。どんな兵器を積んでいるか、わかったもんじゃない。
「全クーリエは宇宙服を着てエアロックの外に出ろ。人員輸送船に収容する」
 オニキスがいう。
「無理だ。全員を乗せる余地はない」
 通信士が応える。
「十八人くらい、どうとでも収容出来るはずだ」
 六百人乗りの船なんだから、そりゃ当然なんだけれども、重要なのはそこじゃない。オニキスがクーリエの人数をぴたりといい当てたことが重要なんだ。
 クーリエの船は様々に改装されてるから、外から見ただけじゃおおよその乗員数すらわからない。にもかかわらず、オニキスは五隻のクーリエ船の合計乗員数をいい当てたのだ。
 明らかに、内通者がいる。クーリエにか、採掘会社にか、それとも作業員にか。なにはともあれ、クーリエ側に選択の余地はない。
「十五分後に小型艇がおまえたちを回収する。それより遅れた船はその場で破壊する」
 船の大きさにもよるけど、あたしたちクーリエの船には小型艇が搭載されてることが多い。母船では近づけない場所に行ったり、地上との連絡に使うためだ。どうやらオニキスも、小型艇を持っているらしい。
 予告通りの十五分後、オニキスから小型艇が出て、各クーリエ船をまわり始めた。船団とはいえ船同士は何キロも離れてるから、人員輸送船のカメラからではなにも見えない。時折見えるスラスターの光が、小型艇の位置を知らせるだけだ。
 やがて、全クーリエを乗せた小型艇が人員輸送船に近づいてきた。
 いや、乗せてなかった。十八人のクーリエは一本のテザーで曳航されていた。そして小型艇は、クーリエたちがつかまるテザーをそっと人員輸送船に触れされた。
 ほれぼれするほどの腕前だ。
 こんなことをするにはスラスターを使って、何度も速度と角度と姿勢を調整しなくちゃいけない。一歩間違えたらクーリエたちが次々と船体に激突して命を落とす。それをあえてやってのけるのは、よほど腕に自信があるのか、それともクーリエたちの命をなんとも思っていないのか。
 クーリエたちはメンテナンス用の手がかりにつかまって、人員輸送船に身体を固定させた。
 そして命じられるまま、エアロックをくぐって人員輸送船に乗り移る。エアロックから与圧区画へ。これで、人質は一カ所に。なんにしても散らばってると手間がかかる。ましてや人間はバラバラにしておくとやっかいだ。
 五百人を越える作業員と、十八人のクーリエ。誰もが人質にされたと思った。取り引き材料にされるのだろうと。
 でもその予想は、悲しいくらい外れていた。
「エアロックを開けて待て」
 いうが早いか、オニキスの宇宙船からこれまた黒い宇宙服がふたつ、するすると降りてきた。
 海賊が着る宇宙服っていったらどんなにごついものかと思ったら、あにはからんや、どこにでもある簡易型。からだの線がばっちり出ちゃう、おなじみのやつだった。
 その人影がふたつ、慣れた動きで人員輸送船のエアロックに消えていく。
 オニキスはエアロックからまっすぐコクピットに向かい、銃で制圧。パイロットたちを居住区に下がらせて、バックパックから伸ばしたケーブルをコンソールに繋いだ。
 レンタル船のセキュリティーなんてひどいものだから、操縦士がかけたプロテクトなんて簡単に突破されちゃう。
 その上で、エンジン・モジュールの切り離し。これで、人員輸送船は完全に航行不能。
 加えてご丁寧なことに、オニキスは通信装置を破壊。外部との連絡不能。
 これだけの仕事をものの十分で済ませると、オニキスの船は二人を回収して離脱した。
 ほどなくして、誰も乗っていないはずのクーリエ船がエンジンを点火。小型艇でクーリエを拾ってまわるのと同時に、操縦士を配していったんだろう。いずことも知れぬ方角へ、採掘施設ごと飛び去った。
 こうしてオニキスは、採掘施設をまるまるひとつ手に入れた。アジトを作るのに、これほど都合のいいものはない。あとは適当な小惑星を見つけて、そこを掘り返しちゃえばいい。その小惑星が有用な資源を含むものならもっといい。
 でもきっと、もう見つけてあるんだろう。どこかの星系で無価値と分類されてる小惑星の中に、実はえらく資源に富んだ小惑星があるに違いない。これだけの襲撃を成功させた連中だもの、惑星政府か、あるいは連邦政府にまで仲間が入り込んでいるはずだ。
 人質にされることもなく、あっけなく捨てられた人員輸送船の五百八十三人は、連邦宇宙軍をはじめとする捜索隊に発見されるまでの一週間にわたって漂流。死者が出なかったのは奇跡だ。
 奇跡的に命が失われることはなかったけど、連邦宇宙軍の面目は失われた。
 あんな大規模な襲撃を許すとは、軍はいったいなにをやっていたのか、と槍玉に挙げられることしきり。
 それでも、連邦宇宙軍は重い腰を上げる気配なし。
『目下、海賊船の活動領域と見なされる宙域は十三の星系に及び、活動頻度等に顕著なパターンは見出せず。
 また連邦宇宙軍は、惑星国家間紛争の停戦監視、連邦未加盟国家への哨戒にその戦力の大半を充てており、当該宙域への積極的展開は、現在進行中の作戦の継続を著しく困難とするものである。
 海賊行為鎮圧を効果的に実行するためには、艦船および人員の早急な増強が不可欠であり、統合参謀本部の試算によれば、その規模は現有戦力の八倍から十倍である』
 要するに、予算十倍くれたらやってやるよと。
 連邦宇宙軍にしてみれば、いつどこに現れるかわからない海賊相手に泥沼の戦いを繰り広げるなんて、とてもじゃないがやってられない。
 それでも鳴り止まない、非難の嵐。
 当の強奪を受けた宙域を含む星系の政府なんて、自分のことを棚に上げて、連邦宇宙軍を拠出金泥棒呼ばわり。自前の宇宙軍だってなにも出来なかっただろうに。
 で、売り言葉に買い言葉、かどうかは知らないけど、連邦宇宙軍幹部と各惑星政府代表とのやりとりの中で、じゃあクーリエにやらせてしまえという意見が出た。
 民間船の中でもっとも縦横無尽に宇宙を駆けめぐるクーリエたち自身に、自分の身も、積み荷も、出来れば周辺も守らせてしまえば良いではないかと。
 もともと宇宙軍崩れが多いクーリエだ。予算も訓練の手間も省けて一石二鳥。
 もちろん、反対は大きかった。
 そうやって武装した連中が海賊に転身したらどうするんだ。
 クーリエの権限が大きすぎるじゃないか。
 中には、そもそもクーリエってのはなんなんだ、というご質問まで。
 それでも、全クーリエを統率する組織を作って武装と営業の許認可権を持たせるという話になると、政府関係者はみんなうって変わって大賛成。
 そりゃそうでしょうよ。自分たちの天下り先が増えるんだもの。
 あたしも何度かこことやりあったことがあるけど、なんかもう、ザ・お役所というか、利権の巣窟というか、あんまり志高くないのはみんなが知ってるここだけの話よ。
 とにもかくにも、こうしてクーリエは我が身と積み荷を守る手段を持つことになり、船と武器の時代が幕を開けた。
 クーリエの時代が来た。


AGI

 打ち合わせのために通されたのは、ロカイユ調のソファがでーんと据えられた、馬鹿みたいに豪華な応接室だった。
 地上百四十階、湖を見渡す豪華なお部屋。無愛想な会議室でも、殺風景な事務室でもない。その瞬間、あたしは思った。今回は気合入れていこう!がっつりふんだくろう!
 あたしだって、ドレッスラー・アンド・コーヴ・カンパニーが家庭用から軍事用まで、バイオロイドの開発・製造では並ぶ者なき大企業だってことは知ってる。知らなくたって、ビルを見ればわかるわよ。惑星アヤトラの首都に、政府庁舎よりも大きく鎮座ましましてるんだもの。しかも美しい湖の畔、絶好のロケーション。
 でも、だからって、クーリエ相手に大盤振る舞いしてくれるとは限らない。いやむしろ、こういう会社は結構渋い。必要経費がこうで、手数料がこうでと、きっちりきっちり攻めて来る。だから気合い入れていこう!
 部屋の中央にあるソファは脚にも背もたれにも、触れば折れそうなほど繊細な装飾が施してある。
 すっごい高そう。間違いなく、手彫りだね。機械でもそっくりなものは作れるだろうけど、こんなところで安物を使うはずがない。こういうものは付加価値がすべてだ。付加価値の高さで、招いた客を圧倒する。相手に安物と見抜かれたら、その後の交渉でも舐められる。
 つまずいて、転んで、ぶつかって、ここにあるどれかひとつにでも傷なんかつけようものなら、あたしは何年かひもじい思いをしなくちゃならない。あるいはどこかに身を隠して、ドレッスラー・アンド・コーヴ・カンパニーがこの宇宙から消えてなくなってくれることをひたすら祈る。
 案内嬢に続いて部屋に入ったら、驚いたね。沈むのよ、足が。そんな経験したことある?あたしは初めて。
 毛足の長いカーペットが、一歩ごとにあたしの体重を吸収して沈む沈む。モフン、モフン、そんな感じ。
 一張羅のスーツを着て来て本当に良かったわ。いつものジャンプスーツじゃ絶対に浮く。カーペットがどんなに沈ませようとがんばっても、あたしの身体は二メートルくらい浮いちゃうに違いない。
 いつか大金持ちになったら、ジャガンナータ号の床という床にこれと同じカーペットを敷こう。そして毎日モフンモフンいわせて、思い切りセレブな気分を味わおう。あ、違う。それくらい金持ちになったら、引退して、遊んで暮らせばいいんだ。仕事なんかするこたあない。
「社長はすぐにまいります」
 一礼して、案内嬢は部屋を出て行った。部屋に残されたのは、あたし一人。
 改めて見渡してみれば、部屋の中には高価そうな代物がいくつもいくつも置かれてる。
 花を山盛り生けられた一抱えもある花瓶。キャビネットにおさめられたクリスタル。台座に載った壺。台座そのものだって一財産だろう。あるところには、あるのねえ。
 絵が飾られていないのは、部屋の奥が床から天井にまで達する窓になっているからだ。どんなUVカットガラスを使っても、陽の光が当たれば塗料の劣化は避けられない。この辺り、ただのひけらかしじゃない。
 だけど、どうしてこう、お金ってのは偏っちゃうのかしら。お金さんたちは寂しがり屋だから一カ所に集まりたがるんだって、聞いたことがある。そんなに寂しいなら、団体であたしのところに来ればいいのに。まとめて歓迎するわ。
 あたしの仕事が気に入ってくれたら、ボーナスとしてこの部屋の装飾品まるごとくれてもいい。会社側にしてみれば、そんなのたいした額じゃないはずだ。協力するわよ、富の再配分に。
 などと、富の偏在について高尚な考えをめぐらせているところに、重厚なドアが開いた。
「お待たせしました。社長のホラントです」
 太鼓腹をブラウンのスーツにおさめた姿は、いかにもといった感じ。初老というのが相応しいくらいの年齢かな。後ろに撫でつけた髪の生え際は、後退を始めてからかなりの時間が経っているようだ。
 でもね、そんなに威厳のある方じゃない。むしろ人のいいおじちゃんという感じ。
 うん、社長。社長、御自ら登場。異例のことよ。普通はせいぜい中間管理職が出てきて、無愛想にやりとりして、契約書にサインして終わりだもの。短めのスカートで行くと、あたしの脚線美に色目を使って来る馬鹿もいるけれども。
「紅茶でよろしいですか」
 向かいのソファに腰を下ろしながら、社長が微笑む。
「ええ、ありがとうございます」
 あたしが応えると、社長はテーブルの上のインターホンに向かって二言三言。すぐに自走式のトレーと紺色のスーツを着た女の子が入ってきた。
 誰、その?秘書?秘書にしては幼すぎない?どう見たって、十五、六だわ。十五、六の、腰まで伸びた輝くばかりのブロンドが緩やかに波打つ、お人形さんみたいに可愛い。そのが、左手に金属製のフライトケースを下げている。しかも、ハンドルと手首とが頑丈な手錠で繋がれてるから物々しい。
「同席させてもよろしいですか」
 社長があたしに訊いているのは、別に質問じゃない。
「ええ、結構です」
 社長には秘書がつきものだもの、同席するのは構わないのよ。でも社長、その秘書はまずくない?明らかに孫じゃないわよね。二世代隔たっていたって、この社長の遺伝子を受け継いでいたらこうまで可愛い生き物は生まれない。
 別にあたしはいいふらしたりはしないけど、そういう趣味を公開しちゃうのはどうかと思うわあ。こういうスキャンダルで叩かれてる会社、結構あるじゃない。
 そおっと秘書を観察しているのをよそに、自走式のトレーが静かに紅茶を置いてまわった。
「並み居るクーリエの中で、一、二を争う腕前とお聞きしています」
「え、あ、はい」
 あ、いかん。いろんな妄想に頭を占領されてたから、ついうっかり適当に応えちゃったじゃない。礼儀知らずって思われたらどうするのよ。
「ははっ、率直でけっこう」
 よかった、笑ってる。社長の隣に座った秘書もにっこりだ。
 控えめだけど形のいい唇の端がちょっぴり上がる。可愛いわあ。ルージュ、ひいてないわよね。でも、うっすらピンクで艶々してる。リップかグロスだけでも塗ってるのかしら。
「では、私も率直に話させていただきましょう」
 カップに手を伸ばしながら、社長が続ける。
 あたしも一口飲んでみた。美味しい!この茶葉も高いんだろうなあ。
「お願いしたいのは、我が社の新製品、正確にいうとそのプロトタイプの輸送です」
「プロトタイプ?」
「そうです。まったくもって画期的なものです。おそらくうち以外では創り得ない」
「どのような製品なんです?」
 クーリエは積み荷を最適な状態で運ぶために、積み荷について詳しく訊いておく必要がある。とはいっても、クライアントに拒否されちゃったらそれまでなんだけど。
「我が社で開発した人工汎用知能AGIです」
 人工知能。コンピュータ科学者の夢。神学者の悪夢。
 コンピュータの誕生時から、いつか人類は自らの手で知性を生み出すといわれて来た。人間と同じように感じ、人間と同じように学び、人間と同じように考える人間とは別の知性。以来、幾星霜。いまだにそのいつかは訪れていない。
人工知能AIについては、ご存じと思いますが」ホラント社長が続ける。
「今回我が社で開発したAIは、本来の意味の人工知能の名にふさわしい。だからあえて、AGIと呼んでいます」
 能力を各分野に限定したAIなら、すでに特化型人工知能として活用されている。
 医療特化型人工知能MSAI航法特化型人工知能NSAI戦闘特化型人工知能BSAI娯楽特化型人工知能ESAI……。中でもBSAIビーサイは需要も完成度も抜群に高い。
 昔は敵味方関係なくただ破壊と攻撃を繰り返す殺戮マシーンだったBSAIビーサイだけど、いまではちゃんと味方を護りながら敵を倒す。しかも相互戦力から、地形、天候までを変数として取り入れて戦う。デモの鎮圧から、他国の侵略まで、破壊の程度もお好み次第だ。BSAIビーサイを搭載した戦闘用ミミックが十台もあれば、司令官は戦場のど真ん中でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいられるとまでいわれる。さらに支援用の衛星とリンクして使えば、事実上無敵だ。
 しかし、だ。そんなBSAIビーサイでも、いや、MSAIエムサイNSAIエヌサイはおろかESAIイーサイですら、話し相手になってはくれないし、相談にものってくれない。自分の専門分野以外には、『質問の意味がわかりません』の一点張り。
 そのせいか、実はいちばん損壊率が高いのはESAIイーサイを搭載したバイオロイドだそうだ。
 ESAIイーサイってのは娯楽特化型とされてはいるけど、結局のところあれだ、超高級ラブドールだ。見た目も肌触りもまったくもって人間で、最中の反応は本物以上。だけど、ことが終わると無表情な顔で横たわってるだけ。男はこれにいたく傷ついて、バイオロイドをぶち壊しちゃうらしい。
 要するに、まだ汎用性がないのだ、現在のAIには。
 それが今度は、人工汎用知能AGIだという。汎用性があるのだという。
「我々が検証した限りでは、コミュニケーションの点では人間とまったく区別がつきません。おそらく、本物の感情も持っている。数名の心理学者にブラインド・テストをさせましたが、『完全に健康』という診断を下されました」
 でも、そんなに人間に近いAI作ってどうするのさ。
「人間の頭脳の驚異的なところは、まさに汎用性にあるのです」
 まるであたしの心を読んだかのように、社長が説明した。
「人間の脳というのは、処理スピードや記憶力はたいしたことはありません。それでも、あれもこれも、ある程度は出来てしまう。ひるがえってAIはどうかというと、処理スピードや記憶力、正確性という点では人間が足下にも及ばないレベルにあるものの、やはりドメインが限られてしまう」
 のってきた社長は専門用語を混ぜ始めたが、あたしは説明を求めたりしない。あくまでもクライアントの気持ちを慮ってのことだ。決してアホに思われるのがいやだからではない。
「ではそのAIが、汎用性を獲得したらどうでしょう」
 社長は両手を広げた。まるで出資者に説明しているかのようだ。おそらく、今回に限らず、そういう機会は多々あるんだろう。
「これまで単なるエキスパートシステムにすぎなかったものが、ひとつに統合されるのです。個人レベルでは究極のPIMパーソナル・インフォメーション・マネージャー、企業レベルでは究極の工場管理者であり、経理部であり、人事部であり、研究開発部なのです」
 そりゃあ、すごいわ。要するに、一台でなんでも出来ちゃうってことでしょ。
「先ほど、感情があるらしいっておっしゃってましたが、感情は必要なんですか?」
「これが家庭や医療現場に入っていくところを想像してみてください。あるいは人間のパートナーとして存在するAIを。まったく感情のないAIを相手にするのは、とても味気ないとは思いませんか」
 うーん、確かに。
 これまでは、AIを便利なコンピュータくらいにしか思ってなかったからそんなの気にしたこともなかったけど、自分専用の秘書みたいなものになるとしたら、なんの感情もこもらない声で反応されるのはちょっと不気味かも。
「もちろん、過度に感情的にならないようにコントロールはするつもりです。それに、中にはまったく感情を必要としない分野もありますし」
 社長の顔が、ほんのちょっと曇った。軍需部門のことをいってるんだと思う。ホラント社長、あまりそっち方面は快く思っていないのかしら。だとしても、大企業って大変よね。社長の一存で、「戦争反対!だから今日で軍需部門は閉鎖します!」ってわけにはいかない。そんなことしたら、一発で数万人が路頭に迷う。
 人の良さそうなこの社長には、そんなこときっと出来ない。
「あなたにお願いすることにした理由のひとつも、そこにあるのです」
 社長の眼には、少しだけ不安の色が浮かんでいる。
「どこかはわかりませんが、我々のAGIを狙っている会社があるらしいのです。特に、軍需部門からの要請によって」
 なるほどね。実用化出来れば、BSAIビーサイに、MSAIエムサイからなにからいろんなものを統合出来る。戦って、修理して、人間の治療もしてと、戦場で重宝なことこの上なし。もしかしたら戦争心理カウンセラーの役割もしてくれて……、あ、敵兵士を薬物なしで洗脳なんてことも出来ちゃうかも。
 それに、いまはまだ戦術的な判断しか出来ない戦闘用ミミックが、戦略的な判断も出来るようになるかも知れない。
 空恐ろしい。
 戦闘用ミミックに、『この国を滅ぼせ』ってアバウトな指令を与えて、爆弾でも落とすように敵国にばらまいてくればいいのだ。空からばらまけないなら、海から、陸から、侵入させればいい。どう侵入するか、どう目的を果たすかは、ミミックが自分で考えてくれる。
「杞憂に終わってくれればありがたいのですが、万が一のことを考えると、あなたのような腕利きのクーリエにお願いせざるを得ません」
 まあね、どの業界も産業スパイはあたりまえ。中には海賊と手を組んでたり、裏で資金提供してるんじゃないかって噂されてる企業もある。物騒な世の中よ。
「配送先はどちらですか?」
 強奪を仕掛けて来る奴らがいるかも知れないってことがわかってれば十分だ。いかに大企業といえども、どこの会社が怪しいとか、どんな組織が動いてるとか、そういう情報は期待出来ない。むしろそれがあるために振りまわされることもある。
「ザフィネ星系第四惑星、私たちのメインラボがあるところです」
 楽勝、隣の星系じゃない。ちょろいもんよ、一泊二日で終わる仕事じゃない。などと思っているのが顔に出るとまずいので、しかつめらしく、あたしはいった。
「そういったものはメインラボで作られるものとばかり思っていましたわ」
「ええ、まあ、今回は、こちらで出来てしまったというか……」
 さっきまでのプレゼン口調が嘘のように歯切れが悪い。どうした、社長?
 クーリエには積み荷やクライアントに関する守秘義務がある。これは銀河連邦法でも規定されてるから護らなくちゃいけないし、逆にこれによってあたしたちは保護されてもいる。
 でもねえ、クライアントが積み荷について勝手に話すのを無理矢理止めろって法律もないわけだから、耳に指突っ込んで、「わああああああ」なんてやるつもりはない。
「無理にお話し下さらなくても、結構ですのよ」(いいにくい話ほどおもしろいに決まってるじゃない)
「これの貴重さを理解していただくためにも、知っておいていただいた方がよろしいかも知れません」
 さっきから黙って話を聞いている、フライトケースを膝に載せた女の子の方へ、社長はちらりと眼を遣った。
「契約書にもありますように、クーリエには医者や弁護士と同様の守秘義務があります。もし外部に漏れるようなことがあれば、私はクーリエの資格を剥奪され、膨大な賠償金を支払わなければなりません」(あたしだけ、あたしだけだから、ねっ)
「わかりました。お話ししましょう」
「はい」(やたっ!)
「我々ドレッスラー・アンド・コーヴ・カンパニーは長年の間、汎用性の高い人工知能の開発にいそしんできました。ひとつあれば、なんにでも使えるものを。
 ところが、出来ないのです、なにをどうやっても。ここ数年、各特化型AIの性能は飛躍的に伸びているのですが、それを統合したものが出来ず、行き詰まっていました」
 ここまでは、あたしもテック系のニュースで見たことがある。
「それが六ヶ月前、うちの研究員の一人がこれまでとは違うアプローチを試してみたところ、うまくいってしまったそうなんです」
 私も専門家ではないので、と前置きをしてから社長が語ったところによると、この研究員はプログラムを組んだわけではないという。ただ数百人の人間の脳をモデリングして、片っ端から機能分析と初期化を繰り返した。これによって、ノード許容可能性条件を設定する。こうして出来上がった脳の機能化抽象イメージに、ベースとなるAIをインストールして、ひとつひとつ特化型AIの論理思考部分を流し込んでいったんだとか。
 ここまではわかったかしら?あたしはわからない。
 だって社長、専門家じゃないっていいながら難しいことばっかりいうんだもん。いまのだって、社長の話の半分以上は抜け落ちてるわよ。しょうがないでしょ、途中からほとんど聞き流してたんだから。
 ともかく、そうやっていくつかの論理思考部分を入れたところで、汎用性が顕れたらしい。
 特化型AIにも、学習能力はある。そうでなかったら、BSAIビーサイなんてプログラムを書き替えるまで同じ作戦で繰り返し全滅するアホの集団になってしまう。
 しかし、他の分野の学習についてはほぼお手上げだ。『負傷兵を護る』ということを学習することは出来ても、『負傷兵を治療する』ということまでは学習できない。
 人間が陸上生活に縛られているのと同じ。人間も泳ぐところまでは学べるけど、えら呼吸が出来るようになるわけじゃないし、ましてや空を飛べるようにはならない。そもそもの構造が違うからだ。
「もちろん、はじめからなんでも出来たわけではありません。汎用性が顕れた当初は、むしろ他の特化型AIよりも学習スピードは遅かったのです。
 ところが、新しいことを学ばせて、しばらく経つとそれを結びつけて、様々な問題に対して最適ではなくても独自の解を持つようになりました。まさに、人間のようにです」
 なるほどね、ここはわかる。人間のやることはいつも正しいってわけじゃない。でも、とりあえずなにかを判断したり、行動したりする。これが、『最適ではなくても独自の解を持つ』ってことだ。
「しかも、これに要求されるハードウェアはおそろしく小さい。フライトケースに楽々と入ってしまうほどなのです。もともと研究員が本研究の合間に細々とやっていたものでしたので、それほど大がかりな装置は使えなかったんですよ。
 さらに興味深いことに、どうやらハードそのものには依存していないらしいのです。つまり、ある程度のパワーのあるコンピュータなら、プログラムを移すことでAGIにすることが出来るのです」
 社長はまた隣の女の子に眼を遣った。なるほどね、そのフライトケースがブツってわけだ。じゃあ、女の子は?普通、そういう重要なものは屈強なガードマンに護らせるんじゃないの?
 そうでなければ答えはひとつだ。
 いるのよ、時々。小さい頃からコンピュータとか、プログラムとかにめっぽう強い子。
「彼女が、それを開発した研究員ということですね」
 自信満々、あたしはいった。
「いいえ、違います」
 見事に外した。
「彼女にはAGIの管理を任せていますが、開発者ではありません」
 惜しい!とか、残念!とかいってくれてもいいじゃない。
 あたしの落胆をよそに、社長はインターホンに手を伸ばした。
「通してくれ」
 いい終わるか終わらないかというタイミングで、勢いよくドアが開いた。誰だか知らないけど、確実にドアの前で待ってたね。
 大股でつかつかと入ってきたのは、長身で細身の男だった。顔はまだ若いのに、肩まで伸びた黒髪に白髪が幾筋も交じっている。煤けたジーンズによれよれのダンガリーシャツ。見た目、小汚い、いまだからいうけど。
 その小汚いのが、なんの断りも入れずにあたしの隣にどっかと腰を下ろした。
 あたしが心配することじゃないけどさ、会社のいちばん偉い人がお客さんとお話ししてるところにそういう入り方をするのは、よろしくないんじゃないかしら。
「開発者のアーリフ・アル・ワージド博士です」
 と紹介したのは本人ではない。社長だ。
「よろしく」っていおうと思ったけど、アル・ワージドは黙って目の前の女の子をじっと見つめたままだ。
 やばいんじゃないの、この人?
「遅くなりましたが、こちらも紹介しておきましょう。AGIの管理者、サラスバティー・クリシュナです」
「サラで結構です」
 かっわいいわあ、声まで!鈴を転がすような声っていうのかしら。これをね、笑顔で小首を傾げていうのよ。そりゃストーカーもつくわよ。って、あたしの中ではいつの間にか、アーリフはストーカー認定されていた。いけない、いけない。
「どうしてもやるとおっしゃるんですか?」
 サラの声の余韻があたしの耳の中にまだ残っているうちに、アーリフがいった。きれいに掃除したばかりの部屋を、土足で歩かれた気分だわ。悪気はないのよ、でも小汚いのよ。無精髭生え放題だし。
「うちも会社だからね、商品化しないわけにはいかないんだよ。輸送に関しての注意点等があれば、こちらのフェリシアさんに……」
 なんとなく申し訳なさそうにいう社長を遮って、アーリフが声を張り上げる。
「だからって、一度分解したら元に戻るかどうかわからないんですよ」
 アーリフは一応敬語を使う分別はあるらしい。だけど、口調は完全に、『ざけんな、この野郎』って感じ。
「そこは、うちの最高のスタッフが、最高の設備を使って、細心の注意を払って解析するわけだから」
「その最高のスタッフですら理解してもいないものを、最高に凶悪な設備を使って、取り返しのつかない状態にまで分解しようっていうんですよ!」
 ええっと、あたし一人、話について行けてないんですけど。
 対角線上で睨み合う二人の視線を横切るようにして、サラが説明してくれた。
「偶発的に生まれてしまったAGIを、ザフィネの第四惑星にあるメインラボに運んで、どうなってるのか解析しようということなんです」
「コピーじゃだめなわけ?」
 あたしは訊いた。
「何通りもの方法でコピーを試みたんですが、どれも失敗でした。
 ハードウェア自体もまったく同じものを使って、それこそ部品の製造年月日まで同じものを使って試してみたんですが、だめでした。特殊な部品はなにひとつ使っていないのにです」
「おまえはそれでいいのか!」
 社長からサラに向き直って、アーリフがいった。
「ザフィネのサルどもは、わからないからとにかく分解してみようってだけなんだぞ。子供にクォンタム爆弾で遊ばせるようなもんだ!」
 そりゃ危険だ。
 クォンタム爆弾ってのはあれだね、地球クラスの惑星なら一発で粉砕出来る、良い子は使っちゃだめな武器だね。悪い子も条約で使用が禁止されてるね。
「途中でなにがあるかわかったもんじゃないし」
 あたしを横目で見るアーリフは、憤懣やるかたないといった様子だ。
 眼が血走ってるのは徹夜明けだから、ではないわよね。
「僕が創ったものだ」
「そうなんだけどね、とにかくね、会社の資材と時間を使って作ったんだから、所有権は会社にあるわけでね、このことは役員会でももう決定されているんだよ」
 アーリフはサラを見つめたまま動かない。アーリフにしてみれば、AGIを『管理』しているサラも社長と同じ側の人間なんだろう。
 サラもアーリフを見つめ返して動かない。
 いやな沈黙が続いた。こういう揉めごとは、あたしが来る前に片づけといてくれないかなあ。
「わかった、じゃあ、君も一緒に行こう」
 天井を仰いで、困り果てたていの社長がいう。
「君もフェリシアさんの船に乗せてもらって、ザフィネに行こう。それで、君が自分で作業工程を監督すればいい」
 なにがわかっちゃったのか知らないけど、無理よ、それ。
「だめです。人は乗せられません」と、あたし。
「クーリエは人員の輸送に携わることは出来ないんです。今回のサラさんのように、積み荷に対して高度に専門的な知識が必要とされる場合にのみ、積み荷への随行という形で特別に許可されるだけで」
 クーリエは貨物輸送業だ。旅客輸送にはまた別の免許がいる。これを破ると宇宙旅客輸送組合がうるさいのなんのって。
「ああ、そうなのか」
 残念そうな社長。名案だと思ったのよね。アーリフも一瞬反応したように見えたし。
「じゃあ、君だけ別の船で行けばいいんじゃないか」
 あ、それはあたりまえすぎて見落としがちな解決策。
 またしても沈黙。でも社長のいう通り、アーリフに拒否権はない。
「わかりました」
 呻くようにいう。
 それきり黙ってしまったアーリフの横で、あたしたちは報酬額と二日後の出発時刻を決めて、契約を交わした。
 そして部屋を出る時、社長を睨みつけて、アーリフがいった。
「自分の娘が切り刻まれる様子を、たっぷりと見て来ますよ」

軌道エレベーター

 約束の時間ちょうどに、あたしは再びドレッスラー・アンド・コーヴ・カンパニーを訪れた。
 待っていたのはホラント社長と秘書改めAGI管理者のサラスバティー。管理者ってのがいったいなにをするものなのか、あたしにはいまいちわかっていなかったけれども。それから黒服のボディガードが三人。これはいかにもな感じだ。
 だいたいAGIの仕組みそのものがわからないんだから、それをどう管理しているのかなんてわかるはずもない。ただ、サラにそれを管理する、天才的な能力があるのだけは確かだ。でなきゃこんな少女に、宇宙で唯一のプロトタイプを預けるはずがない。
 アーリフはさんざっぱら迷った挙げ句、昨日のうちにザフィネ第四惑星に向かって出発したらしい。向こうでの準備を整えるためだ。いやあ、良かった。宇宙港までとはいえ、またあれと一緒かと思うと気が滅入る。
 ドレッスラー・アンド・コーヴ・カンパニーからは車で空港へ。これがまたえらく豪華な車なのよ。
 最新の重力素子を使っているのはもちろん、広い広い座席にはミニバーつき。いわゆるリムジンってやつ。初めて乗ったわ。こっちはいつものジャンプスーツだから、浮く浮く。だって仕事着だもん。
 空港から軌道エレベーターまでは会社の飛行機で。これもまた豪華仕様。機内では、『軽食』という名の豪華な昼食にあずかった。これも役得だ。
 この間ずっと、社長は『執務室』と書かれた部屋にこもりっぱなし。ドアが開くとかすかに電話してる声が聞こえる。飛行中、ずっとだ。忙しいったらありゃしない。あたしと向き合う席に用意された『軽食』に手を触れる暇もなかったのがかわいそう。あたしは全部平らげたけど。
 客室に残ってあたしの相手をしてくれていたのは、もっぱらサラだ。
 サラは、いまどきの子にはめずらしいくらい純粋な、好奇心のかたまりみたいな子だった。
「クーリエってどんな仕事?」、「おもしろい人にたくさん会った?」、「いままでどれくらいの星に行ったことがあるの?」、「いちばんきれいだった星は?」、「危ない目にあったことはある?」、「それから、それから……」
 話している間にも、くるくると表情が変わる。にっこり微笑んでみたり、眼を見開いてみたり、眉根を寄せたり、唇をすぼめたり。
 いかん、これは惚れる。あたしが男だったら確実に惚れてる。女であっても危ないところだ。
 窓の外に広がる風景を、まるで宝物のようにじっと見つめる。かと思うと、大きな緑の瞳がなにかを探すようにきょろきょろと動く。
 これがきっと、彼女本来の姿なんだと思う。二日前に応接室で会った時も、今日客室に社長がいる間もこんな顔はしていなかった。
 どういう経緯でAGI管理者になったのか知らないけど、きっとあんまり自由な時間なんてないんじゃないかな。もしかしたら、天才で、周りを大人に囲まれて、友達なんていないのかも知れない。
 ああ、不憫。あたしがお姉さんになってあげる。
「AGIの管理って、どんなことをするの?」
 今度はあたしから訊いてみた。
「管理といっても特になにもしていないんです」
 窓外からこちらに目を移して、サラが答える。
「いろんな実験に立ち会ったり、研究者のみなさんから話を聴いたり、AGIに不具合があればそれを伝えたり」
「不具合を伝える?」
「はい、調子が悪いとか、このノードとこのノードの連結がうまくいっていないとか、結合加重に偏りがありすぎるとか」
「わかるの、そういうことが?」
 あたしには単語の意味すらわからない。
「はい」
 サラはこともなげに答える。
「どうやって?」
「わかっちゃうんです」
 わかっちゃうんですか、そんなことが。
 なるほどね。それが、サラが管理者たる所以か。
 世の中には、特別な能力を持つ人間がいる。
 例えば、相手のついている嘘を一発で見破る刑事。
 例えば、巧妙に隠された罠を見つけ出す兵士。
 例えば、エンジン不調の原因をいとも簡単に探り出す整備士。
 実はこの力は、誰にでも備わっているものらしい。人間の脳は無意識のうちに膨大な量の情報を処理し、ほんのわずかな変化を捉えて自分自身に伝えて来る。ただそれが言葉にはよらないものだから、本人にもよくわからず、「なんとなく」とか「直観で」ということになる。
 女が男の浮気を見抜けるのも、実はこの力の表れだ。すぐばれるのよ、そんなものは。
 サラの能力も、そういうものなんだろう。
 あたしが一人納得していると、機長からのアナウンスが着陸態勢に入ることを告げ、その話はそれまでになった。


 軌道エレベーターは、いつ、どこから見ても壮観だ。宇宙から見ると、まるで惑星に突き立てられたサーベルのように見える。刺さっている場所は、だいたい惑星の赤道を挟んで南北三十度くらいの地域。これ以外の場所にも建てられないわけじゃないけど、エネルギー効率が悪いし、力学的に多少の無理が生じる。
 当初の予想と違って、軌道エレベーターは細いリボンの華奢な集合体なんかじゃない。大地に根を下ろしたそれは、巨大なビルか、もしくはパイプのように見える。
 うん、パイプっていうのはいい例えかも知れない。実際それは地上のものを宇宙へ、宇宙のものを地上へ吸い出しているんだから。ただし、そのパイプの直径は二キロメートルを超える。
 よくよく見れば、軌道エレベーターというパイプが一枚の金属板を丸めたものではないことがわかる。それどころか、板状のものなんてどこにも使われていない。パイプの表面は、宇宙船にも使われる特殊合金の繊維を何重にも編み込んだものだ。
 軌道エレベーターは常に細かく、そして同時に大きく振動しているから、いわゆる硬いもので作ったりしたら、あっという間にバラバラに砕けてしまう。
 そして柔軟であることは、安全面にも大きく貢献している。秒速数十キロメートルでぶつかってくる宇宙塵の前では、どんなに硬い金属も無力だ。でも柔軟な特殊合金繊維なら、被害を最小限に抑えることが出来る。そして強度の許容限界を迎えたら、そのユニットごと交換すればいい。ちょうど、パッチワークの要領だ。
 人間や貨物を乗せるエレベーター本体があるのは、パイプの内側だ。外郭パイプの内側にもう一本のパイプがあって、その表面をエレベーターのケージが上り下りする。列車の車両を何倍か太くして垂直に立てたようなケージが、重力素子を使い、レールに沿って動く。
 このあたりまえの風景も、サラには新鮮だったらしい。
 パイプの内側に続く自動走路に立っている間中、頭を思い切り反らして、先細りになって蒼空に消えていくエレベーターを見つめていた。ぽかんと開けた口から白い歯が覗く。もちろん、社長の視界には入らないところで。
「さて」
 と社長が振り向く。サラの表情が業務用に戻る。
「まいりますか」
 セキュリティーチェックを抜けて、搭乗口に向かう。ケージと呼ばれてはいるけど、実際のそれは籠なんかじゃない。列車を縦に連ねたように見えるものだ。地表付近での空気抵抗を考えて、上と下の部分は絞り込まれている。紡錘形っていうのかな。その中は何層ものフロアに別れていて、乗客は地表面に対して垂直向きに、つまりは地上で座るのと同じように座る。
 このケージ内は、上の方がファーストクラス。当然あたしたちが向かうのはそっち。今回はさらにその上のエクセレントクラスだったりする。もはやホテルのスイート並みだよ、これは。
 丸いローテーブルを囲むように配された座席は、移動することこそ出来ないものの、フルリクライニング可能、さらにマッサージ機能つき。その座席に、ボディガード三人とあたしたちの計六人が座る。
 黒服は誰が誰だかわからないけど、あたしたちの方はサラを挟む形で社長とあたしが座った。
 惑星アヤトラの静止軌道上にあるステーション、通称宇宙港に着くまで二時間。ここがあたしたちの居場所になる。社長も黒服も一緒だから、サラもさっきみたいには振る舞えない。すっかりかしこまってお仕事モードだ。つまんない。
 せめてあたしだけでも別の部屋だったら、サラとお話しをしたり、黒服が訪ねて来たり、黒服が訪ねて来たり、黒服が訪ねて来たり出来るのに。これじゃあ、ロマンスが花開く余地もない。
 まあ、仕事だしね。ボディガードなんてサングラスとったらただのおっさんてことはよくあるから、たいして期待しているわけではないんだけど。
 スピーカーから簡単な注意事項と各種案内があり、軽やかなチャイムが鳴って、発進の時刻が来た。
 音もなく、するすると上昇するケージ。加速がほとんど感じられないほど、緩やかな上昇だ。それでもやがて最高速度は秒速十一キロメートルを超える。
 発進時に危険なんてないんだけど、一応みんな座席についてシートベルトを締めることが必要とされている。そして発進後五分もすると、シートベルトを外して自由に歩きまわっていいことになる。ボディガードたちも立ち上がり、部屋の隅にそれぞれのポジションを決めた。
 静止軌道までの中間地点あたりをすぎると、明らかに体が軽くなる。この高度になると、実際に重力が弱くなって来ているし、それに加えてケージの減速が始まってる。そのおかげで、かなり浮いたような感じがするのだ。エコノミークラスは重力素子で一律地上と同じ重力に保たれているけど、ファーストクラスは各部屋ごとにお好み次第。あたしたちの部屋は、重力素子を完全に切って、天然の弱い重力だけが働いていた。
 サラは、もちろん初体験。お仕事モードは崩していないけど、しきりとあたしに眼で合図して来る。
 わかった、わかった。船に着いたらいくらでも話聴いてあげるから。
 サラには新鮮でも、あたしや社長にとっては慣れたもの。こういう時に襲って来るのは、もちろん眠気だ。
 さっき飛行機で食べた『軽食』が消化され、胃の中で睡魔に変わる。
 とはいえ、寝てはいけない。まだ船に着いていないといっても、仕事中であることには変わりない。
 でも、あたしの身体は素晴らしく素直に出来ている。満腹で、することがないとなれば、この戦いは圧倒的にあたしに不利だ。
 そこに、助っ人が現れた。残念ながら、あまりありがたくない助っ人だったけれど。
 軌道エレベーターの旅も終わりに近づき、あと少しで宇宙港というところで、黒服の一人が懐から取り出した銃をサラに向けたのだ。
 こいつ、さっきから位置取りが微妙だとは思ったのよね。他の二人のボディガードからはちょっと離れて立ってるし、妙にサラに近い。その途端に、これだ。
 眠気という敵がふっ飛んだのはいいけど、今度はリアルな敵が目の前にいる。
「おまえたちはうつぶせに寝て、手を頭の後ろに乗せろ」
 黒服が二人のボディガードにいう。
 ボディガード、いいなり。仕方ないわよ、あたしもボディガードもセキュリティーカウンターで銃は預けて来ちゃってるし、飛びかかるには距離がある。
 この黒服も、一緒になって銃を預けてきたはずだ。にもかかわらずこいつが銃を構えてるってことは、あらかじめ用意されていたに違いない。乗務員の誰かに手渡されたか、それともケージのどこかに仕込まれていたか。
 どちらにしろ、協力者がいるはずだ。
「そいつを渡してもらおうか」
 古い映画から盗んできたようなセリフをいいながら、黒服がサラに近づいて来る。右手に握られた銃は、ぴたりとサラの頭に狙いを定めている。
 社長はというと、なかば腰を抜かして座席に座ったままだ。
 あたしからの距離も、少し遠い。およそ二メートル。こういう時、馬鹿みたいに広い豪華な部屋があだになる。
 黒服が左手を差し出して、サラの持っている金属製のフライトケースを要求する。びくついたそぶりを見せないサラは立派だ。
「手錠を外せ!」
 怒鳴る黒服。
「鍵はホラント社長がお持ちです」
 ひるまないサラ。
「ええっ、あ?」
 ひるみっぱなしの社長。
 サラの声で、黒服の眼が一瞬社長に向く。
 その刹那、あたしは両手で肘掛けを押し、同時に脚で床を蹴った。
 重力が弱まってるのを計算に入れてなかったね、黒服。
 地上でなら二、三歩かかるだろうけど、ここでなら一歩の距離だ。しかも宇宙暮らしが染みついた身体なら、この距離は一瞬で詰められる。
 あたしの動きに気づいた黒服が視線を戻す。同時に銃を構え直す。
 遅い。
 その時にはもう、あたしは黒服の懐に跳び込んでいる。
 左手で銃床を突き上げ、同時に右の拳をみぞおちに叩き込む。
 さすがに体を鍛えてあるらしく、ダメージは小さい。
 それでも低重力下での体捌きはこちらが上だ。足払いをかけて薙ぎ倒す。
 ゆっくりと、地上では考えられないくらい大きな弧を描いて黒服が倒れていく。
 倒れながらなおも狙いをつけてくる銃を、左足のヒールが指もろとも踏みつける。これは痛い。自分でやっといてなんだけど。
「ぐおあっ」
 おかしな声を上げて、黒服の動きが止まった。銃を取り落として、右手をかばうように体を丸めている。
 でもそんなの構っていられない。銃を蹴り飛ばして、ついでにみぞおちに爪先を蹴り込む。
 あたしは訊いた。
「誰なの?」
 もちろん、雇い主のことだ。ここで自己紹介なんか始めたら、おもしろいけど、もう二、三発蹴りをぶち込まないと気が済まない。
 黒服はあたしを睨みつけたまま、口を開こうとしない。
 やっぱり簡単には吐かないか。そうだろうとも。下っ端のチンピラとはいえ、雇い主を明かさないのは業界の鉄則。
「だ、誰がいったいこんなことを」
 社長が素っ頓狂な声を上げる。腰が抜けているのか、まだ座席に座ったままだ。
 ええい、襲われるかも知れないっていったのはあんたじゃないか。
 サラが手にしているAGIが唯一無二であり、いまのところ複製不可能という情報をつかんでいるなら、その価値は計り知れない。
 もしリバース・エンジニアリングに失敗しても、ドレッスラー・アンド・コーヴ・カンパニーに先を越されることだけは防げる。
 二人のボディガードが、倒れている黒服を必要以上にきつく羽交い締めにして床に座らせる。
 半分以上さっきの腹いせだと思うけど、こうでもしないと面目が保てないんだろう。
 許してあげる、あたしってば優しい。
 このあと、誰がこの黒服の背後にいるのか、捜査と訴訟の嵐になるんだろうけど、それはあたしの知ったことじゃない。それよりいまは、やるべきことがある。
「動かないで」
 あたしは黒服の銃を拾い上げて、ボディガードたちをまとめて狙った。一人が敵だった以上、他の二人も信用出来ない。身元を確認する必要がある。さっきのを許してあげるのと、信用するのとは別の話だ。
 あたしはボディガードと黒服に、離れた床にうつぶせになるようにいった。寝たり立ったり、この人たちも忙しい。
「サラ、網膜スキャン出来るわね」
 本当は彼女にこんなことやらせたくなんかないんだけど、社長があてになるとは思えない。
「教えてもらえれば」
「あたしのバッグにツールが入ってるから、それを出して」
 ツールというのは手の平サイズの万能端末だ。これ一台で、身のまわりのことは大抵まかなえる。
 サラはいわれた通りにツールを取り出した。あたしの声で起動認証してから、ツールのカメラを順にボディガードたちの眼に向けさせる。あとはそれをドレッスラー・アンド・コーヴのセキュリティーに問い合わせればいい。
 返事が来るまでの間、社長はしきりに水を飲んでは、ハンカチで汗を拭ってばかりいた。
 サラはといえば、フライトケースのハンドルを握る手にしっかりと力を込めてあたしのすぐ横に立っている。あんた、立派よ。社長に見倣わせたい。
「座ってていいのよ」
 というあたしに、
「いいえ」
 と一言だけ返事をして、サラはじっと立ち続けた。
 照会結果によれば、残り二人のボディガードたちは完全にシロだった。経歴、身元、問題なし。例の黒服だけが、身元を偽っていた。
 会社の警備部には、ニセのIDと網膜データを使って入り込んだに違いない。さっき送ったスキャン結果によれば、会社に登録されてる人物とはまったくの別人だ。後日わかったところによれば、これまでに傷害で四回も逮捕されたことのある、華々しい犯罪歴の持ち主だった。しかしそれでも、こいつはただのチンピラにすぎない。
 おそらく受け取ってるはずの仕事の前金も、口座を洗ったってなにも出てこないに違いない。こういう仕事には、いくつもの迂回路を経て、絶対に足がつかないように金が支払われているはずだ。
 そのためにチンピラを雇う。仮にチンピラが口を割っても、雇った張本人はシラを切り通せる。
 奪ったフライトケースをどうやって持ち出すつもりだったのか。きっと宇宙港に船が用意してあるんだろうけど、それを見つけ出すのは難しいだろう。
 嫌疑の晴れたボディガードたちに再び黒服の拘束を任せ、あたしはツールで宇宙港のセキュリティーに通報、同時に管制官に連絡を取って、到着後直ちにジャガンナータ号を発進出来るように段取りをつけた。


「それでは、私たちはこれで。向こうの宇宙港に迎えの者を用意しておきますので」
 両脇をボディーガードに固められ、その周りをさらに宇宙港の警備員にがっちり囲まれて、社長がいった。
 大が三つ四つつく企業の社長が見送りに来てくれてるんだから、本当は破格の待遇といっていいんだけど、この様子を見ると感謝の気持ちも薄れる。
 だって社長、これから連行されていくみたいに見えるんだもの。しかもすがるような目であたしを見てる。会社の命運も、自分のクビもかかってるんだから、わからないでもないけど。
 手錠の鍵を社長から預かって、あたしとサラだけが宇宙港のロビーからエプロンに向かった。
 見送る社長は「くれぐれもよろしくお願いします」と、本当に手を合わせて祈っている。
 簡単なIDチェックを済ませて、ジャガンナータ号へ向かう途中、窓からちらりと船体が見えた。
 すらりと伸びた銀色のボディ。本体から後方に伸びる二本のナセルには最新のQドライブが搭載されている。宇宙を翔る白銀の流星、それがあたしの宇宙船ジャガンナータ号……。
 じゃない。そうじゃない。
 そりゃ、あたしだってそういうお船が欲しかった。でもね、いろんなところに借金して買える程度の船にはそんなものはないのよ。
 だいたい、すらりとしてたら荷が運べないじゃない。お洒落な船体はこういう仕事には不向きなの。そんな船で仕事をしてる連中は邪道なのよ。そんな連中は仕事を選り好みしてるのよ!仕事を選り好み出来るなんていいなあ!
 本当のジャガンナータ号は鈍い赤銅色だ。「木造か?」なんて馬鹿にする奴もいるけど、そんな連中もジャガンナータ号の横っ腹にごく控えめに描かれた、曲がりくねった矢印を目にとめると黙り込む。
 その矢印はエリオネアの小惑星帯を無傷で通過した、数少ない船のひとつであることを証明するものだからだ。
 エリオネアの小惑星帯に挑んで命を落とした船乗りは数知れない。二重星の周囲をてんでバラバラに飛びまわる岩の群は、船乗りの墓場の異名をとる場所だ。
 これには、手に入れて以来施した数々の改造で運動性能を極限まで高めてあるのはもちろん、あたしの操船技術によるところが大きい、と胸を張ってしまおう。
 その各種改造のおかげで、現在のジャガンナータ号は独特の形状になっている。基本の形は直方体。でもブリッジのある前面は中心部が突き出してる。そしてエンジンのある後方までを繋ぐ各辺が、山脈のように各面から張り出している。
 そこからついたあだ名が、『ボックス・フィッシュ』、ハコフグだ。あまりありがたくはないけど、似ていることは否定は出来ない。
 そのハコフグが、エアチューブを介してエプロンにドッキングしているのが、通路の窓を通してちらりと見えた。
 サラがつと足を止める。
 不安か、不安なのか、あの船じゃ?でもあれはね、エリオネラ小惑星帯を無傷で……。
「素敵」
 素敵?いまあんた、素敵っていったの?無敵じゃなくて?
「素敵な船……」
 サラがもう一度ぽつりと呟いた。
 あんたいい子だよ、本当にいい子だ。お金があったらなんでも買ってあげたいくらいだ。いまはないから我慢して。
「宇宙に出たこと、ないの?」
 目頭が熱くなるのをこらえて、あたしは訊いた。
「はい、会社の敷地からはほとんど出たことがなくて」
 幽閉でもされてたの?
「会社の敷地って、あのビルの周り?」
「そうです、大陸の半分くらいまででしょうか」
 ああ、そうなの。敷地って、そんなに広いの。学校も、病院も、映画館も、テーマパークもあるわよね。お姉さん、少し焦っちゃった。
「宇宙に上がる日が来るなんて、夢にも思っていませんでした」
 窓から眼を離し、あたしの方を見て微笑む。真上からの照明を受けても、肌荒れもくすみも見あたらない。どこまでも白く、透きとおるような肌。あんた、ニキビとかで悩んだことないでしょう?
 エアロックを抜けて、船の中に入っても、サラの感動は止むことはないようだった。照明パネル、ドアハンドル、プレッシャーゲージ……、そんなつまらないものまでが、サラの興味をかき立てるらしい。
 そしてブリッジに入ると、サラの好奇心は爆発した。
「あれはなに?」
「姿勢制御モジュール」
「あれはなに?」
「通信パネル」
「あれはなに?」
「マニュアル操縦スティック」
「あれはなに?」
「貨物室モニター」
「あれはなに?」
「火器管制ユニット」
「あれは、あれは、あれは……?」
 こんな調子で、発進手続きが始まるまで、サラはあたしを質問攻めにした。
 この子の偉いところは、あたしが一言、「じゃあ、発進手続きに入るわね」といった途端、口を挟まなくなるところだ。
 あたしが管制官とやりとりしたり、船の各システムの点検をしている間、それをじっと見ているだけで、「いま、なにしてるの?」とは訊いてこない。
 AGI管理者としての能力と、こういう空気を読む能力とは関係があるんだろうか。
 いよいよ発進の準備が整い、あたしはサラに個室に入っているようにいった。
 ジャガンナータ号は客船じゃないから豪華とはいえないけど、船室が四つ備わってる。小さいけど、機械ばかりのブリッジよりましだろうと思ったのだ。
 ところが、サラはいった。
「もう少し、ここにいてもいいですか?」
 宇宙船に乗るの、初めてだもんね。いいわよ。
 もともとは三人でコントロールするように造られていた船を、一人で操縦出来るように改造したものだ。椅子なら余ってる。
 管制官の発進許可とともに、軽いショックがあって、ジャガンナータ号はエプロンを離れた。
 離脱と同時に、あたしは船を百八十度ロールさせた。こうすると、ブリッジの窓から惑星アヤトラが見えるようになる。
 アヤトラには大きな大陸はひとつしかない。あとはほとんどが海だ。軌道エレベーターの地上部分は赤道直下の島にあるから、いま見えているのは海ばかり。その海は、果てしなく碧い。
「……きれい」
 ため息混じりに、サラがいう。そうよね、飛行機から見るのとはまるで違うでしょう。
 スラスターで船を回頭させて、少しずつ宇宙港を離れていく。アヤトラのふたつの月が窓を横切る。
 サラは大きなシートにすっぽりとおさまって、身を乗り出してその様子を見ている。幼いその様子と、紺色のスーツが一昨日よりずっと不釣り合いに思える。ヘアライン仕上げを施された銀色のフライトケースはなおさらだ。
 宇宙港の管制空域を離れたところで、メインエンジン・スタート。はたから見たら爆発的な加速をしているはずだけど、重力素子が緩衝作用を行ってくれるおかげで乗ってる本人にはそんな感覚はない。
 さらに惑星から十分に遠ざかったところで、Qドライブを駆動。惑星や衛星の間近でこれをやると、空間が乱れてどうしたこうしたというのがあるらしい。簡単にいうと、違反切符を切られて、警察の方々にさんざっぱら怒られる。
 前方に現れる小さな光のリング。これが急速に大きくなって、後方へ飛び退る。まるでトンネルに突入したかのようだ。しかしそのトンネルの内側は、揺らめく虹色。Qドライブが作り出す干渉コクーンの光だ。
 その光が、窓を通してブリッジを照らす。あちらこちらに、虹色の光が落ちている。もちろん、サラの顔にも。
 虹色の光を浴びたサラの顔は、まるで妖精だ。かわいらしいったらありゃしない。もちろん色気という点は、あたしには及びもつかないのはいうまでもないけど。
「この先は、しばらくこの光だけしか見るものがないわよ」
 隣の星系とはいえ、ザフィネまでは丸一日かかる。この間はあたしもやることがない。逆にあったら困っちゃう。それはトラブルを意味するからだ。
「わかりました。じゃあ、お部屋に下がっていますね」
「暇だったら、船のライブラリーから適当な映画でも、本でも呼び出してみて」
「はい、ありがとうございます」
 軽く会釈をして、サラは廊下に出て行った。左手に、相変わらず銀色のフライトケースを提げながら。


 三時間後、あたしはサラの様子を見に行った。そろそろお腹の空く頃じゃないかと思ったのだ。もうすっかりお姉さん気分。
 一応インターホンで呼びかけてから中に入ると、サラは狭いベッドの端にちんまりと腰掛けていた。ようやく手錠を外したフライトケースは、そっとベッドの脇に置いてある。
 膝の上には、パッドと呼ばれる超薄型のディスプレイ。テキストを読んだり、映像を見たりするには、ツールよりも大きいこっちの方が便利だ。普段は船室の壁にはめ込んであるけど、必要に応じて取り外しても使える。
「なに見てたの?」
 あたしが訊くと、サラはパッドにタイトルを表示して見せてくれた。
『メタ多重心理学入門 G・ミノイ著』
 あんた、なに読んでるの?
 こういうところを見ちゃうと、やっぱり並の女の子じゃないんだって実感しちゃう。
「フェリシアさんは?」
「ああ、お腹でも空いたかなと思って」
 本のタイトルが放つオーラに気圧されて、危うく退散するところだった。
「わたしは……、はい、そうですね」
 あら、あんまり空いてなかったかしら。あたしは結構きてるわよ。一人で食べるのもなんだから、ちょっとつきあってもらおう。
 ジャガンナータ号に、ダイニングルームなどというものはない。いつも操舵席か、個室で食べる。基本的に一人だからね。
 というわけで、操舵席の後ろ、天板に星図なんかが表示されるデスク型の表示装置をダイニングテーブルにすることにした。
「たいしたものがなくて悪いんだけど」
 といったのは、決して謙遜ではない。本当になにもないのだ。
 オレンジ、ロールパン、クロワッサン、パンケーキ、それからかなり顎を鍛えられそうなフランスパン。オレンジを除けば、炭水化物一色だ。コーヒーか紅茶かは選べます。
 テーブルの上を見て、サラは一瞬固まった。間違いなく呼吸も止めてる。着替えたばかりのノンスリーブのシャツの下で、小さな胸がまったく動いていない。
「フェリシアさん、いつもこういうお食事なんですか」
 いつもではないのよ、いつもでは。地上ではちゃんとしたもの食べてるのよ、だけど、
「だいたいそう」
「だめです!」
 いうが早いか、サラはすたすたとブリッジを出て、キッチンへ向かった。
 なぜだ、なぜキッチンの位置を知っている?このあたしですら滅多に足を踏み入れたことのない禁断の場所を?
 キッチンのドアが開く音がした。軋むようなその音が、いかに使用頻度が低いかを雄弁に物語る。
 キッチンといっても、そこはシェフが腕を振るえるような場所ではない。電磁調理器と、コンロと、小さなシンク、それに指定したものが食料庫から現れる便利な小窓があるだけだ。その便利さに、あたしはあやかったことがないけれども。
 小窓の横のディスプレイに、いまなにが食料庫にあるかを表示させて、サラは睨みつけるようにそれを見つめている。そして、
「八分二十秒ください」といった。
 なんだ、その細かい時間指定は?という間も与えず、サラはあたしをキッチンから押し出してドアを閉めてしまった。
 確かに幅一メートル半、奥行き二メートル半の狭苦しいキッチンではあるけどさ、追い出すことはないじゃない。一応あたしの船なんだから。
 サラはドアを内側からロックして、開けてくれない。そこまでするか!
 船長であるあたしに開けられないドアはないんだけど、そんなところで船長特権を振りかざすのも大人げないから、あたしは仕方なくブリッジに撤退した。
 長い……。
 食べものを待つ時間というのはなぜかやたらと長い。光速で運動する時と同様、食べものを待ってる時にも時間の進み方は遅くなっているはずだ。いつか学会に発表しよう。
 とうとう待ちきれなくなったあたしは、ロールパンに手を伸ばした。
 その途端、
「もう少しですから、つまみ食いしちゃだめですよ」と鉄人シェフ・サラ様からご託宣があった。
 キッチンからも通話出来るなんて、知らなかった。ていうか、あんたどこかで見てるんじゃないの?
 あたしが名残惜しそうにロールパンを見つめていると、廊下に通じるドアが開いて、サラが入って来た。
 サラだけではない、鼻孔をくすぐる、豊かな芳香も一緒だ。そしてトレーの上に、その芳香の主が載せられていた。
「パストラミ・サンドです」
 サラはいった。
「ありあわせのものですけど」
 ありあわせでもなんでも、この船でよくこんなものが作れたわね。まずお肉があったことが驚きだわ。
「賞味期限は、わからないですよ。フリーズドライだから大丈夫だと思いますけど」
 こういう面では、宇宙は便利だ。食料庫の扉を真空の宇宙にちょっと開けば、あっという間にフリーズドライの出来上がり。って、昔デレクにいったら、「そんなわけねえだろう!」って怒られた。
 たぶん大丈夫、という根拠のない自信とともに、あたしはそのパストラミ・サンドにかぶりついた。
 これは、美味しい。
 もしこれでお腹こわしたとしても、文句はいわない。
 あたしは率直に感想を伝えた。でもたぶん、その前に顔に出ちゃってる。
「よかった」
 あたしが食べる様子を、両手で頬杖をついて見ていたサラが微笑む。
 いかん、姉と妹、逆転の構図だ。
「明らかに危険そうなものは、ひとまとめにして投棄するように指示しておきましたから」
 そんなことまでやっててくれたのか、抜かりない。
「ありがとう」
「フェリシアさん、お仕事大変なんだから、きちんとしたもの食べないとだめですよ」
「はあい」
 これでは完全にあたしの方が妹だ。それも出来の悪い妹だ。
「ところでさ」と、あたし。
「料理の腕もそうだけど、キッチンの位置とか、使い方とか、よくわかったわね」
「船に教えてもらいました」
 サラはいたって明るく答える。
「船に?」
「はい。ほとんどの機械やコンピュータは、人間のために作られたんです。だから、人間の役に立ちたいと思ってます。だから、『どうしたらいいの?』って訊いてあげると、教えてくれるんです。みんなそうです」
 まるで親しい友達を見るかのように、サラは計器類を見渡している。
 サラがいっているのは、各エキスパートシステムに適切な質問をすれば、適切な答えが得られるということだろう。この能力が抜群に高いと、エキスパートシステムのエキスパート専門家になる。サラもきっとそんな一人だ。
「あのさ」と、またあたし。
「友達、いる?」
 ああ、訊いちゃった。デレクにも、「おまえにはデリカシーってもんがねえ!」ってよく怒られたっけ。でも正直がいちばんともいうじゃない。
「いません」
 あっさりと答えるサラ。本人は、あまり気にしていないのかしら。
「よかったらさ、あたしがなってあげようか」
 こんないい方はあたしも好きじゃない。だけどそれ以外に言葉が見つからない。いいよ、デリカシーないから。
「友達っていうか、年齢的にお姉さんになっちゃうかも知れないけどね」と、あたしは笑ってみせる。
 サラはしばらく、不思議そうな目であたしを見ていた。見つめられると、吸い込まれそうになる深い緑色の瞳。そして、
「はい、ありがとうございます」
 笑顔が広がる。
 でもね、
「友達に、『ございます』はいらないのよ」
 ちょっと恥ずかしそうに、
「ありがとう」
 それでよし。

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