几帳面な犬とその友達の話
「几帳面な犬タイプ」と友達に思われて、喜ぶ大学生がいるだろうか?
若い頃の苦い思い出を、三十路も半ばに差し掛かったある年の梅雨入り前に私は思い出した。在宅ワーク中の昼休みのことだった。
今も変わっていないのかわからないが、私が大学生の頃は、
「就職活動の基本は自己分析」
と言われていた。どの就活How to 本にも、そう書かれていたと思う。
How to 本によれば、自己分析の手段は種々あった。その中の一つに、
「他己分析」
なるものがあった。
要は、自分を知るために、
「周りの友達に、自分の印象を聞いてみよう」
という教えだ。しかし、普段付き合っている友達に、改めて、
「私ってどんな人?」
と尋ねるのは、多感な年頃の若者にはハードルが高い。そこを見越した就活エージェントは周到にも、他己診断のためのサイトを作っていた。
友達に診断を受けてもらうと、友達から見た自分のイメージがわかるようになっていた。ライオンとかオオカミとかウサギとかいった、動物のキャラクターになぞらえた結果が出てくるようになっていた。
早速私は、数人の友達に診断を受けてもらった。
ドキドキしているのを悟られぬよう、何気ないそぶりで結果を見てみると、ほとんどの友達が私のことを、
「几帳面な犬タイプ」
だと思っていた。
私は目を疑った。私が? 居眠りして質問を当てられたくせに、教授の意見に反対してみせる私が? 授業の遅刻、欠席はもちろん、クラブにだってせっせと通っているのに。
すごく恥ずかしかった。考えてもみてほしい。一人前の大人になったつもりの大学生だ。ダサい制服から開放されて、とにかく周りからカッコ良いと思われたい年頃なのだ。
開放的なキャンパスライフの理想は、「クールなオオカミタイプ」や「ミステリアスな猫タイプ」、あるいは「チャーミングなリスタイプ」あたりではなかろうか(就活サイトにそんな選択肢があったかどうかはわからないが)。
レトルトのかぼちゃスープを飲み、三十五歳の「几帳面な犬」は、だが気付いた。
大学に入学して以来三年間の付き合いがあった友人たちは、見せかけのイメージ戦略などに惑わされず、自分の本質を直視してくれていたのだ、と。
そこそこの進学校だった高校の純朴な同級生達は、私の下手なイメージ戦略をそのまま受けて、私のことを「変わったカメレオン」くらいには思ってくれていたかもしれない。
しかし、ダサい服で入学し、安酒場で泥酔し、初めて朝帰りをして、将来の夢を議論するという、地上で最も恥ずかしいことをことごとく共有してきた大学の同期たちは、私がカッコ良くなく、小心者で保守的な、「几帳面な犬」であることくらいお見通しだったのだ。
屈辱的だと思っていたことが、十年以上経って、実は恵まれていたのだ、と気付いた2021年は、思ったほど悪い年ではないのかもしれない。
「几帳面な犬」は真面目なので、このことをnoteに書くことで、誰かが共感してくれたら良いな、と思っている。
そして、今の若い人や自分の子供が、同じような体験をしてくれることを勝手に祈っている。
但し、これを件の友人達に読まれるのは恥ずかしいし、やっぱりまだ「クールなオオカミ」願望が捨てられないので、Facebookで共有はしない。
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