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初めて書いた小説と永井豪症候群

 わたしが小説らしきものを初めて書いたのは中学二年生のときだ。丁度星真一を筆頭に小松左京や筒井康隆など日本のSFにどっぷりとつかっていたころである。同人誌を作りたかったので、自身の小説や漫画を載せると同時に友人に頼んで無理矢理小説を書かせて集めた原稿用紙を紐で閉じ、表紙の絵を描いて、目次や挿絵、編集後記まで書き(何事も形から入るタイプ)、同級生に回して読んで貰っていた。何冊続けたか覚えていないが、完全に自己満足の世界。でも一冊完成したときの喜びは今も覚えているから、もしかすると書く側ではなく編集の仕事のほうが性に合っていたのかもしれない。
 それはさておき、本当に小説らしい小説は当時国語の先生だった教師に定期的に提出していた創作ノートに書いたものが初めてである。大学ノートに書いて毎週提出し、半年続いたから結構な分量(10000文字くらい)のはずで、内容はSF。大人と子供がふたつの陣営に分かれて戦争をするという物語だった。細かいことは覚えていないが、二十歳までは親子といえども敵味方なので我が子と戦わなければならない親の悲哀、あるいは親と戦わなければならない子供の悲哀を書こうと思ったのだが、なにせチュー坊である。そんな複雑な心境を文章で表現する技量は持ち合わせてない(笑)。
 それでも国語の先生はほめてくれて、もう少しここの描写を詳しくした方が良いとか、戦場で親子が出くわしたときの心理描写が欲しかったとか、色々な観点から指摘をしてくれた。とても参考になったし、励みになったことを覚えている。
 その小説は、とにかく未完にはしたくなかったので無理矢理完結させた。前半に風呂敷を広げたものの、収拾がつかなくなり、ごり押しで終わらせるというパターンである。先生からもよく最後までがんばったね、唐突に終わった感じはあるけれども、と言われた(笑)。
 これを「永井豪症候群」とわたしは勝手に呼んでいる。アイデアは良い、設定も良い、登場人物も良い、魅力的な書き出しで出足は快調、話しがどんどん膨らんで期待が高まる、しかし収拾がつかずごり押しで終わる。このパターンは、永井豪(わたしは永井豪の大ファンです)には失礼だが氏の漫画に多々見受けられるパターンなのだ。
 「魔王ダンテ」は「デビルマン」より前に描かれており、非常に面白い出足でこれからどうなるかというところで切れてしまったし、傑作といわれる「デビルマン」も個人的には後半の急降下に唐突感がある。設定もキャラクターもデビルマン以上に魅力的な「バイオレンスジャック」はコミック二〇巻くらいまで続いた大作なのに最後は滅茶苦茶(バイオレンスジャックの正体は…)。「あばしり一家」も「ハレンチ学園」もしかり。しっかりと伏線を回収して終わった作品は滅多にない。
 なんでこうなるかというと永井豪はプロットをきっちり考えてから描くのではなく、描いてからその後の展開を考える漫画家だからである。このタイプは、出足とフライト中は素晴らしいのだが、着地が難しい。そしてわたしはこのタイプなのである。
 だから基本的に短編しか書かない。というか書けない。原稿用紙一〇〇枚程度の中編であっても、途中で息切れして「早く終わらせたい」という気持ちになり、無理矢理終わらせることになる。
 アイデアだけはいっぱいあるんだけどね(笑)。タイトルと書き出しには割と自信あります。でも短いものしか書けません。noteのクリエイターさんの作品には長編がたくさんあって皆すごいなあと本気で感心しています。
 さて今日から九月。暑さも峠は越えました。張り切っていきましょう!

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