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私の小さな小さな「ランニング人生」の話

これは私自身のとてもささやかなランニング人生についての話である。

すべては「校舎回り」から始まった・・・

小さい頃から長い距離を走ることが好きだった。
小学生の頃、学校のマラソン大会があり、一位ではないものの、まあまあ上位であったし、中学生になってサッカー部に入ったが、当時いろいろと校則があり、それを部活の仲間何人かで破った時にひどく顧問に怒られ、罰として校舎周りを何十周もさせられたが、私は誰よりも多く走ってやるという謎の闘志をかき立てられ、実際罰としての「校舎回り」をしている仲間たちを尻目に、競技としての「校舎回り」を顧問に見せつけた。

「Pラン」に明け暮れた高校時代

高校に入ってからは、私の「校舎周り」は以前にも増して、磨きがかかった。
詳しくは言えないが、私は私立の高校に通っていて、普通科とは異なる「進学コース」なるものに所属していた。
そのコースは、もれなく週3で7時限目があった。(つまり、授業が終わるのがたしか17時とかだった気がする・・・)

そんな中、それを承知で、私はサッカー部に入部した。
前述のとおり、週の半分は7限があったため、私がグラウンドに着く頃にはほとんど練習は終わりかけているといった状況であった。
なんというか、当時高校生の私は、今では考えられないくらい生真面目でやる気に満ちあふれていたので、全体練習が終わった後に、ひとりで校舎周り(Pの字を書くように校舎周りを走るので、当時は「Pラン」と呼んでいた。以下、「Pラン」と書く)を走るということを引退するまでの3年間ずっと続けた。
今思えば、「サッカー部ならシュート練とかもっとやることあるだろ」って思うが、「なんか走ってたほうが頑張ってる感伝わるじゃん」という何とも浅はかな考えによって導かれたのが「Pラン」をひたすら走ることだった。
実際、サッカー部の仲間の中では「毎回走っててえらいな!」というささやかながら賞賛を浴びていた。

愛を呼ぶマラソン大会!その先に待っていたのは・・・

もはやサッカー部ではなく、「Pラン部」と化していた私は、たったひとりの「Pラン部」の部員として、あるとき、獅子奮迅の活躍を見せた。

そう!校内のマラソン大会である。
私が通っていた高校は、私立のマンモス校だったので、男女合わせて1学年500名ほどの生徒が在籍していた。
1年生から3年生まで合わせると約1500名ほどになる。
規模感だけでいったら、そこそこ規模が大きい市民レースとそう変わらない。

結果から言ってしまえば、
高校2年の時、その校内マラソン大会で6位に入った。
1500人中の6位!結構すごい。
頑張った!たったひとりのPラン部!!!
本業であるサッカー部ではなかなかレギュラーも取れず、思うようにいかない部分が多かった。
とにかく自分が得意なことで監督にアピールしようと、校内マラソン大会にはかなり息巻いて臨んでいた。
そんな中の6位!!!
これは監督になかなか良いアピールになったのではないか!

監督へのアピールのはずが・・・

そう思っていた矢先、思わぬ方向から吉報が届くこととなる。

マラソン大会の日の夜、1通のメールが私の元に届いた。
メールの文面に目を向けると、
「マラソン大会かっこよかった!私とまだ付き合う気ある?」
と書いてある。
2ヶ月前にフラれたクラスメイトからのメールだった。

少し時間を巻き戻すこと2ヶ月。
この校内マラソン大会の2ヶ月前、私はあるクラスメイトに告白をしていた。
そして、それはもう見事に振られていた。

あんなに「今朝、〇〇君が夢に出てきたんだよ」とか
「〇〇君と話すの毎日楽しみ」とか言ってたのに、、、
ひ、ひどいぜ、、、
女性のこうした発言にすっかり思い上がりやすい症状は大学時代まで続くのだが、、、

話を戻そう。

前述のとおり、マラソン大会の日の夜、
「私とまだ付き合う気ある?」というメールが私の元に届いた。
「まだ付き合う気ある?」というかなり高飛車な言い方は、今思えばかなり上から目線で、清楚に見えた彼女がその風貌で色んな男を転がしてきたことは一瞬で想像がつく。
現在29歳の人生経験豊富な(?)私であれば、そんな文面を読んだところで、「は?」という一言で一蹴するところであるが、それはまあ置いておこう。

私の答えは一択しかない。

「Yes! 付き合おう!」である。

ちょろい、ちょろすぎるよ。高校生の時の自分・・・。

足が速いとか運動神経が良いとかで女性の気持ちが揺れ動くのは、小学生までだと思っていたが、意外と高校生でも通用するのかという新たな発見があった出来事でもあった。
そして、かなり浮き足立ってはいるが、自分の「走り」が人に感動を与えたのかぁとか、大変のぼせあがった考えを持ったりもしていた。(当時の自分を殴りたい・・・)
マラソン大会が呼び込んだその恋は、全く長く続かなかったが、
今では少し思い出深く、そしてほろ苦い思い出である。
ここから、また私の「ランニング人生」は少し違った展開を見せるのだが。

まあ、それはまた別のお話で。



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