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エッセイ/ノスタルジー

埼玉県にある西武園ゆうえんちがリニューアルしたらしい。気になってヤフってみた結果、僕は次の連休にでも自室でひたすらにNetflixと戯れる友達を誘って、早々に足を運びたくなった。そこはまるで、映画【ALWAYS 三丁目の夕日】の様な昭和の街並みを再現しているテーマパーク。その時代を生きていないゆとり世代の僕からしても、ノスタルジックな空気感が画面越しにホカホカと伝わってくる。

バナナの叩き売りや、東京フレンドパークのバイクのアトラクションでしか観たことのない、何段にも重なるざる蕎麦を担ぐ自転車に乗った出前のおじちゃん。古き良き昭和を生きていない人でも充分に魅力を感じるテーマパークの筈だ。

ただひとつだけ、僕の心をモヤつかせる心配な案件がある。
それはケンとチャコの存在だ。ケンとチャコとは、映画【クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲】に登場する悪の組織。イエスタデイ・ワンスモアの首謀者の二人である。この恐らくカーペンターズになんの許可も取っていないであろう組織は、ストレス溢れる現代社会から逃避し、なにもかもが輝いていた昭和の時代をもう一度取り戻そうと、昭和の街並みを模した都市、20世紀博を建築しノスタルジックで懐古的罠を用いて、大人達を20世紀博に誘い、懐かしさに取り憑かれた大勢の大人達をここで囲っては未来ではなく模造の過去で永遠に暮らそうと企む組織のことである。

詰まる話が、もしかしたら西武園ゆうえんちはイエスタデイ・ワンスモア、もしくはイエスタデイ・ワンスモアの模倣犯が作ったテーマパークなのではなかろうか。
現代社会に疲労を感じている大人達が、踏み入ったら二度と帰っては来れなくなる場所なのではなかろうか。
そう感じた僕は少し身構え、じっくりと考えてからあんよを運ぶか否かを考えた。

懐かしさにも種類がある。
昔好きだった人が纏っていた香水を街ですれ違った他人が偶然纏っていたとき、その香りが鼻腔を通過すると、なんとも言い難い心に穴がぽっかりと空いた様な、香水のせいだよ〜感覚に陥る。
昔住んでた街を偶然に通りがかったとき、その住んでいた時期に体験していた辛酸や青臭い思い出の波がどっとどっとと押し寄せてくる。しかもそれも心の穴にゴボゴボとだ。

秋元康先生がいつしか言っていた。
「音楽は思い出の目次である」
共感性の化け物の様なひとことだ。いちょう並木のセレナーデを聴けば甘酸っぱい恋を思い出し、若者のすべてを聴けば、暑さが居座る思春期の夏の終わりを思い出す。生きていれば色々な場面で曲を聴く。TVやラジオ、スーパーの有線やカラオケ。その度に懐メロにボコボコに殴られる自分のハートが少し気の毒である。

街に繰り出しても、巣篭もりしていても、イエスタデイ・ワンスモアの懐かしい罠がそこいらじゅうに撒き散らされているのだ。懐かしさの感傷の波が押し寄せると、時には涙が流れ、心の穴に溜まったノスタルジーの汗水に溺れては帰って来れない深みに沼ることもある。

思い出というのはより美しく書き換えられ、肉付きよく誇張されたりと、なにかと蜃気楼の様に陽炎揺らめくものだと僕は思う。つきまとう懐古な影が未来へと帆を進める面舵の邪魔をするのはいかがなものかと感じる。

しかしだ。僕は当然過去を生きてきた。
過去が連なる最上階に現在の僕がいる。
そんな過去が作り上げたのが今の僕。
香水で愛を知り、昔住んでた街で強くなり、いちょう並木のセレナーデで優しさを覚えた。
懐かしさを上手に咀嚼することができれば、それは偉大な財産になる。そもそも現在という刻を猛進してさえいれば、街中でノスタルジックに肩をぶつけられても、「おっとっと、懐かしいな。そんなこともあったよな」くらいにしか思わないのだろう。
思い出は弱った心にはグリグリと一喜一憂突き刺ささるナイフになり、血気盛んな心には確固たる信念のバックボーンという大太刀になる。

ノスタルジーは諸刃の剣ということだ。


では現在の僕はその諸刃の剣をどう扱えるのであろうか。すがりつきたい思い出は捨てたくはないし、おっちょこちょいの蕎麦屋の出前のおじちゃんが、転んで何段ものざる蕎麦を地べたに落とすが如く、積み上げてきた過去がドンガラガッシャンと崩れていくのはとても怖い。

心配性な僕は過去を上手く扱えない。

となると、前を向いて未来への一歩を繰り返していくしか方法はないのかもしれない。
振り返ることを上手く扱える様に、奥に深い視野が僕には必要だと感じた。

イエスタデイ・ワンスモアは埼玉の西武園ゆうえんちにだけ生息していると勘ぐった僕だが、彼等は酸素の様に空気中に配合されているの粒子の様な存在なのかもしれない。
そう考えると、常日頃からケンとチャコを無意識に吸い込み、ときどきポッと酸素爆発する形無い幽霊体なんじゃないかと感じてきた。
となると、見えなきゃいないのと一緒。
西武園ゆうえんちに行こうが、原宿に行こうが、リビングに居ようが、ケンとチャコは空気と同化し、ふわふわと風に舞っているのであろう。

僕は深く空気を吸い込み、友達に今度の休みに西武園ゆうえんちに行こうとLINEのメッセージを送った。
すぐに既読がつきメッセージが返ってきた。


「現世に帰って来れなくなるから行かない」

そっか、君もか。

見事に類は友を呼んでいた。


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