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自分にとって大切なものは、自分で守る。



先日SNSを見ていて、流れてきた投稿の中に「バグダッド・カフェ」の文字を見つけた。
大学生の頃に2度3度と見た、思い出の映画。

何度も見るほど心奪われたのは、この映画から
「どれだけ周りにたくさんの人がいたとしても、『この人がいなければ寂しい』ということが、人生にはある」というメッセージを受けとったから。

大学生の頃の僕は、大学の講義にいくけれど、週に数回は映画館に行き、アルバイトをして、本を読みつづけていた。友人とお酒を飲んで、数ヶ月おきに海外旅行に行った。
絵に描いたような、大学のキャンパスライフを送っていたのだ。
とても充実していたけれど、見方によっては、とりとめのない毎日を送っていた部分はあったと思う。だから、映画を見て「僕にとって本当に大切なひとや、ものや、ことは、なんだろう」と思ったのだ。

その頃から、友人たちと賑やかな生活を送るのと同時に、もう一つ大切な時間を持つようになった。
週末掃除して部屋を整えてから、サイフォンでひと手間かけたコーヒーを淹れる。「ほっ」と一息つきながら、安心できる時間をもつ。
綺麗になって静けさを含んだ部屋で料理をして好きな食器を使って食べたり、少しむずかしい本を、少し悩みながら読んだり。
あるいは、1人で鎌倉へ出かけ、花図鑑を片手に花の名前を調べながら、のんびり散歩をする。よく晴れていれば陽光を体に取り込み、雨が降っていれば、雨音を楽しむ。そういう「1人でゆっくり動く時間」が、とても大切だった。

人と関わることは楽しい。
でも人と関わる時間の中では、誰かの言葉に反応して、考えたり話したり行動したりする時間が多くなる。それはもちろん、とても楽しい。けれど「自分の中心から離れていく感覚」もあって疲れる部分があったのも事実。
それが1人になると、外側に反応することが減り、「自分に立ち返る」ことができるような気がしたのだ。

友人との楽しい時間と
1人で1人を感じる時間。
僕にはその両方が、とても大切だった。

時間。労働。余白。

大学を卒業し就職すると、随分毎日が忙しくなった。
力が足らなくてもっと仕事ができるようになりたいと願い、奮闘していた頃だ。やらなければいけないことはいくらでもあって、夜遅くまで働く日もたくさん。
自分の至らなさから「足らない。足らない」という気持ちばかりで、それを埋めるように、仕事の量は増えていく。

そうやって数年過ごしたある日、ふと寂しく感じる出来事があった。

クライアント企業から会社に戻る道すがら、空を見上げたら、いつの間にか秋の夕暮れになっていた。鎌倉を散策していた頃は、もっと小さな空気の変化に気づいていたのに、それにまったく気づかなかった。気づくと秋の中にいて、とてもショックをうけたのだ。

仕事が大事。すごく好き。もっとやりたい。やりがいがある。
それはあの頃も、その時も、今も変わらない。仕事はすごくおもしろい。
でも、仕事は麻薬のようでもあって、
生活の中で、離れられない中毒を起こす。
時間を効率で埋め尽くすことにもつながって、すると他のものが見えなくなってしまう気がする。本来仕事でも活かせるような、仕事以外の感性が失われる。

「資本論」にこんなことが書かれている。
「例えば社長が、社員スタッフを雇う。本当は9時から17時までの時間を購入して、社員に30万円を払うようなことが『雇用関係』だ。でも雇用者はいつの間にか『社員スタッフの人生をまるごと買い取った』と勘違いして、その結果、より長い時間働かせようとする。長く働かせた方が、得だから。
9時から17時までの8時間ではなく、18時まで、19時まで、20時まで。
24時間365日を「自分のもの」だと思でば、遊ばせておくのはもったいないと感じるのも不思議はない

これは「資本家が悪い」とか、「社長が鬼」だとかいうことではなくて、
何より「自分が自分を扱うとき」にも起きてしまうことでは、と思ったのだ。

もちろん、長い時間働き「能力の余白をなんとか埋める」時間は、僕にとって本当に重要だった。
けれど、忙しくしていると「これがなければ、自分の人生が切ない」と思えるような大切な、「ものや人やこと」と接する時間が減っていく。するとそのうち、そもそも「何が自分にとって大切なのか」がわからなくなっていってしまうかもしれない。

散歩中に見上げた空と、白木蓮の木の先。

人生に目を向ける。

「どれだけ賑やかにしていても、その人がいないと寂しい」
「バグダッド・カフェ」をみたおかげで、僕は自分を振り返った。一度仕事に埋没した時間の後には、あらためて定期的に自分にとって大切なものを考える時間を取ることができた。

今は?
まず仕事が大切。コンサルティングを通じて、クライアントさんと出会う。相手と向き合い理解を深め、アイデアを出し、新しいビジネスへと変化を生み出す。創造する仕事で、人とちゃんと出会える仕事だ。クライアントさんの変化を通じて、僕自身も影響を受け変わっていける。人と出会えることが、とても楽しい。
それから、自分がこの世界に提供したい価値を整理していくのも楽しいし、こうして文章を書くのも楽しい。

それから家族との時間。子供が生まれてすぐは特に「今この時期に触れられるのは、今だけ」という先人たちの教訓を大切にして、ずいぶん子供との時間をとってきた。娘が生まれたときには、仕事を15時に切り上げて遊ぶ時間をとっていたのは象徴的。今はもうずいぶん大きくなった。それでも、まだもう少し娘と関わる時間は意識したい。

1人でゆったりと散歩する時間も大切。普段仕事の時間に歩くのとくらべると半分くらいの遅さで歩く。広い公園をゆったりと移動していると、感覚が変わってくるのが面白い。その感覚は仕事にも生きるような気がしている。

大切なものをちゃんと大切にする。
「愛」は抽象的で多義語で、すぐにそれが何かわからない言葉だけれど、その言葉の意味の中に「時間をとる長さ」という側面が含まれていると思う。全てではないけれど、含まれていると思う。
気をつけないと「効率」を求めて、資本論の資本家のように、自分の人生を扱ってしまう。自分に愛を注がなくなる。慎重に自分が大切なものを大切にしなければ、
なにより、感性を開くことは、仕事にだって生きることだから。


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