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字を書くことの意味*

なぜわたしは、書道をしているのだろう。
何度もそう思った。墨をたっぷりふくんだ筆を持ち上げて、真っ白な半紙に、いざ書こうというその瞬間、恒例のようにそう思った。

何度書いても気になる所がある。もう1枚書くことを決める。それを繰り返す。もしかしたら、書けば書くほど気になる所がでてくるのかもしれない。書き始めたがしかし、途中で筆を止めることもある。必然的に、もう1枚。終わりのないことを永遠にやっているのではないかという気持ちになる。
風邪で、身体が重い。そんな身体を支える膝も左手も痛い。鼻がつまる。苦しい。疲れる。なのに、なぜわたしは、書道をしているのだろう、か。
書道はスキ。墨のにほいもスキ。でも、その感覚的なスキって気持ちだけで、辛い想いをしている自分がわからなかった。そんな疑問が頭から離れなくて、書いている時の自分の気持ちを思い返してみた。

李白が綴った漢詩。想いを伝える為の手段だった活字。そんな文字を書き込んでいくと無心になる。そしてある時突然、自分のものになる瞬間が訪れる。同時に、愛おしく思う。わたしは、コトバだけでなく、それを形とする文字がスキなのだ。自分の文字がほしいから、書道をやっている。欲張りな、わたしらしい答えだった。
出来上がった時の疲労感は、満足感と比例していた。これから、表具して、出展になる。展覧会が楽しみだ。

李白の漢詩だけれども、これはもはやわたしの詩である。

wacana*


2015年のおもひで。

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