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結局自分は何者かということ

最近はいろいろなことを削ぎ落とすことに一生懸命になっています。

ライフワークとして取り組んでいる歌うこと。

練習すればするほど、自分の声がわからなくなってきました。

そもそも、なぜ歌うのか。

歌いたいからです。

なぜだか分かりません。

以前、コーチングのワークをしていた時に、「これを禁じられたらつらい!というものを挙げよ」という項目で

私は歌だなと思いました。

鼻歌でも、何でも歌を禁じられたら死ぬと思います。

そう思ったら、死ぬまで歌わなきゃと思ったんです。

かっこよく、上手に歌えるように頑張ってきました。

でも、歌えば歌うほど、歌手のものまねをしても、先生の言う通りにしてもなんかしっくりこないんです。

私は歌ってどうにかなりたいわけじゃないんです。

ただ歌いたいんです。

つまり、多分、自分の中の何かが、歌いたがってるんです。

技術をつけていくのも大事だと思うけれど、まずは自分の中の何者が何を歌いたがっているのか。それを知らない限り、ずっと「何か違う」と言い続けるんだと思います。

いろいろ調べていると、本来の自分の声を出していない人が多いそうです。

歌だけでなく、しゃべる時も。

子供の時から、親の話し方を真似するし、社会に出てからは〇〇らしい声の出し方をします。女らしい、男らしい、上司らしい、新人らしい、天然キャラらしい、できるヤツらしい•••。

日本語と英語をしゃべる時でも声が変わります。

日本語をしゃべる時より、英語の時の方が声が低くなります。

結構違います。

どっちが自分の本来の声かと聞かれたらわかりません。どちらも本当の声じゃないかもしれません。

「結局、自分とは?ということ」
歌の先生が言っていました。
かつて通ったダンス教室の壁にも書いてありました。

表現の道を突き進んでいくと、結局をそこに行き着くのかもしれません。

その入り口にたどりつけただけで、少し嬉しいです。

あおやま みさき

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