椎名林檎を好きな女=メンヘラみたいな
別に音楽的な分析をするとかではなく、ふと思っただけの手記的なものだから、暇つぶしに流し読みしてくだしあ。
先日カラオケに行ったとき先輩が「本能」を歌っていた。それでふと「あれ、ぼく今までじっくり椎名林檎聞いたことないな」とふと思い立ってカラオケから帰ってからはずっと椎名林檎を聞いていた。
椎名林檎は1998年にデビューして現在も活動しているわけなのでめちゃくちゃアルバム多いし全然聞き終わることができない。たぶんまだ4割くらいしか曲としては聞けてないので、椎名林檎の音楽的な話はできない。それはもっと詳しい椎名林檎好きのおじさんたちの音楽評論を読む方が絶対よい。
じゃあぼくはいま何を書きたくてnote打ち込んでいるのかと思うと「椎名林檎を聞く女メンヘラ説」みたいいなのあるじゃないですか?あれってなんなんやろと思って
ぼくは事変から入って椎名林檎を聞いた口なのですが、事変好きとは言えるけど椎名林檎好きとは大声で言い難い風潮あるくないですか?(昨日までそんなに椎名林檎聞いてなかったからそりゃあ好きとは言えないでしょうけど。)だからこの風潮がどこから起こったものなのかめちゃくちゃ気になるんですよね。詳しい人いたら教えてください。
自分なりにも3分くらい考えてみたんですよ。するとやっぱり曲と歌詞の関係性がかなり影響してるのでとは思うわけです。曲を好きになるとき、「歌詞」を判断材料にすることに重きをおいている層は少なくないと思う。音楽のよさは言語化するのが難しく、音楽理論に依存しないと言葉にあらわせないから「なんとなく好きかも、」という感情に帰着することが多い。そこを言葉で表現することを極めている層は変態的な音楽好きの人種だと思う(ほめてる)。
一方、歌詞というのは”日本語”という共通言語を使用している(洋楽はいったん置いておく)。それにより普段は可視化することの難解な「曲の良さ」は「言葉選びの良さ」へと転化しているのだ。これは音楽を評価する知識レベルに達する前に曲の良さを容易に体感することができる。つまり歌詞がよければ多くの顧客を得ることが事実上可能なのだ。
この歌詞と音楽の関係が、椎名林檎の話と何が関連するかというと結局「椎名林檎の歌詞がメンヘラよりなんじゃね」っていうことです。そんなしょぼいはなしするくらいならここまでの話いらんかった。草。
「本能」とかやっぱり歌詞がエロティックと純情の入り混じった女の歌って感じで、女性の憧れをストライクに射ている気がする。ふしだらな影を匂わせてるのに下品じゃない絶妙なラインを悠々と歩き切ってるのがカッコいいのがいいと思う。
ぼくは結局なにが言いたいかっていうと、椎名林檎好きっていうとメンヘラのレッテル張られるの嫌だよね~~~ハハッ
ていうそういうことです。あざした。
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