赤ちゃんがくれたお休み期間【16週6日後期流産③】

流産を回避し、カロナールですっかり体調の良くなった私は、1か月の療養期間を、妊娠・出産前に労働から解放される貴重な人生の夏休み期間として、享受することにした。
 
この間、友達に会ったり、日帰り旅行に行ったりして、仕事のことを考えるのはやめた。
この時点で、いままでの人生、仕事に重点を置きすぎていたと気づいていた。
仕事に戻っても、今まで通りではなく、自分のために仕事を頑張ろうと思った。
 
1ヶ月のブランクはとても大きく感じた。赤ちゃんがくれたお休み期間がそれ以上、長くなると思っていなかったから。
 
職場に復帰できたのは3日足らずだったと思う。

今度の腹痛はカロナールではおさまらなかった。
立って歩くのもつらいのに、午後には出勤できるかもとか言って泣きながら職場に電話した。夫も職場を中抜けして病院に連れて来てくれた。
 

エッセイマンガで読んだやつだ


 
今思えば、この時すでに自分でもすべてわかっていたかのようだが、実際は全く違う。
稽留流産を経験した人、みんな大体そうだと思う。
おなかにエコーを当てられたとき、いつもみたいに「赤ちゃんは元気ですよ~」って言ってもらえると思った。
 
お医者さんは何も言わなかった。
何も言われなかったので、「お腹の赤ちゃんは元気ですよね?」と聞くことができなかった。
何も言われないまま、慌ただしく大勢の医師や看護師が呼ばれて、医師が切り出したこの言葉を私は一生忘れることができない。
「複数人で確認したのですが、残念ながらお腹の赤ちゃんの心臓が止まっています。」
 
自分が悲しいのは当然ながら、こんな悲しい場面に居合わせてしまって、お医者さんにも申し訳ない気持ちになった。

私はベッドで横になりながら、死んでしまいたいと思った。
生きたくても生きられなかった赤ちゃんがお腹にいて、それは失礼だろうとすぐに思い直した。
ランナーズハイ的な何かなのか、その後は、「この経験もきっと仕事に活きるよね」と無駄に前向きなことを夫と話していた。
 
もしものことはあるかもしれないと思っていたが、本当に自分に起きたことなのか?
しばらくは現実を受け止められなかった。
 
そして翌日に入院、翌々日に死んでしまった赤ちゃんを分娩することとなった。
早く会いたいとは思っていたけれど。
妊娠12週以降の流産は死産届と火葬が必要になる。
 
この日、午後から仕事に行こうとしていたとか馬鹿か私。
赤ちゃんにも夫にも申し訳がなかった。
夫も同じようなことを考えている気がして、お互いに決して自分を責めないようにしようと約束をした。


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