渋谷にて、ヤンキー気質な神とサロメが出会う。
「やりたいならやればいいじゃん。」
最初にいただいた、大島での言葉。
沢山の人と出会い、沢山の言葉を頂いている。
沢山与えてもらったのに良いものは全て受け取りたいのに、吸収しきれない私に悔しく思う。
未熟な私に、それでも側にいてくれる人がいて教えてくれる人がいる。
昨日はkさんと沢山話をさせていただく機会があった。
昨週、アーティストさんに会いにギャラリーに行った際にたまたまお知り合いになったkさん。
気さくに声をかけてくださり「来週もいるんで、来てください」とお誘いをいただいたのでもっと話してみたいと思い、会いに行った。
「究極言っちゃえば、俺が神だもん!」と言ったkさん。インパクトがデカかったのでもうタイトルに使わせてもらった。
沢山話すぎて…こんな事を話したとか書けない。
もう挫けた。
とりあえず「愛だよ」と言われた。
鎌爺みたいな事言ってんな。
知識が足りない、だから沢山人と話したい、もっと聞きたい。今まで自分の事ばかりだった私はどう聞けばいいのか分からなかった。
率先して沢山の事を教えてくれた。
人って自分から自分のことそこまで教えてくれないと思うからその時点でもうめっちゃ優しい。
「どんな人生を歩んできたの?」それが聞きたかった。
沢山話して情報でいっぱいになってしまって、遂にはヤニクラを起こしてしゃがみ込んで、私は恋人とkさんの会話を聞くだけにした。
うう、クラクラするしどんな風に聞き出せばいいのかも分からないし、見上げてるから首痛え、良いなあ凄いなあ、2人とも頭が良いからこんなに会話が成り立つんだろうなあ。
と、ふてくされていました。
もう!とりあえずどれを覚えておけばいいの!
「気づいていけばいいよ」
と、言われた。
帰り、私はヤニクラでくたばっている間の2人の会話を思い出していた。
「どう思いますか?」
kさんは何度もそう言っていた。
「俺はこう考えてるんだけど、でもこういう事もあるじゃん?これってどう思いますか?」
繰り返してた。
私に1番分かりやすいように、何度も同じ言葉を使って、教えてくれてたのだ。
シンプルにその言葉だけでも良いんだ。
エゴという言葉はネガティヴだからあまり使いたくないけれど、究極のエゴだよ、愛は。
「愛だよ」
未熟で、幼い、私に気づかせてくれた。
こうすれば良いんだよ!って見せてくれてた。
これが愛なんだなあ。
やっと「愛だよ」の意味に気づいた。
愛されているのだと感じて勝手に涙が出てきた。
いつもみたいに、苦しくてつらくて出る涙じゃなかった。
フランス人のアーティスト、アレックスと出会ってから1日1ドローイングをしている。
昨日は「サロメのような欲望を描きたい」と思って描いた。
(オスカーワイルドの「サロメ」という聖書に基づいた戯曲。片想いを拗らせすぎて最終的に好きな男の首をとり、自分も殺されてしまう女の話)
私はサロメが好き。残虐で愚かな女を美しいと思う。
「孕ませたい。縛りたい。
四肢をもいで、磔(はりつけ)て私だけのものだと見せつけたい。
その欲望は愚かだ。その先は貴方の愛した人はいない。それはあまりにも虚しい。
彼女も分かっていたはずだ。
ただ、
愛していたから、辛かった。
どこにも行かないで。私を見て。
貴方を愛しているのは私なのよ、気がついて。
それ程愛されたいと、願っていたのでしょう?
それが貴方の心なのね。
残虐の奥にある、貴方の悲しみを弱さを私は美しいと思う。
そんな貴方を私は愛している。」
愛されていると感じた時に涙が出た。
それは私も愛されたかったからじゃないか。
私もサロメと同じ、愛される事を願っていた女だったんじゃないか。
私も愚かで弱い女だったね。
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