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【シリーズ】明るい親子創造計画!Vol.1

こんにちは!
突然ですが、私、おそらく毒親育ちです(笑)子どもの心を傷つけることに罪悪感がない親でした。笑えない!と思ったそこのあなた!大丈夫です。母と疎遠になって4年、徐々に消化が進んできました。
母は2021年で74才。このnoteは母の生きた記念として娘の私が話せる範囲の彼女の名言を、思い出を交えながらしたためました。全13回!では記念すべきVol.1始まります!

「仕事が乗りに乗って楽しくて仕方ないときにアンタができた」

 母は20世紀にしては出産が遅かったです。私を34歳4か月で出産。26歳で結婚したので、父の単身赴任、父の不妊治療を経て、妊娠まで約7年を要しています。母が私を授かったのは、もうすでに「子どもが欲しい」というモチベーションのピークを過ぎており、
「仕事が乗りに乗って楽しくて仕方ないときにお前ができた(妊娠した)」
とよく言われました。その後は決まって産休後すぐに復帰したことや育休制度がなかったことなどの話になりました。「育児が大変だった」(父親が育児をしないとか、子育てに関する制度の未整備)ということを言いたいのかもしれませんが、冒頭のフレーズしか私の脳裏には記憶がありません。

 これはつまりその、「もう諦めてDINKSでいいや!むしろその方が身軽!お金も使い放題!」と思って切り替えたところに私を妊娠。もしかして私って間が悪い子だった?
でもそれを本人に言わないでよ~~~!ブーブー!(ブーイング!)

ドロシー・ロー・ノルト氏の名著「子どもが育つ魔法の言葉」より
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

マガジン形式で作成していきますので

今後もよろしくお願いします^^

vol.2はこちら!



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