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きょうだい児

息子の障害で、息子にとって姉・妹、妹の3人に精神的負担をかけたことは沢山ある。
それは3人の姉妹それぞれ違う形だと思ってる。

長女は、もともと大きな音に過敏で罵声や捲し立てる声を聞くのが苦痛だ。
息子が癇癪を起こしたり、苛立ちを全身で表現する時の怒鳴り声は、長女にとって耐えられないものだったと想像する。
特に息子が思春期になってからは、家の中を殴って壁に穴を開けたり、私と怒鳴り合いの喧嘩をしたりと長女には負担をかけすぎてしまった。
だから、去年家を建てた時、一人暮らししている長女も一緒に暮らせるようにと夫は考えたけど、長女からは1人が良いと言われた。
弟とは無理だとも。
長女は何にも縛られず、それこそ親兄弟というものにも縛られず我慢もしなくて良い生活を選んだ。
それで良い。
長女は長女が故に幼い頃から我慢を強いてきてしまった。
それは私の心からの反省点でやり直せるものならなり直したいほど、後悔でしかない。
だからせめて大人になった今、長女は自由に思うように過ごしやすいカタチで暮らして欲しい。

そして、次女。
次女はどちらかと言うと息子と1番距離が近く、すぐそばで一緒に過ごしてくれた子だ。
息子と一緒に駆け回って遊び、虫取りやザリガニ捕り、カード遊びなどなど。
だけど、息子はいつも自分が有利じゃないとダメ。
カードゲームとかはズルばかりしたり、勝手に兄ちゃんルールになったりと自分勝手になってしまう。
それに負けず嫌いな次女なのに、息子の特性を無意識のうちに理解するしかなかったから、我慢したり、息子ルールを受け入れた。
息子の次女に対する最大の罪は、お小遣いをもらっても使わずためていた次女の貯金箱を、隠したり、わかりにくい貯金箱にしても探し当て、中身を取ってしまうことだった。
それは泥棒だと何度教えても、息子の「欲しい」という衝動を抑えることは難しかった。
ただ、次女は今でも息子の扱いが1番上手かもしれない。
息子の自尊心を傷つけず、持ち上げながら舵を取る。

当時、発達障害という言葉さえ社会的に登場していなくて、癇癪持ち、マザコン、泣き虫、泥棒、我慢できない、ワガママというレッテルが貼られていた。

それから何年も経って三女が生まれる。

三女は発達障害についての知識もなんとなくではあるけどメディアや学校で知ることが出来ていた。
だけどまだ小学校低学年の頃、息子が入院する前、家で暴れたり問題行動がとても多く、三女は指先の皮をめくるようになってしまった。
爪を噛むではなく、爪の周りの皮を剥く。
指先はボロボロだった。
毎晩クリームを塗ってあげても、精神的な不安が原因と思われるその行為は止まらなかった。
障害者支援センターの方たちに相談して、三女も何かしらの支援に繋げてはとなったとき、息子は家で暴力を振り、警察に来てもらい医療保護入院するため、そのまま精神科に連れて行ってもらうことになった。
数ヶ月の入院を経て、家から車で1時間離れたところにあるグループホームに入所する。
三女の指先はそれからかなりの時間がかかって良くなっていった。
そして今、三女のだらしなさやちょっとした欠点を見つけると、誰にも口を挟ませないような口調で捲し立て、なんか間違ったこと言った?と自分が正しいと言わんばかり。
三女は悔しいけど言い返しても無駄だし面倒だからと思いながらもやっぱり悔しくて涙が出る。
そうなると弱るのは息子。
まさか泣くなんて、そんなつもりはなかった、今度一緒にカラオケ行こ(機嫌取り)となる。

三女にとって、息子が無神経なことを私に言ったりすることが嫌だと。
それは三女の私への思いやり。
息子は無神経なのではなくて、本当のこと・思ったまま・見たままを口に出してるだけで、私を責めたり悪気があるわけではない。
でも悪気がないからって何でも言って良いわけじゃない。
それで許されるって何か違うと思う。
って三女は少し不満。

理解してても難しい。
それはわかる。とても。
私だっていまだに、理解してるはずなのに息子の言動に腹が立つことがある。
理解と感情って伴わないね。

私たち夫婦は、息子がこれから先、生きていく道を作っておかないといけない。
私たちが死んだ後、姉妹の手を借りることだけは避けたい。
きょうだいとはいえ、それぞれの人生がある。

今は一緒に暮らしているけど、夫が定年したら息子はグループホームに入所し、そこから作業所に通所するよう話をしている。
障害年金の管理や生活に関しては、それぞれ専門の支援を受け、息子は生きていく。

きょうだい児という言葉は、正直、私は最近になって耳に目にするようになった。
でも、世の中のきょうだい児がどれだけ負担がかかっているか、我が家を通して考えても理解できる。

一人で生きていくことが難しい息子の生活と幸せを願い、その道を作りつつ、きょうだい(3人姉妹)の幸せも願う。
それぞれがそれぞれの道で、きょうだいの負担や責任を負わなくても良いように私たちは考えなければいけない。

4人の子供たちが幸せになれるように。
息子の幸せが何なのか、どう生きることが幸せなのかも考えないといけない。
息子の思いもちゃんと届くように、聞きもらさないようにしたい。

きょうだい児。
世の中のきょうだい児が、自分の道の中で幸せになれるように。
障害が悪いわけじゃない。
それも忘れちゃいけない。
どんな子供たちも幸せになれますように。


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