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「県民、密告は義務です」「帰宅したい?罰金な」~日本列島から自由が消えた日 ”私権制限に慎重な戦後日本”の緊急事態~

総員自粛せよ!

 西暦2020年、世界は立憲独裁の炎に包まれた。陽気なホームパーティを阻止する為に警官隊が突入し、マスクを着用しない人間は異端審問の後に反則金切符という十字架を背負う。あらゆる権利自由は消え去り、世界はマッポーめいたアトモスフィアに支配されている。我が国においては、普段は「私がモテないのはどう考えても憲法が悪い」と言わんばかりの某与党も、「改憲だけはせんといてくださいよ(CV沢城みゆき)」な某野党も、こうした立憲独裁の春に口をポカンとしながら、仲良くドン引きしている事もあり、そこまでには至っていない。それでも呪符のように飲食店に張られている「臨時休業中」の張り紙達は、これまで私達が本来享受する事が出来たはずの権利と自由が失われてしまった事を如実に教えてくれる。
 そんな中、とある言説が賞賛されたり、批判されている。すなわち「日本の憲法には緊急事態条項が無いから〇〇であり、○○である(好きな言葉を入れよう!)」であると。それが正しいか間違っているかは、この記事では言及しない。確かに第2次世界大戦後に成立した憲法典で緊急事態に関する規定を設けないものは少数派となりつつあるが、セクシー&捨てスプーンこと某環境大臣の父君が言ったように「人生いろいろ、会社もいろいろ」、そして国家もいろいろである。毎度毎度下らない前振りであるが、今回は極東の島国、日本国が緊急事態下でどのように国民の権利と自由を制限してきたかをご紹介しよう。残念ながら今回は戦時下のネタはご紹介できないが、近々ご紹介できる予定である。我々か、もしくは隣人が賢明でないならば、だが。

緊急事態のテーマパーク、日本国

千葉県浦安市で起きた液状化現象(内閣官房)

  画像出典:内閣官房ホームページ 東日本大震災での液状化現象

 皆様もご存知の通り、我らが皇祖神である天照大御神は、高天原にあるコストコで仕入れた災害を日本列島という鍋にレシピも見ずに放り込んでくる。暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震、津波、噴火、地滑り、最近は感染症の蔓延がデカい面をしている。ここまで惜しみない自然災害のフルコースに見舞われる国もそうあるわけではない。
 同じ島国であるイギリスと比較してみよう。イギリスには日本の災害対策基本法のような防災や災害対処を包括的に定めた法律が、驚くべき事に2004年まで存在してなかった。戦時以外の緊急事態を想定した法律としては、1920年国家緊急権法(Emergency Powers Act 1920)が一応存在していた。この法律は、生活必需物資の確保の為に必要となるあらゆる措置を可能とする規則を制定する権限を国王に付与するものであり、2004年の廃止までに12回(貴族院報告書)も発動されている。しかしながら、その全てが「労働組合によるストライキ」に対して発動されている。1920年から2004年の84年間に日本を襲った大災害の数々を思い出すと、何とも羨ましい話である。だが、残念ながら日本人全てが未来永劫飢えずに済む価格で日本列島を買い取ってくれるあしながおじさんは現れそうにはない。
 自然災害だけでなく、「人為的な災害」の脅威も無視できないものとなっている。個性的で退屈させない隣人達――あちらも同じ事を思っているだろうが――のお陰でアジア太平洋地域は無数の信管を突き刺した爆弾のようになっており、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼するには些か困難が伴う時代になりつつある。日本を舞台にした戦争がフルカラーで記録される時代もそう遠くはないかもしれない。だからといって、永代供養の墓を探し始めたり、「国なんてあてにしちゃだめ、自己防衛」と投げやりになるのはまだ早い。我が国はこれまでも様々な緊急事態を経験し、今日に至っているからである。

これまでのあらすじ(長いから「一夜明ければ消費は悪徳」まで読み飛ばして良いよ)

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               画像出典:米海軍歴史センター(Naval Historical Center)

    西暦1945年8月15日、「天皇はそんなこと言わない」と言わんばかりに、推しの裏切りに発狂した一部の軍民を除けば、多くの日本人は日の丸から赤色が消えて、白旗に変わった事をあっさり受け入れた。昨日まで鬼畜米英と呼んでいたグラサンヤンキーを神棚に迎えた日本国民は、かねてから世界平和と民主主義の発展を願っていた事を突然思い出し、自国の憲法典である大日本帝国憲法に訂正線を入れる作業を始めた。しかし、不出来な生徒の答案に激怒したグラサンヤンキー御一行様はオールドリベラリストから抜き取った血で赤ペン先生を始めてしまい、全く別物にしてしまった。基本的人権の尊重、平和主義、国民主権を主軸とする「日本国憲法」の誕生である。しかし、この憲法には国家緊急権、「戦争、内乱その他の原因により、平常時の統治機構と作用をもっては対応できない緊急事態において、国家の存立と憲法秩序の回復を図るためにとられる非常措置権(佐藤幸治)」と呼ばれるものの規定が存在しないとされており、長年議論の対象となっている。何故日本国憲法に国家緊急権が何故盛り込まれてないのかを説明するよりも、まずは大日本帝国憲法にはどのような国家緊急権が規定され、どのように行使されたかを簡単に解説しよう。……読み返すと結構長いがご容赦願いたい。

①戒厳(憲法第14条)
 戦時や事変に際して、地方行政権又は司法権の一部又は全部を軍の権力下に移す緊急権である。なお移される権限には立法権は含まれていない。
戒厳司令官は戒厳地にあっては極めて広範な執行権が認められている。具体的には昼夜を問わない令状なしの住居への立入りや集会、出版の差し止め、陸海交通の停止があり、「兵力専制政治の設定(美濃部達吉)」とも呼ばれる権利の大幅な制限が可能になっている。一方で大変使い勝手の悪さが目立つ緊急権でもあった。というのも、憲法には「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」と極めてシンプルに書かれているだけで、具体的な部分は法律に丸投げされていた。この法律とは「戒厳令」を指し、太政官布告でありながら法律とみなされていた。明治15年に制定された以上は化石も同然であり、陳腐化は目に見えてた。しかし、結局は明治19年に一回改正しただけで、そのまま敗戦を迎えた。何故改正しなかったのか。理由は簡単、戒厳令が帝国議会の協賛が必要になる「法律」だからである。国民の権利を大幅に制限する法律である以上は、改正にあたっては極めて激しい議論が巻き起こるのは必然であった。大正デモクラシーの際には実際にそうなっている。山崎正男元陸軍少将は、戒厳令の陳腐化を認めながらも、「改正を企図すれば必ずや骨抜きになり(中略)若干の不便は運用に依り之を補うこと」と記している。そして、案の定戦時・事変にあたる日清・日露戦争には対応できても、関東大震災や日比谷焼き討ち事件、226事件のような大災害や騒擾事件には対応できなかった。緊急勅令による戒厳令の適用である「行政戒厳」という無理やり感溢れる発明に頼る羽目になってしまったのである。究極の緊急事態である太平洋戦争でも発動は検討されたものの、無責任を組織文化とする陸軍は消極的な姿勢を見せており、最終的には発動には至らなかった。戦後の憲法問題調査委員会でも、憲法上の戒厳規定の廃止を求める意見が相次いでおり、憲法改正案(乙案)では戒厳は削除されている。GHQの介入前である事を考えると、戒厳という緊急権への評価を察する事ができる。

②緊急勅令(憲法第8条、第70条)
公共の安全の保持し又はその災厄を避けるために、本来であれば帝国議会の議決を必要とする事項を天皇の勅令のみで定めることができる緊急権である。一言で言えば「デスクトップに張り付けてるショートカットキー(パスワード有)」だ。緊急勅令には第8条、第70条に基づくものがあり、その効果と制約は下記のとおりである。

第8条
(効果)法律の制定又は改廃
(制約)帝国議会の閉会中であることが必要。次の会期にて帝国議会両院の承諾を得ない場合、将来に向かって失効する。

第70条
(効果)予算の変更や国債の発行など
(制約)内外の情形により、臨時議会が召集できない状況が必要。次の会期にて帝国議会両院の承諾を要する。

双方とも事前に枢密院に諮詢する必要があり、内閣の一存では出せない(ここが政治問題化したのが台湾銀行救済問題である)

 法律に代わる命令、いわゆる「緊急命令(代行命令)」はフランスの1814年欽定憲章から生まれた制度であり、令和3年現在でもスペインやスイス、イタリアなど多くの国々の憲法典に存在している。議会の立法措置を待つ余裕が無い緊急事態というのは、今日でも容易に想定されるからである。しかし、同時に議会を回避する為だけに緊急命令を濫用するケースも複数存在している。伊藤博文も憲法解説書である『憲法義解』では、緊急勅令については「憲法が最もその濫用を戒めている」「憲法の中でも最も疑問の多い條章である」と述べており、当初から濫用が危惧されていた。1928年の治安維持法の緊急勅令による改正は濫用例の最たるものであり、両極端の憲法学説を唱える上杉慎吉と美濃部達吉が共に反対し、昭和天皇が裁可を渋るほどには違憲性が高いものであった(ただし帝国議会は事後承諾を与えている)。
 昭和21年までの緊急勅令は107件(増田知子)だが、内訳を見ると面白い事がわかる。明治期間が最多の46件、大正期間が35件、昭和期間が32件となっている。このうちに昭和期間に注目すると、太平洋戦争中には1件も出されておらず、しかも半数以上(17件)が敗戦後に出されている。緊急勅令が年々減少している背景にはやはり使い勝手の悪さがあるだろう。議会閉会中――議会の会期は3ヶ月しかないが――にしか使えないし、帝国議会の事後承諾は不透明感が強いからだ(不承諾とされた例は少なくない)。更に枢密院というお上品な時代錯誤共に事前にお伺いを立てる必要があり、この点が特に嫌われた。関東大震災では枢密院への諮詢が間に合わず、その違法性が追求されている。何事も「急がば回れ」という事なのだろうか。

③非常大権(憲法第31条)

 「何のためにあるんだ、これ」。当時の学者達を最も悩ませた緊急権が非常大権である。天皇が戦時又は国家事変の際には国民の権利及び義務を停止する緊急権であるとされるが、戒厳(憲法第14条)との差異が不明瞭だったのだ。戒厳では対処できない事態に対応するためと説明する学者(穂積八束)もいたが、その学者も憲法の変更又は停止までは認めていないと解釈していた何のためにあるんだ、これ。騒擾事件での治安出兵――知事からの請求に基づく事が多い――の根拠とする学者(美濃部達吉)もいたが、結局のところ一度も発動されなかったので正解は分からずじまいである。

 憲法上の緊急権は時代を経る毎に使われなくなり、太平洋戦争ではその影は限りなく薄くなった。それでは大日本帝国はどのように戦時に対応したのだろうか。その答えは、帝国議会が協賛する「法律」にある。政府は法律から予め委任された権限に頼ったのである。例えば太平洋戦争勃発直後に制定された「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」という法律は、「戒厳に代って戦時下における安寧秩序の保持という大使命を荷っている(宮沢俊義)」と説明されており、使い勝手が悪い戒厳を法律が代替している事がわかる。こうした戦時立法は地方長官(府県知事)に権限を付与するものも多く、多くの面で実務的であった。ただ疑問が浮かぶ人もいるだろう。何故戦時という究極の緊急事態でわざわざ審議に時間が掛かる法律からの委任を政府は求めたのだろうかと。理由は先程挙げた実務面もあるだろうが、憲法が保障する国民の権利は、帝国議会が協賛する法律によってのみ制限されるとする「法律の留保」という当時の権利概念――議会に信頼を置く「法律の留保」は欧州諸国でも一般的だった――にあるかもしれない。帝国議会が障害となるなら、最初から話を通せばいいじゃんというわけである。国家総動員法制定時の議論では、緊急勅令や非常大権での対処を求める議会に対して、近衛首相は次のように答弁している。

「一朝有事の時に或いは緊急勅令として或いは非常大権などによりまして総動員の実施を行うということよりはあらかじめその大綱だけでも議会の御協賛を得て法律として制定し置く方がむしろ立憲の精神にかなうのではないかという風に考えております」

 更に本土決戦を目前に控えた戦時議会、「白紙委任状」であると批判されていた戦時緊急措置法案の審議中、鈴木首相は次のように釈明している。

「憲法上重要な政治上の機関である議会即ち国民の意思を代表されている諸君と共に、謂わば政府と国民に一体となつて、此の非常時局に処して行きたいと考へた」

 この二人の首相の答弁自体は「独りぼっちは、寂しいもんな。一緒にいてくれよ(上から目線)」という責任回避の論法以外の何物でもない。しかし、現実からの敵前逃亡を戦陣訓としていた戦争指導層さえも、国民全体の協力を獲得する装置としての「帝国議会」を完全に無視した国家総力戦は現実的ではない事を理解していたのである。
 さて、ここで戦後に話を戻そう。日本側が総司令部の案を基軸に作成した「3月2日案」では、明治憲法の緊急勅令(憲法第8条、第70条)に相当する規定が盛り込まれ、それを総司令部が拒否した逸話は有名である。総司令部は日本側に2つの方法で緊急事態下に対処するように求めた。
 まずは「法律の委任」である。第2次世界大戦下のアメリカは、親父であるイギリスよりかは遥かにマシではあるが、独裁的とも言われる経済統制や検閲などが許容される「戦時下」という名の地獄であった。この地獄は、連邦議会が総司令官である大統領に極めて広範な権限を認める法律を制定する事で作り出されていた。大統領権限の強さとして例に挙がる事もある、日系人の強制収容を定めた大統領行政命令第9066号においても、後に連邦議会が制定した法律(Public Law 77-503)が無ければ有効に機能しなかった。憲法上の戦争権限に直接頼るにしても、連邦議会の明示的又は黙示的な同意を必要としたのである。総司令部も、こうした祖国の「戦時下」が頭の片隅にあったのかもしれない。日本側でも戦後の憲法問題調査委員会において、「非常状態法ノ如キヲ制定スレバ足ル」との意見が出ている事を考えると、総司令部の考えは突飛なものとは言い難い。一方で総司令部の「憲法に禁止のない限り、国会は法律で何でも定め得る」との姿勢は、違憲立法審査権を最高裁判所に認めた新憲法とは適合しない可能性も日本側は指摘している。
 2つ目は「エマージェンシー・パワーによる対処」。イギリス編でご紹介した不文の法理としての「必要性の原則」の事である。ただ、これは当のイギリスでさえ頼るのを控えてる事を考えると、「アメ公も無茶を言いやがる」ではあるだろう(但し総司令部はあくまでも法律の委任をエマージェンシー・パワーと称してたとする見解もある)。
 
 最終的に総司令部との折衝により、「法律の委任がある場合の政令の罰則規定(憲法第73条但し書き)」と、「衆議院解散中における参議院の緊急集会(憲法第54条第2項)」が加えられる事で妥協が図られた。妥協はジッサイ大事。

「で、結局どうしてるんですか?」

 そんなこんなで日本国憲法には国家緊急権を定めた明文規定は存在せず、その存否には学説上争いがある。「欠缺説」「肯定説」「否定説」その他諸々の不毛な神学論争、もとい学者諸兄の有意義な議論はサグラダ・ファミリア完成以降にご紹介するとして、果たして日本国憲法は緊急事態下に国民の権利と自由を制限できるのだろうか。政府の代表的な憲法解釈を見てみよう。

(非常時立法を)わが国に大規模な災害が起こった、あるいは外国から侵略を受けた、あるいは大規模な擾乱が起こった、経済上の重要な混乱が起こったというような、非常な事態に対応いたしますための法制として考えますと、それはあくまでも憲法に規定しております公共の福祉を確保する必要上の合理的な範囲内におきまして、国民の権利を制限したり、特定の義務を課したり、また場合によりましては個々の臨機の措置を、具体的な条件のもとに法律から授権をいたしまして、あるいは政令によりあるいは省令によって行政府の処断にゆだねるというようなことは現行憲法のもとにおいても考えられる(昭和 50 年 5 月 14 日 衆・法務委 吉国内閣法制局長官答弁)

 長い?二行で纏めろ? 強引に纏めれば「公共の福祉を確保する為に合理的な範囲と判断される限りは憲法に反するものではない」が答えになるだろう。日本国憲法の権利規定における「公共の福祉に反しない限り」をどう解釈するかについての論争は、この記事では余白が狭すぎるので記述しない。「合理的な範囲」についても、国際人権規約との適合性などの観点からぶん殴る事も可能だと息巻く方もいるだろうが、ここは素振りに留めて頂きたい。
 現実問題としては、政府の憲法解釈の下で様々な緊急権法が成立し、今日に至っている。知名度が高いのは、「災害対策基本法(災対法)」「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)」、そして、今まさに日本社会を支配している「新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)」などがある。しかしながら、土地収用法や主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)など、一見すると無害そうな「緊急権法に見えない法律」にも緊急権が盛り込まれている事が多く、その全体像を把握するのは専門家でも極めて困難である。そもそも本記事では「緊急権法」としているが、非常時立法、緊急事態法制、緊急事態対処法、有事法制など論者によっても名称はバラバラであり、有力な定義があるわけでもない。一つ一つ丁寧に解説すると、弥勒菩薩による救済までには間に合わない。緊急権の中でも罰則を伴う、つまりは「お願い」じゃない緊急権のみを簡単に列挙してみた。存分に興奮して欲しい。

①医療、土木建設工事及び輸送関係者への従事命令、応急措置を要する者及びその近隣に住む者への協力命令(災対法第71条、災害救助法第7条及び第8条)
②同意を得ない土地及び家屋の使用、物資の収用又は保管命令(災対法第71条、災害救助法第9条、自衛隊法第103条、国民保護法第81条他)
③特定区域の緊急通行車両以外の通行の禁止又は制限(災対法第76条、国民保護法第155条)
④警戒区域への立入りの制限、禁止又は退去(災対法第63条、国民保護法第104条)
⑤生活関連等施設の敷地及びの周辺区域に指定された立入制限区域への立入りの制限又は禁止(国民保護法第102条)
⑥船舶の航行制限(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律第14条)
⑦物価の統制額指定、統制額を超える契約の禁止(物価統制令第3条、第4条他)
⑧米穀、石油、生活関連物資等の割当て又は配給等(食糧法第40条、石油需給適正化法第12条、国民生活安定緊急措置法第26条)
⑨特定物資の生産、輸入又は販売の事業を行う者に対する売渡し命令(生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律第4条)
⑩電気の使用制限等(電気事業法第34条の2)
⑪取引等の非常停止、貿易、送金、役務提供及び資本取引の規制(外国為替及び外国貿易法第9条、第10条)
⑫新型インフルエンザ等のまん延を防止する為の施設の使用制限、催物の開催制限等(特措法第45条)

  こうした緊急権は、地方公共団体の長――都道府県知事、市町村長――が行使するものが含まれているが、内閣総理大臣又は国務大臣が「必要な指示」を与えて、これを実施させる事が可能な仕組みになっている。この指示には法的拘束力があるとされ、地方公共団体の長は従う義務がある(諸説ある)。「戦時」を想定している国民保護法では、これに加えて、地方公共団体の長が指示に従わない場合の内閣総理大臣の代執行権までが規定されている(ただし予め法律に規定された事項のみ)。

最後の手段、緊急政令

 我が国の緊急権の中でも特に存在感を示しているのが、「緊急政令」である。この緊急政令は、「国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、かつ、臨時会の召集を決定し、又は参議院の緊急集会を求めてその措置をまついとまがないとき」、つまりは国会でのんびり法律が作られるのを待てないような事態が発生した場合には、本来であれば法律で定めるべきである規制措置を内閣が定める命令、政令で定める事を可能にするものである。ただし、明治憲法の緊急勅令のように何でも定めても良いわけではなく、下の四つの事項に限定されている。

① 生活必需物資の配給又は譲渡若しくは引渡しの制限若しくは禁止(災対法第109条)
② 物の価格又は役務その他の給付の対価の最高額の決定(災対法第109条)
③ 金銭債務の支払の延期及び権利の保存期間の延長(災対法第109条、国民保護法第130条、特措法第58条)
④ 海外からの支援受入れ(災対法第109条の2、国民保護法第93条)

 こうした緊急政令は、国会の立法権の独占を定めた憲法第41条に抵触しかねない劇物中の劇物であり、紅茶を半年摂取していないジョンブル以上の注意を要する。そのため事後承認など国会による厳格な統制に服する事が定められている。もっとも緊急政令に匹敵する緊急措置でありながら、政令に委任されてしまい、国会の統制――その法律の改廃を除けば――を受けないものも多数存在している。それについては、後にご紹介しよう。

~ここから本編~

 戦時下のイギリス編と比べると、国土防衛法国家緊急権(防衛)法のような、大変分かりやすい「悪魔」が不在であり、物足りなさを感じる方もいるだろう。しかしながら、我が国には悪魔が確かに存在している。奴らは時として牙を剥き君達を襲って来る。残念ながらそんな奴らから君達を守るため地獄の底からやって来た正義の使者はいない。今回は第一次石油危機、東日本大震災を中心に悪魔の活躍をご紹介する。

「一夜明ければ消費は悪徳」

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          画像出典:Israel Defense Forces

 西暦1973年10月6日、神とイギリスが「乳と蜜が流れる土地」となると約束したパレスチナを巡り、再び血が流れた。第4次中東戦争の勃発である。イスラエルに敵対するアラブ諸国を中心に構成される石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げる事を一方的に宣言した。同年10月16日には、石油公示価格を1,4倍に引き上げた上で生産の削減を通告。これには全世界が驚愕した。エネルギー需要の4分の3を輸入原油に依存していた日本の衝撃は特に凄まじかった。山形資源エネルギー庁長官(当時)は、田中首相に次のような事を聞かれたと回想している。

「山形君、石油の備蓄はどのくらいあるんだ」
「四十九日分くらいですね」
「二ヶ月分もないのか」
「そうです。そのうちの四十五日分は産業界の中を既に回っている、いわゆる流通ストックですから、それを除くと完全な備蓄は四日分となります」

電気新聞編『証言第一次石油危機 危機は再来するのか』より

 僅か四日間しか備蓄が無い。この現実に田中首相は頭を抱えたが、己の不幸に酔っている時間は無かった。マスメディアが石油危機の襲来を毎日のように報じ、既に国民は大パニックを起こしていたからだ。11月1日には大阪府豊中市の千里中央ニュータウンにある大丸ピーコックストアに突然300人以上の主婦軍団が奇襲攻撃を敢行。わずか2時間でトイレットペーパー500個が店内から消えた。物不足パニックは全国に波及し、埼玉県浦和市では主婦500人が「品物が足りない」と騒ぎ出し、警察が出動する騒ぎにすらなった。当時の世相を象徴する事件が12月13日に発生した「豊川信用金庫事件」である。「信用金庫は危ないわよ」という女子高生3人組の噂話から端を発し、3日間で延べ5,600人が押し掛ける取り付け騒ぎが発生。石油危機だけが要因ではないにしても、当時の日本社会の余裕の無さを感じさせる事件である。
 戦後日本にはこのような経済緊急事態に対処する為の法律が無かった。無いなら立法化するしか無い。11月16日、田中内閣は緊急立法を成立させるまでの暫定措置として、総需要抑制策と物価対策の強化、消費節約運動の展開などを掲げた「石油緊急対策要綱」を閣議決定。各省庁は同要綱を根拠に猛烈な行政指導を開始した。11月28日には資源エネルギー庁は通達を出し、小売店に灯油価格の凍結を求めた。通商産業省もメーカーに対して、価格の凍結に応じない小売店を自社製品の取扱店から外すような強引な手法を取ってでも、責任を持って価格凍結を守らせて欲しい旨を「要請」。更にガソリンスタンドの日曜営業を自粛させた。
 企業や一般国民に対しても、石油・電力の消費節約が要請された。具体的な内容としては、不要不急のマイカー使用の自粛、観光バスなどレジャー輸送の抑制、映画館や大型小売店の営業時間短縮など令和に生きる我々も何処か親しみを感じるものとなっている。中には「窓際の電灯を中心に三分の一程度の照明を消すこと。とくに廊下、階段などの電灯については二分の一程度の照明を消すこと」という嫁をいびる鬼姑の小言のようなものも含まれていた。お願いだけでなく、警察力も総動員した。11月1日から年末だけで不法に石油を買占め、貯蔵している石油業者を消防法違反で325件を検挙している。まさに総力戦である。
 一方で緊急立法の立案作業は3週間という短い期間で文字通り不眠不休で進められ、同年12月22日には公布施行された。戦後日本が生み出した悪魔の名は、「国民生活安定緊急措置法(生活安定法)」「石油需給適正化法(適正化法)」。石油危機に対応する為に制定されながら、現行法として今も我が国の法体系に組み込まれている法律である。この「石油二法」とも呼ばれる法律の特徴は、戦時下にも匹敵する経済統制を行う権限を政府に与えた事だった。こうした緊急権法が第4次中東戦争勃発から数えても77日という前例の無い早さで公布施行された事実は、石油危機が紛れもない国家緊急事態――施行当日に緊急事態宣言が公示されている――である事を示していた。
 こうした窮屈な世相を反映してか、週刊朝日1月4日・11日合併号の「当世いろは歌留多(作・井上ひさし 絵・山籐章二)」では、「一夜明ければ消費は悪徳」と題して、一回分のトイレットペーパーを掲げながら、所信表明演説をするヒトラーに扮した田中角栄首相――ケチス総統と書かれている――のイラストが掲載されている。ガソリン不足のせいで、蒸気ポンプで出初式をする消防さえあった事を考えると、仕方ないのかもしれない。さて、本題であるケチス総統の活躍をご覧頂こう。

「みんな、投げる石は持ったな!! 行くぞォ!!」

(出典)静岡県富士市役所ホームページ

        画像出典:静岡県富士市役所ホームページ
 自らの利益のみを追求し、暴利を貪る悪徳商人は古今東西に存在する。世間の空気を上手く読む商人は白眼視程度で済むが、空気を読めない商人は自らの頭部が商品棚に並ぶ運命が待っている。我が国の戦前、戦中でも我欲
を押し通して破滅した商人は数知れない。それは戦後も同様であった。
 生活安定法にまず与えられた任務は、物価の安定だった。当時の田中内閣は、1974年1月14日には家庭用灯油と液化石油ガス、1月22日にはちり紙とトイレットペーパーを「標準価格」の指定物資に定めた。標準価格制度(第3条)とは、政令で指定した生活関連物資等――国民生活との関連性が高い物資又は国民経済上重要な物資を指す。何でもアリ?そうだよ――の価格の基準を定める事で便乗値上げ等を防止する制度である。例えば灯油の標準価格が「380円/18リットル」であった場合、灯油を販売する小売業者はこの金額以下の価格で販売する事が求められる。とはいえ、高騰している指定物資を販売する業者が「非常にリーズナブル、良心的価格でございます」と標準価格以上で販売したとしても、通商産業大臣が十手と御用提灯を手に押し掛けてくるわけではない。罰則が設けられていないからである。それでは、どのように業者に価格を守らせるのか。答えは生活安定法第6条の「標準価格を一般消費者の見えるところに表示しなければならない」という規定にある。店頭に掲げられた標準価格とは異なる価格で商品が販売されていた場合、物不足に喘ぐ消費者はどのような反応を示すのか。想像力豊かな読者はお分かりであろう。経済企画庁物価局物価政策課長(当時)である垣水孝一は、この標準価格制度の特色を「価格に対する行政介入を抑えて統制経済に伴う諸問題を回避しつつ、販売業者等の良識と一般消費者の監視機能に期待」するところにあるとしている。つまりは「世間様」を抑止力としたのである。当時の空気を窺い知る事が資料が一つある。富山県が発行している広報誌であるみんなの県政(1974年3月号)では、標準価格を守らない店を積極的に「通報」するように県民に呼び掛けており、更に情報収集協力店なる「密告者」を県内に15店設置するとしている。果たして県民がどれだけの対価で隣人の情報を売ったかは定かではないが、挙国一致の時勢を弁えぬ非国民の情報である。銀貨30枚よりも安く、ドン・キホーテの特売品よりは高いくらいであろう。県民からのご注進を参考に県は小売店に価格の引き下げを指示し、それに正当な理由なく従わない場合は店名を公表することができた。店名公表は当然ながら消費者からの批判を期待しての事である。こうした国民の相互監視を活用した価格統制は富山県に限らず全国で展開され、日本国民は「”1984”までは10年猶予があるはずでは?」という思いを胸に倹約生活を強いられる事になる。
 この標準価格制度でも価格の高騰が収束しない場合には、特定標準価格制度(第8条~第10条)に移行する。どんなに暴利を貪っても店名の制裁的公表で済む標準価格制度とは異なり、特定標準価格制度の違反者には「課徴金」という厳しい制裁が用意されている。特定標準価格を上回る部分の全額、つまりは便乗値上げ等で儲けた利益を国庫に全額納付させる事が可能になるのである。納付を逃れようとしても、国税滞納処分の例による強制徴収が認められている。残念ながら発動例は無い。
 それでも価格の高騰が続く場合には「最後の手段」が投入される。GHQの置き土産、ポツダム緊急勅令である物価統制令(2021年現在も現行法である)だ。全ての物資に公定価格を定めて、それを超える価格の契約をした違反者に10年以下の懲役又は10万円以下の罰金を科すという極めて強力な緊急権を発動可能だ。悪質な業者を警察力によって駆逐できる事もあり、田中首相は発動に前向きだった。しかしながら、与党や関係省庁の「現実的ではない」との反発から発動は見送られている。
 あの世も「三密」回避が必要な程の混雑が予想される昨今、六文銭――三途の川の渡し賃――の便乗値上げに苦しんでいる死者も多いだろう。もし六文銭の便乗値上げをお見かけになった際には、自称預言者が言った「罪なき者だけが石を投げなさい」など無視して、消費者パワーを遺憾なく発揮して頂きたい。賽の河原では心優しい鬼が死者全員サービス特価で石を販売中です。

「転売、いや財テクをしてただけで」「逮捕」

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                   画像出典:筆者撮影 何故か突然消えたうがい薬

生活安定法の中で最も重要な緊急権が「割当て又は配給等」である。


○国民生活安定緊急措置法
(割当て又は配給等)
第二十六条 物価が著しく高騰し又は高騰するおそれがある場合において、生活関連物資等の供給が著しく不足し、かつ、その需給の均衡を回復することが相当の期間極めて困難であることにより、国民生活の安定又は国民経済の円滑な運営に重大な支障が生じ又は生ずるおそれがあると認められるときは、別に法律の定めがある場合を除き、当該生活関連物資等を政令で指定し、政令で、当該生活関連物資等の割当て若しくは配給又は当該生活関連物資等の使用若しくは譲渡若しくは譲受の制限若しくは禁止に関し必要な事項を定めることができる。
2 前項の政令で定める事項は、同項に規定する事態を克服するため必要な限度を超えるものであつてはならない

 この条文により、政府には「生活関連物資等の割当て、配給、使用、譲渡の制限若しくは禁止」について必要な事項を政令で定める権限が付与された。必要であれば、この政令には違反者を5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金、又はこれを併科する旨に処する規定を設ける事が可能であり、断じて「お願い」ではない。指定されたが最後、その物資は配給切符無しでは入手が不可能になり、戦時下よろしくヤミから入手した場合は警察官から追われるなんて事もあり得るわけだ。プレッパーを自称する方々は、今から線路の上を全力疾走する練習をした方が良いかもしれない。「使用」の禁止にまで罰則を掛ける事が可能であるので、手作りお菓子を堪能しているきらら系アニメの主人公達を留置所に叩き込む事も不可能ではない。戦時下のイギリスのように焼きたてパンや紅茶ケーキを購入しただけで厳罰に処するのも面白いだろう。「割当て又は配給等」は当然ながら標準価格や特定標準価格などを用いても対処できないような事態、「超緊急事態(垣水孝一)」にのみ発動されるものであり、石油危機でも結局は発動には至らなかった。物価統制令による公定価格制度の導入も並行する事も想定されており、そんな超緊急事態はゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃でも無い限りはあり得ないはずだった。
 ところが、2020年の新型コロナウイルス感染症の蔓延により、同年3月15日よりマスクが、5月26日よりアルコール消毒製品に対して「割当て又は配給等」が初めて適用された。これは購入価格を超える価格での転売を禁止するものであり、違反者は1年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処される事になった。これには警察力が投入され、2021年3月時点で25人が検挙されている。無論転売者がこれだけでは無いはずなので、見せしめの要素が強いのだろう。だが、政府はそれでも転売抑制という目的は達する事は出来たはずだ。
 これだけ極めて強力な緊急権にも関わらず、「割当て又は配給等」は緊急政令のように国会の事後承認を必要としていない。更に言えば一定期間が経過すれば失効するといった親切な規定も存在していない。あえて言えば「事態を克服するため必要な限度を超えるものであつてはならない。」が制約となるだろうが、必要な限度であるかを判断するのは政府である。参議院では、割当て又は配給等を実施する際の大綱は国会の議決を必要とするとした修正案が提出されたが、否決されている。「割当て又は配給等」は適正化法、食糧法にも設けられており、政府が統制できない物資は存在していないと言っても良い。近い将来、焼き立てパンを咥えた女子高生が走る理由が遅刻ではなく、警察官に追われているからにならない事を切に願うとしよう。

「電気は大切にね!(俺は使うけど)」「逮捕」

 テレビの向こう側で「地球が持たん時が来ているのだ」と叫んでいる気候変動活動家の姿に胸を打たれた筆者は、地球の未来の為にテレビのコンセントを引っこ抜いた。節電である。エコバッグ片手に近所のスーパーで冷蔵庫の冷蔵能力を害する量のアイスクリームを買い込み、環境省非推奨の室内温度に保たれた自室でネトフリックスの環境危機ドキュメンタリーをBGMにして、買う気も無いガソリン車のカタログを眺めている筆者に代表されるように、多くの人間は100年先の地球には関心が無い。30年後の温度上昇に恐怖するよりも、来月の家賃の値上がりに恐怖する人間の方が多いのは当然であり、同時に悲劇でもある。人間という生物はどれだけ危機を知らせる情報が入っても、直接その危機に遭遇しない限りは中々行動しない。しかし、それでも行動を強要しなければならない事態というものは存在する。
 第一次石油危機においては、発電用燃料の高騰による電力不足が当初から懸念されていた。節電そのものは各省庁から「要請」はしていたが、効果はいま一つで限界は見えていた。1974年1月16日、田中内閣は「伝家の宝刀」を持ち出す事に決めた。電気事業法第27条――現在は第34条の2――に基づく「電気の使用制限等」の発動である。この緊急権は、使用電力量や最大電力量の限界、その電力の用途や使用を停止すべき日時を定める事により「節電」を強制させるもので、故意による使用制限には罰金を科すことができる。具体的な規制措置は省令である電気使用制限等規則に丸投げされている事から、「電力使用制限令」とも呼ばれている。1974年の電力使用制限令では、契約電力500キロワット以上の大口需要家を対象に15%の削減が義務付けられた。節電を怠れば、犯罪者になる日が到来したのである。当時どれだけの違反者が出たのかは、筆者の手元にある資料では不明である。参考に同じく電気使用制限令が発動された2011年の例を見てみよう。2011年7月1日から9月9日まで東京電力及び東北電力管内の18,859件のうち違反事例は831件(高原一郎)、全体の4.4%が違反している計算になる。中には437時間も使用電力量を超過するという恐れ知らずの勇者もいた。ここで知りたくなるのが罰金額である。「1時間単位」で制限値を超えれば1回の使用制限違反となるので、勇者君は437回の違反となる。つまり100万以下の罰金(1995年での法改正以前は10万以下の罰金)だと、最大で4億3700万円の罰金となる。年末ジャンボ宝くじの当選に全てを賭けるしか無い金額である。もっとも当時の資源エネルギー庁は、勇者達にカツ丼を奢るつもりはなかったらしい。違反者に対する書面調査やヒアリングにより、「故意による使用制限は無かった」として刑事告発は見送っている。これはあくまでも2011年の例であり、発動期間や区域が異なる1974年では更に違反件数が増加している事が予想されるが、運用は殆ど変わらなかったのではないかと思われる。
 1974年の電力使用制限令で特異なのが、広告灯、電飾、ネオンサイン等の使用そのものを禁止する措置(第3条)である。第一次石油危機と聞くと、華やかな銀座があたかも灯火管制下にあるかのように真っ暗闇になっている写真を思い描く方も多いだろう。しかしながら、電力消費がそれほど多いわけでもないネオンサインの禁止については、当時から疑問の声が少なくなかった。では何故禁止されたのか。理由は大変シンプルである。「精神的引き締めの一つのシンボル(中曾根康弘)としてである。ネオンサイン達は自らの使命を殺す事で「銀座がこんなに暗いんだ。事態の深刻さ、アンダスタン?」というメッセージを国民に送る広告塔になったのだ。寝取られである。擬人化はご自由に。田中昭二衆議院議員は、ネオンサインの電力消費量が全電力消費量の0.068%に過ぎないとし、ネオンサイン業界全体の25,000人近くの従業員、関連産業や下請産業を含めると、30万人近くがネオン禁止で生活を奪われている事を指摘し、「天災よりもひどい。人災だ」と政府を厳しく批判している。また業界への補償や救済措置を行うべきであり、根拠となる法律が無いなら立法すべきではないかと続けている。何処かで聞いた話のように思えるが、筆者も三十路手前でボケたのであろう。
 ちなみにこの話にはオチがある。ある日、資源エネルギー庁長官である山形榮治のところにネオン管施工組合の代表者達が「ネオンが消えるというのは、我々の死活問題である」と陳情に来た。日本中から「特別扱いにしてくれ」という陳情の全縦深同時攻撃を受けていた長官は事務的に対応したが、代表者達が通商産業大臣である中曾根康弘が自分達の組合の顧問であると言い出した事には困惑した。直接本人に確かめたところ、「えっ、そうなの。いつなったのかなぁー。そういえば顧問になっているかもしれないなぁ(原文ママ)」などと供述。「そりゃ困った山形君、うまくやってくれ(原文ママ)」と海軍主計中尉時代に培ったのだろう華麗な転進を見せた。この時「康弘ターン」が無かったら、戦後日本史がどう変わったかのIFは、佐藤大輔にでも頼んで頂きたい。

「ぼくもかえろ おうちへかえろ」「逮捕」

経産省 警察庁

   画像出典:経済産業省、警察庁の資料から抜粋して筆者が作成

 ここで訃報がございます。令和3年5月20日、改正災対法の施行により「避難勧告」様が逝去されました。突然の悲報を接し、「避難勧告と避難指示の違いって何だ」「鳥取県と島根県くらい違う」「何が違うんだ」という在りし日を偲びつつ、ご冥福をお祈り申し上げます。さて、台風シーズンが到来するとNHKのアナウンサーが「〇〇〇市の○○世帯に避難勧告/避難指示が出されています」と呪文のように読み上げる光景を目にした読者も多いだろう。既に故人である避難勧告の説明は省くが、ここで述べる避難指示とは、主に市町村長が発する「避難のための立退きの指示(災対法第60条)」の事を指す。災害による危険が目前に切迫している場合等において、住民を避難のため立ち退かせるものであり、令和元年度には延べ353回も発令されている。逐条解説書では「時期的に早い段階では直接強制すべきではない」「急迫した場合は即時強制が可能」「立退きをしないことにより被害を受けるのは本人自身」等の理由から指示に従わない事に対する罰則は設けていないとしている。「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ」とふさぎ込んでも、胡散臭いドイツ語を話す帰国子女が喝を入れてくれる展開にはならないので、読者諸兄にはおかれましては素直に避難して頂きたい。殆どの災害では罰則を伴わない避難指示に留まるためか、「私権制限に慎重な日本では避難命令が無い」という言説が跋扈する事が多い。ご期待に沿えず申し訳ございません。あります。
 避難指示が想定している事態よりも更に急迫した事態が発生し、又は発生しようとしている場合、市町村長には「警戒区域(災対法第63条)」を設定する権限が与えられている。これは、消防官などの災害応急対策に従事する者以外の者に対して、「当該区域への立入りを制限し、若しくは禁止し、又は当該区域からの退去を命ずる」緊急権であり、命令に違反した者には10万以下の罰金又は拘留の罰則が科される。避難指示と比較すると、令和元年度には延べ9回とその件数は非常に少ない(それ以外の年度も年間10件~20件程度で推移している)。ただ、それも権限の強大さを考えれば当然かもしれない。警戒区域内の立入制限、禁止、退去について、どのような処分を行うかは市町村長の自由裁量行為とされており、例えば立入制限命令を出した際にどのような場合に立入を許可するのかは市町村長の匙加減一つである。
 人が住む地域に警戒区域が初めて設定されたのは、1991年の雲仙普賢岳大火砕流である。だが、この警戒区域設定はそう簡単にはいかなかった。
島原市長である鐘ケ江管一(当時)は断固として反対の姿勢を示してたからだ。市長は発災1年前から既に三原山噴火(1990年)の事例を研究しており、警戒区域設定には経済的な補償をどうするかの課題がある事を理解していた。これ以上の犠牲者は許容しないとの立場だった長崎県知事である高田勇(当時)が警戒区域の設定を強く求めても、「もう言わないでください。いくら火砕流から人の命も守れても、経済的に行き詰ったら自ら命を絶つ人間も出てきます。同じじゃないですか」と抵抗し、3時間以上も問答を続けた。激務の最中にも通夜や葬儀に出席し、精神的にも肉体的には極限状態だった市長は「そんなにおっしゃるなら、この窓から飛び降ります。もう楽になりたい」と知事に言い放った。知事は国と県が住民の損失を協力して支援する旨を書面にて約束し、市長はここでようやく折れた。最終的に島原市、深江町合わせて10,142人の住民に対して退去が命じられた。
 そして、2011年の東日本大震災では更に広範囲の警戒区域が設定される事になる。津波に伴って発生した福島第一原発事故により、「原子力災害対策特別措置法」に基づく初の原子力緊急事態宣言が発出された。地方自治体は原発周辺地域の住民に対して、避難指示又は屋内退避指示――不要不急の外出禁止措置を指す。ただし罰則は無い――を出していたが、指示に従わない住民や避難住民の家を狙う犯罪が続出した。ここに至り、同年4月21日には菅直人内閣総理大臣(当時)は原子力災害対策本部長としての権限により、福島県知事及び9市町村長に対して、原発から半径20キロメートル圏内に警戒区域を設定するように「指示」。この指示には法的拘束力があるので、市町村長は指示通り警戒区域内への立ち入りを禁止し、住民に退去を命じた。こうして警戒区域内の住民約78,000人は帰宅が犯罪とされたのである。2012年11月13日には浪江町の警戒区域に侵入した男が初めて起訴されている。「茨城に行くの近道がしたかった」との事だが、北朝鮮内に不時着した某韓国人女社長よろしく自分の選択を疑わない人だったのかもしれない。なお彼が茨城の土を無事踏めたかは定かではない。福島県内の警戒区域解除には約2年1ヶ月もの年月を必要とし、帰宅困難区域は2021年現在も存在している。
 2020年のコロナ禍では、一部の弁護士グループから警戒区域設定による立入制限で感染拡大を防止すべきとする提案がなされ、話題を呼んだ。これがどれほど実現可能性があるかは本稿では触れないが、少なくとも島原市長の絶叫は今日の我々の耳にも響いてくるはずである。

戦後日本は緊急事態下の私権制限に慎重だったのか。

 結論から言えば、「慎重」ではあっただろう。大変堅苦しい論文風に述べるなら、「新憲法の抽象的な原則としての公共の福祉概念と、それを基軸として長年積み上げられた違憲審査基準論は、戦時体制下の日本のような国民の権利と自由を無制限に制約する立法を許さなかった。更に言えば、これを実現した立法の自制は我々の先祖が明治立憲体制から継続してきた議会主義の結実によるものである」と一部の論者から見れば噴飯ものの評価を与えるとしたい。国会中継とオランウータンの交尾中継のどちらが有益かを日々議論しているであろう読者諸兄には反論もあるであろうが、140字以内でお願いしたい。出来れば、私のnoteを張り付けて。
 これまで見た悪魔達も要請という名の行政指導(お願い)に頼る事が強く、罰則を伴うような規制措置は最終手段として行使するという姿勢を維持してきた。ただ、これを「戦前日本の痛ましい記憶による反省」と一面的に理解するのはおすすめしない。ここに小話がある。第一次石油危機の最中、田中内閣では警察力を背景とする物価統制令の発動による事態収拾が検討され始めた。しかし、自民党の椎名副総裁は戦時を経験した商工官僚としての経験から次のように語ったと言われている。


「あれは大変な作業だよ。簡単じゃない。戦争前の昭和14年頃だったか物価統制令をつくった時、おれはさんざんその仕事をやらされた。あの時は石油じゃなくて石炭だったがね。石炭の統制に始まって、つながりのあるものを次から次へと統制していくわけだ。そうやっていくうち、とうとう植木鉢まで決めなければならなくなったな……」
椎名さんの植木鉢まで統制したという話に、出席の全員が大笑い。
「近頃の若いもんにはわからんだろうが、物価統制なんてそんな簡単にできることじゃないんだよ」
電気新聞編『証言第一次石油危機 危機は再来するのか』より


 各警察署に経済警察を設け、強権的に戦時下の経済統制を実現しようとした大日本帝国の挫折を目にしてきたであろう椎名副総裁は警察力が万能ではない事を身をもって理解していたのだろう。警察力がどれだけあろうとも、国民の行動を全て抑制するのは不可能である。国民自身が何故その緊急権の行使が必要なのを理解し、納得した上で無ければ刑務所に1億人を詰め込む為のテトリスを開発するしかなくなる。例えば上で述べた延べ353回の避難指示を全て警戒区域設定に変えたところで果たしてどれだけ実益があるのだろうか。最初の1年で慣れてしまい、誰も何も感じなくなってしまうのでは無いだろうか。そうした点を踏まえると、まずは「お願い」からというのは大変実務的と言えるだろう。無論その「お願い」だけで目的を達しようとすれば、また弊害があるが……。
 さて、本題に戻るが、我が国には悪魔が確かに存在している。特に究極の緊急事態である武力攻撃事態では、この世の地獄を現出しかねない悪魔を既に抱えている。「自衛隊員が小銃を向けながら、公共の秩序を維持する為に一般市民に職務質問を浴びせ、折角ローンで購入した新居から警戒区域設定による退去命令で追い出され、親類の家に逃げ込もうにも交通規制でまともに身動きが取れず、Twitterで愚痴ろうにも電波統制でまともに繋がらない。シーレーンが脅かされた事による割当て又は配給等の発動により、親戚の家では穀潰しである自分についての嫌味が飛び交い、火垂るの墓の兄妹を実体験できる……」という地獄は、既に飾り付けを終えている。後は皆様の到着を待つだけである。昨今話題の憲法改正に敢えて言及するのであれば、賛成するにしろ、反対するにしろ、悪魔達に自分達の権利と自由をどの程度売り渡すのかを考えなくてはならない。絶対に売り渡さない権利と自由とは何か。それとも売り渡しそのものを拒否するのか。

 少しでもマシな地獄を作り上げるために――


※修正履歴(20220219)
イギリスの1920年緊急権法の説明を修正。同法に基づく規則は「議会制定法と同等の効力を有する」とまでは言えないと考えられるため、「生活必需物資の確保の為に必要となるあらゆる措置を可能とする規則」とした。

参考文献
・衆憲資第 45 号 「非常事態と憲法(国民保護法制を含む) 」 に関する基礎的資料 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 (平成 16 年 3 月 25 日の参考資料)
・戒厳 その歴史とシステム (著 北 博昭)
・戒厳令(著 大江 志乃夫)
・近代日本政治における緊急勅令の概要 名古屋大学法政論集 (273), 1-35, 2017-06(著 増田 知子)
・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 軍事(国防)(44-118)大阪朝日新聞 1938.3.3 (昭和13) 憲法条章の範囲内で総動員法を運用する
・第八十七回帝国議会衆議院戦時緊急措置法案(政府提出)委員会会議録(速記)第二回
・日本国憲法誕生記(著 佐藤 達夫)
・衆憲資第87号「緊急事態」に関する資料 平成25年5月 (衆議院憲法審査会事務局)
・立憲独裁 現代民主主義諸国における危機政府(著 クリントン・ロシター/訳 庄子 圭吾)
・参議院の緊急集会論 現代法学(東京経済大学現代法学会誌)31 号(著
加藤一彦)
・日本国憲法論(著 佐藤 幸治)
・国家緊急権 非常事態における法と政治(著 小林 直樹)
・逐条解説災害対策基本法[第三次改訂版](編 防災行政研究会)
・逐条解説国民保護法(編 国民保護法制研究会)
・証言第一次石油危機 危機は再来するのか(編 電気新聞)
・田中角栄内閣と石油危機 ―灯油がつなぐグローバル経済と選挙区―二松学舎大学東アジア学術総合研究所集刊 48, 1-26, 2018(著 佐藤 晋)
・昭和49年警察白書
・国民生活安定緊急措置法 その立法の趣旨と概要 ジュリスト(No.555)1974.3.1(著 垣水 孝一)
・昭和―二万日の全記録 (第15巻) 石油危機を超えて―昭和47年〜50年(編 講談社)
・みんなの県政3月号(企画発行 富山県総務部県民課)
国会会議録検索システム
・毎日新聞 コロナ関連の生活経済事件45件 マスク転売や医薬品広告など2021/3/25 11:28(最終更新 3/25 11:28)
・災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月1990-1995 雲仙普賢岳噴火 第3章 危機管理、情報伝達及び報道
・災害と住民保護―東日本大震災が残した課題 諸外国の災害対処・危機管理法制(著 浜谷 英博 松浦 一夫)
・ふるさとの再生と帰還にむけて福島県土木部が経験した東日本大震災の記憶【初動編暫定版】
・朝日新聞 警戒区域立ち入りで男を起訴 福島区検、原発事故で初 2012年11月13日19時51分