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末期がん患者に立ち退きと1700万円を請求した大阪市─住まいから追われる原発避難者

原発事故後、政府の避難指示がなかった地域から避難をしたいわゆる「自主」避難者に対し、政府は2017年3月、借上住宅の無償供与を打ち切った。全国で打ち切りに該当する避難者たちが苦境に立たされたが、それぞれの生活状況によって、退去・移転ができない人も出てしまった。
行政はあたかも「居座っている」という扱いをする。しかし、職も家も失い、まともな賠償もなく、マイナスからスタートした人たち全てに、わずか数年で生活再建を完了させろというのは酷である。そもそも、原発事故さえなければ、避難をしなかった人たちだ。

▼「なんで大阪に来たんですか」


新鍋さゆりさん(仮名)は、2011年3月、関東で被災し、原発事故による放射能汚染への不安から、被災者を受け入れていた大阪市へと避難した。その際、「今入居できるのはここ」と、現在居住している大阪市営住宅を割り当てられた。
その後、転居前から患っていたうつ病が悪化し、生活がままならず、生活保護の申請に大阪市の区役所を訪れる。すると、「被災地に帰ってください」「なんで大阪に来たんですか」「とにかく申請はできないんです」と追い返されてしまう。新鍋さんは、なぜ大阪に来たのかを必死に説明したが「大阪は甘くないですから、覚悟しといてください」と言われたそうだ。
生活保護は受給できたものの、その後も生活保護の担当者からのら犬でも追い払うような仕草をされたり、「臭い」「クズ」「アホ」と言われたりすることもあったという。
生活保護受給者は、医療を受ける際、無料で受診するための医療券が必要となる。しかし、1つの病気につき2つの病院にかかってはいけないと大阪市は言った。新鍋さんは、風邪で近隣の病院にかかり、半年後、胃が痛くなったため、別の病院に行きたい旨を担当者に伝えると、「その病院には二度と行かないと誓えるのか」「医療券は出せない」と言われ、結局受診できなかった。

▼余命宣告後に命じられた退去


原発事故から5年が過ぎた2016年、新鍋さんは末期ガンの診断を受ける。余命は2〜3年だと医師から言われ、うつ病も悪化してしまった。
その最中、大阪市は2017年3月31日をもって、借上住宅の無償供与を打ち切ると発表。新鍋さんにも市営住宅からの退去を求めたのだ。他の被災者には、無償供与が終わっても有償なら住み続けられるとして転居までは求めなかったが、新鍋さんは事業用住宅であることを理由に退去を求められた。
新鍋さんは困惑した。外科の医師からは、体に負荷のかかる動作や無用な体動は控えるよう指導を受け、引っ越し作業ができる状態ではなかった。加えて、うつ病が悪化する可能性があるため、精神科の医師にも転居は避けたほうが良いと判断されていた。つまり、転居は不可能だった。
退去できないまま迎えた2017年3月31日。生活保護担当者から「今日で保護は打ち切り」と告げられた。理由は「違法に住んでいるから」。新鍋さんは「住んでいることが違法かどうかと、生活保護の必要性の判断は別のことではないですか」と何度も言ったが、「会議で決まった」の一点張り。新鍋さんは生活保護が命綱であったため、ガンによる不調を抱えながら、担当者の一方的な説明を聞き続けるしかなかった。その際に「どれくらいで死ぬんですか」とまで言われたこともある。1年近く、言葉による暴力、文書による2回の転居指示等、いじめられ続けた。そして、生活保護の停止・廃止を行なうことがあるとする内容の「弁明の機会付与の通知書」が届いたのだ。

▼大阪市から届いた非人道的な訴状


2018年、新鍋さんは、4人の弁護士と共にその弁明の意見を述べる場に行く。すると、区役所は突然態度を一転させ、生活保護を打ち切るという脅しはピタリと止まった。
しかし、同年7月、大阪市から新鍋さんに訴状が届く。その内容は、新鍋さんを被告として、部屋の明け渡しと、損害金相当額の支払いを求めるものだった。生活保護受給中の新鍋さんに、1700万円を超える金額を支払えというのだ。
新鍋さんは、やむを得ず、対抗措置として大阪市に対して別訴を提起し、現在に至る。双方の裁判は、7月末に結審する。

あまりに非人道的な大阪市の対応に、多くの人が驚いている。現在、オンライン署名も行なわれている(下記リンクより)。重度の障害を認定され末期がんをも抱える中、暮らしを不当に脅かされ続けている新鍋さん。ストレスによる過呼吸にも苦しみながら裁判を闘っている。ぜひ応援してほしい。

署名はこちらから!


(吉田 千亜)


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