小説 『ペア・ペアウォッチ』(作:いるかペンギン)

 あと2週間で、彼と付き合ってから3年になる。記念日とやらはもう2回迎えていて、その度に少し良いレストランに行って食事をしたり、お互いにプレゼントを交換しあったりしていた。
1回目の記念日には、彼の好きなイタリアンのお店に行って、美味しいアンチョビのピザとボルドーの赤ワインをボトルで楽しんだ。
そして、私はシンプルな青のネクタイピンをプレゼントし、彼は雫型の青いピアスをプレゼントしてくれた。ちょうど、私があげたネクタイピンのブルーと、彼がくれたピアスのブルーが全く同じ色彩で、やっぱり気が合うねと言って盛り上がったのを、今でも鮮明に思い出すことができる。
2回目には私のリクエストで、郊外にある小さな洋食レストランに行った。隠れ家的なお店として有名なところでいつも予約が埋まっていたが、彼が記念日の1ヶ月前からパソコンに張り付いて、なんとかその日に予約を取ってくれたのだ。
その時のプレゼントは、私がニューバランスのスニーカーで、彼が4℃のネックレスだった。私は、4℃のネックレスをもらうことが人生の全てだと思っている女だったから、その時は本当に嬉しくて涙が溢れ出た。涙のせいで視界がぼやけると嘘をついて、帰り道ずっと彼の腕に寄りかかって歩いた。11月末にしてはひどく冷え込んだ日だったが、彼のぬくもりで寒さなんて忘れていた。
 もう2回も記念日を過ごしているのに、やはりプレゼント選びには慎重になる。いくら考えても、何度も百貨店に行っても、やはり決まらない。しかし、具体的な物は決まっていないものの、コンセプトはあった。それは、今年こそペアになるものを贈るということだ。
 もう3年も付き合っているのだからペアのパーカーくらい着ていてもおかしくはないのだろうが、私たちはどちらも恋愛下手だし、極度の恥ずかしがり屋なので、ペアというワンランク上な行為に足を踏み入れずにいた。おそらく、彼にもペアリングをしたいだとか、合わせたらハートになるペアのネックレスをしたいという願望はあるのだろうが、私と同じように勇気が出ないのだろう。
これは完全は想像だが、彼は露骨なペアアクセサリーがあまり好きではないと思う。仲良く3年そばにいるのだから、彼の好みくらいは理解しているつもりだ。だから、つなげてハーツになるネックレスをもし彼にプレゼントされたら、「重いよ」って言ってしまうかもしれない。照れ隠しではなく、本気で、そう言うと思う。
記念日まであと半月しかない、と少し焦っていたとき、彼氏からペアウォッチをプレゼントされたという友人のストーリーがインスタグラムに流れてきた。
「そうか! ペアウォッチか!」
 私は思わず声に出して言った。ペアウォッチならそこまで露骨ではないし、毎日身につけられるからいつでも彼と繋がっているような気持ちになれる。名案である。
 その後、ベルトの素材や、文字盤のデザインをじっくり1週間半考え、ダニエルウェリントンのペアウォッチを百貨店で買った。白い文字盤に黒の文字と針があるシンプルなものと、黒い文字盤の斬新なデザインのものがあったが、シンプルな時計が最後の2セットだったということで、そちらを買うことにした。最後の〇〇という言葉に、人はめっぽう弱いものなのだ。きっと彼は喜んでくれるに違いない。私は彼の時計だけをラッピングしてもらい、大切にクローゼットの中に保管して、記念日当日を待った。

「ごめん、待った?」
 息を切らして、彼が言った。走ったせいか、せっかく整えた髪が崩れてしまっている。
「スタバでコーヒー飲んでたから大丈夫。そんなことより、髪崩れちゃってるよ?」
 本当は30分くらい待って今すぐにでも彼を叩きたいのだが、原因が電車の遅延であるなら仕方がない。
「本当にごめん、人身事故で電車遅れちゃってさ」
「わかってる。さあ、レストラン行こう? 私、お腹すいちゃった」
「よし、行こうか」
 今年は、彼がサイクリング中に見つけたというイタリアンレストランでお食事だ。グーグルマップにも載っていない本当の隠れ家的レストランだが、やはり予約は大変だったのだろう。どうやら、この国のレストランは需要と供給のバランスがうまくいっていないらしい。
 よく冷えた白ワインと地中海のパスタを楽しみ、食後のシャンパンとケーキを食べているとき、彼がテーブルの下から白の紙袋を出した。
「よし、きた!」と叫びそうになったが、なんとか我慢した。一体、どれほどこの時間を待ち侘びたことだろうか。ついに、私たちはペアアクセサリーをつける、ワンランク上のカップルへと昇格するのである。
 私もテーブルの下から白の紙袋を取り出した。しかし、私たちは次の瞬間、困惑することになった。
「あれ? 一緒の紙袋?」
 なんと、彼の持っているのも、ダニエルウェリントンと書かれた紙袋なのである。Dがそっぽを向いて、Wが正面を向いている、あの、有名なロゴが入った紙袋である。
「あれ? もしかして、2人ともダニエルウェリントンの時計?」
 喜んでいいのか、どうすればいいのかわからないと言ったような顔をして、彼が困惑したように言った。
「そうみたい。本当に、気が合うというか、何というか」
 そして、私たちの間には、ある共通の疑問が浮かんだ。それはつまり、中身も同じだろうかということだ。
「まさかだけどさ? 時計も同じなんてことないよね?」
 私が恐る恐る聞いてみたが、どうやら彼も被らない自信はないようだった。同じものを買ってしまうというのは仲がいい象徴であるはずなのに、自信がないという表現を使わざる得ないというのはなんとも皮肉なものである。
「じゃあ、一斉のせいで開けよう」
 彼の提案で、私たちはラッピングを解き、箱を開ける準備をした。
「一斉のせいだからね」
「わかってる」
 ドキドキが勝ってしまい、思わず返事がそっけなくなる。そして、箱をゆっくり開いた。
「ええ!」
 私たちは、揃って驚きの声を上げた。周りにいた客たちが何事かとこちらに視線を送っている。
「まさか、こんなことが起こりうるとはね」
 白い文字盤に黒い文字と針のあるシンプルな時計。サイズは違うものの、2人で同じ時計を交換し、眺めている。全く不思議な光景だ。
 極めつけは、私も彼も、腕に自分用のペア時計をつけてきていたことだ。長袖で隠れていたので気が付かなかったが、プレゼントを渡した後に「ほら、お揃いだよ」なんてことを言おうとお互いに企みあっていたのだ。
 同じ時計が1一つのテーブルに4つ。もう、笑うしかない。
「どうしようか」
 彼は感情を顔に出さないが「やってしまった!」と心の中で叫んでいるのが声音から推測できる。
「じゃあ、大きいのと小さいのを両方つけようよ。私は右に大きいので、左に小さいの。翠くんは、右に小さいので、左に大きいの」
「これじゃ、おかしな時計愛好家だよ」
「でも、これでいつでも普通のペアウォッチよりも強くつながっていられるでしょ? 大きい時計をしてるから、いつでも翠くんのことを感じられる。翠くんも、小さい時計をつけて私を感じてね?」
 目の前で、彼がみたこともないような恥ずかしい顔をしている。何かを言いたげだが、喉から先に言葉が出てこないようだ。
 そんな彼の様子を見ていると、私もひどく恥ずかしくなってきた。全く、なんてことを言ってしまったのだろう。こんなセリフ、よくある痛いれない漫画でも聞かないというのに。やはりお酒は良くない。そう思いながら、グラスに残っていたシャンパンを一気に流し込んだ。
「幸せだね」
 彼が、小さい声で言った。
「うん」
 私も、静かに答える。
 ふと窓から満月が浮かぶ空を見ると、木星が輝いて見えた。