小説 『ボーダレス妄想パラダイス』(作:雅哉)

 立花りりあ部長は僕のあこがれの人だ。30歳の若さで部長に昇進した凄腕営業マン。スタイルも抜群でおまけに美人。現在32歳独身。ちなみに未婚。彼女を妬む女性社員たちは「裏で男をとっかえひっかえしている」なんて、醜い発言をしていた。所詮この程度の発言しかできない女はいくら化粧で外見を繕ったって、所詮りりあ部長には遠く及ばない醜悪な存在なのだ。僕はりりあ部長を敬愛している。しかし――、
「ちょっと、大山。何この資料。全然だめ。数字も違えば要領も得ない。やり直し。」
「はい……すみません。」
僕はおそらくりりあ部長に嫌われている。理由は僕が仕事ができないからだ。昔から運だけはよくて、比較的楽して人生は送ってこれた。テストでは前日でヤマを張ったところがまるっとでたり、先生になぞに気に入られ学校での評価はいい方だった。大学受験だって推薦が通り、就職も気が付けばそこそこの、いやりりあ部長がいる限り最高の会社に就職することが出来た。しかし、会社ではテストもなければ、勝手に気に入られるようなこともない。すべては実力主義の世界だった。運だけが取り柄の僕ではどうしようもない。毎日心が折れそうな中やってこれているのは、りりあ部長がいてくれるから。僕は今日もりりあ部長の横顔を盗み見る……。
 「はいはーい、皆さん。今年もこの時期になりました!忘年会、しますよ~!」
黄色い声がして、振り向いてみれば、部署のなかでも特に明るい中本さんが忘年会の告知を始めた。その呼びかけに、年末でピりついた部署の雰囲気がすこし明るくなる。
「今年はなんとあの有名レストラン××に予約が取れました!」
××、人気すぎて予約を取るのがほぼ不可能と呼ばれる幻の店。一度行ったら忘れられない程美味な料理と細やかな接客、上品な店内でリピート率は驚異の98%を誇る。そんなお店の予約が取れたなんて、そりゃ盛り上がる。
「えー、あそこ取れたんですか!」
「どのコースですか?」
「ちゃんと俺の分も予約してくれたよね?」
「はいはーい、ご心配なく~。私中本できる女ですゆえ。えっと、今一応全員分予約してあるんですが、やっぱり欠席するという方おられます?」
「あー、ごめんなさい。俺その日いけないです。みんなで楽しんできてください。」
「え、左藤さん来れないんですか。残念。あ、りりあ部長は忘年会、来られます?」
「今年のお店はどこ?あぁ、××取れたのね、行くわ」
「りりあ部長も××の魅力には抗えなかったか~」
「ふふ、そういうことね。楽しみにしてるわ」
「任せてください!他、来れない人はいる~?」
りりあ部長の一声でこの部署内の全男性社員が色めきだったのが分かった。部長はめったに飲み会やご飯会に参加することがなく、私生活は謎が多かった。そんな彼女の、酔った姿が見られるかもしれない貴重な場面が見られるかもしれないとなれば、何もしないでいる男はいないだろう。男どもは俄然やる気を出す。
「うおー、りりあ部長来るとか胸熱すぎ。これは年末まで頑張るっきゃないでしょ。」
「ヘ〇リーゼ用意しとかなきゃ」
「いやいや、男どもなにをそんなに期待してんだか。」
「そんなこと言ったって、こんな機会もう二度とないかもしれないだろ。」
「はっ、しょーもな。鏡見てからものを言え。」
「今年の忘年会は楽しめそうだぞ~」
各々騒ぎ立てているが、りりあ部長とどうこうは決してないだろう。あんなに気品があって聡明な女性があいつらと釣り合うわけがない。それなのにあの盛り上がりよう。哀れとしか言いようがない。もちろん僕なんか彼女の隣になんて死んでも並べない。自覚している。僕のような仕事ができないゴミ人間は、りりあ部長に蔑んだ目で見られるのですら光栄なことだ。奴らの色めきだった声を聞きながら、僕は突き返された資料に向き直す。何とかこれを今日までに仕上げないと。盛り上がりもそこそこに僕は自分のデスクへと戻った。

「ねえ、何であんたって子はこんなこともできないの?」
「ごめんなさい......」
「本当にそう思ってんの?どうせ口だけなんでしょ?」
「っ、そんなこと思ってない」
「じゃあなんで毎回同じ間違いをするの。私を困らせたいの?」
「それは......次は絶対間違えないから」
「はぁ、もういい。ご飯抜きね」
「っ、それは嫌だ。もう二日もごはん食べてない!」
ガッシャーン。
「じゃあそれ食べれば。あんたが口にしていいのは地面に落ちてるのだけだから」
ズッ、すんすん。ハァ、すんすん。

ねえ、母さん。僕はどうしてこんなんなのだろうね。

忘年会当日
「いやー、本当に取れてたんだね」
「当たり前でしょう?私の情報網と交渉力をなめてもらっちゃ困りますよ」
「中本女史に拍手!」
「ちょ、やめて。ここそういうノリすることじゃないから」
「15名でご予約いただいた中本さま、それでは中にご案内いたします」
「ひゃー、楽しみ。年末頑張った甲斐があったわ」
「私、この日のために最近贅沢我慢してたの」
「りりあ部長が!」
「なによう、何か変なこと言った?」
「いや、りりあ部長がそんなこと言うとは思わなかったので......」
「部長かわいい!」
「いいなぁ、女どもは。簡単に部長に近づけるんだもん」
「おいおい、お前彼女いるべ」
「それとこれとは別だろ」
「いやー、部署のみんなとご飯行けるのなかなかないんですごい楽しみっすね、大山先輩」
「あぁ、そうだな」
「なんかちょっと顔色悪くないっすか、先輩」
「大丈夫、前日楽しみすぎて寝付けなかっただけだから」
「なんすかそれ。先輩もかわいいとこあるんすね」
「はは」
結局部署の大部分が忘年会に参加することにあった。例年よりも参加率がいいのは、予約が取りずらい店だからという理由半分、りりあ部長が参加するからという理由半分だろう。僕もその一人だ。
「皆さまお聞き下さい。わたくし中本、予約が取りずらいと言われるこの店の、もっとも取りにくいと言われる、高級シャンパン飲み比べコースを予約することに成功いたしました」
「からの~」
「よって皆さま、制限時間までお好きな分のシャンパンをお飲みください!」
「いや~中本様~」
「抱いてー」
「冗談はそれまで。えー、では乾杯の音頭、りりあ部長お願いします」
「皆さん。今年一年もよく乗り切りました。私がここまで頑張ってこれているのもみんなのおかげです。本当にありがとう。みなさんグラスは持ちました?それでは私たちの頑張りに、かんぱい!」
「「「カンパーイ!!!」」」
××は、そこらの居酒屋とは全然違う高級店。どんちゃん騒ぎをしていいわけがないが、それをみんなわきまえて盛り上がりを見せつつもおとなしくシャンパンを呷っていた。
ブブブブ、ブブブブ、ブブブブ......
「ちょっと失礼」
「えー、りりあ部長どこに行くんですかぁ」
「ちょっとお手洗いに」
「気を付けてぇ」
僕は忘年会が始まってからずっとりりあ部長を観察していた。席は本人から最も離れた位置。気づかれるはずがない。だからりりあ部長が席を立ったことにも気が付いた。
「ん?先輩トイレっすか?」
「そんなとこだな」
「行ってらっさーい。次はステーキ来るらしいっすよ」
「分かった。ありがとう」
実は、僕は食事というものに苦手意識がある。それは幼少期からのトラウマに原因があるのだが。そんなことは今関係ない。僕は偶然を装いながらりりあ部長を追う。しかし、彼女が向かった先はトイレではなく、店の裏口だった。
「もしもし、さとる?何かあった?」
通話の相手は男のようだ。りりあ部長に彼氏がいるなんて聞いたことがないが、もしかして彼氏だろうか?心臓が早鐘を打ち出す。
「今どこにいるかって?言ったじゃん、会社の忘年会だって」
「え?それにしては静か?だって外にでてるから」
「嘘じゃない。え?浮気ってなに?え?どういう......」
「は?別れる?なんで?私浮気なんて全然......」
「ちょっと待って!私はまだ話終わってない!」
「はぁ。ちょっと待って。どういう......イミが分かんない」
ずずっ。スンスン。ずずっ。
状況から察するに、りりあ部長は彼氏である男に一方的に振られたようだ。ここで僕が慰めてあげれば、もしかして好感度が上がるのではないだろうか?
「あの、りりあ部長」
「!大山?なんでここに?」
「あの、声が聞こえちゃったんですけど、大丈夫ですか?」
「はぁ?私が電話するのを盗み聞きしてたの?信じらんない!あんたってさ、いつも気持ち悪い目で私を見てくるけど、気づかれてないとでも思った?今だって、私が振られるの聞いてワンちゃん私と付き合えるかもと思ってきたの?私のこと好きなんだろうけどさ、あんたと付き合うとか絶対あり得ないから。仕事一つろくにできない、会社の恥さらしのくせに。あーもう、さとるには振られるし、大山に声かけられるし、ほんとサイアク。今日はもう話しかけないで、こっちも見ないで」

僕はショックだった。僕の敬愛するりりあ部長があんなことを言うなんて。僕は、心配で声かけただけなのに。りりあ部長が好きだから、心配したのに。りりあ部長が僕を嫌ってるかもしれないなんて、分かりきっていたことなのにこんなに否定されるとは思わなかった。どうして僕はこんなに否定されるんだ。僕が悪い子だから?僕が仕事ができない悪い子だから?昔のことが、頭と体中に反響する。
「あんたはなんでこんなこともできないの?」
「私を困らせたいの?」
「はぁ、もういい」
僕は、僕は悪い子じゃないよ、母さん。

「いやー、おいしかったし、飲みすぎちゃいましたね」
「本当においしかった~」
「これから二次会とかどうです?」
「それもいいけどさ......」
「部長大丈夫ですか?」
「らいじょうぶ~わらし、ひとりでかえれるあら~」
「いや、絶対大丈夫じゃないでしょ?」
「部長、本当にやばいよな?」
「途中かえって来てからおかしくなかったか?あんなに一気にシャンパン飲むなんてさ」
「店員も引いてたぞ」
「おまえ何かしらないのか?」
「知らないわよぉ。聞いても答えてくんないし」
「部長、もう今日は帰って休んでください。絶対明日地獄ですよ」
「らいじょうぶ、らいじょうぶ。おはねはほっちね~」
「もう金なんかどうでもいいです。はァ、どうしようか、この酔っ払い」
「あの、僕部長を変える方向同じなので途中まで部長送ります」
「大山君、ほんとう?それは助かるかも」
「部長、大山君が送ってくれるみたいです」
「おおやまぁ?〇×△□......」
「あちゃ、こりゃあかん。大山君至急連れて帰って。水を適宜のませて。吐くようなら吐かせて。よろしく頼んだよ。」
「分かりました。任せてください。」
「おいおい、大山。ちゃっかりいい思いしてんじゃねーぞ?」
「大山なら心配いらないだろうけど、手ぇ出したら承知しねえかんな」
「先輩、大丈夫っすか?俺ついていきましょうか?」
「はい。分かりました。大丈夫、僕一人で」

正直、りりあ部長にいろいろ言われた後の記憶はほとんどない。料理は食べれる気がしなくて、シャンパンをしこたま飲んだ。そして気がついたら部長を介抱することになっていた。りりあ部長の家は何回か行ったことがあったので、すんなりとたどり着いた。りりあ部長はマンション暮らしだ。部屋の前まで来るのは、今日で9回目。カギを取り出し、部屋にはいる。ベッドは廊下突き当りの左側。そこにりりあ部長を連れていく。その時になって初めて僕はりりあ部長の方に目を向けた。きれいにまとめていた髪はばらばらになり、服もなんだか湿ってくさかった。化粧も落ち、さながら落ち武者のようだ。これは僕が敬愛するりりあ部長じゃない。こんな女、僕は知らない。思わず、僕はそいつをベッドに投げてしまった。しかし、遠くから見た女はやはりりりあ部長だった。僕はその違いに気がつく。服だ。こいつがりりあ部長を汚くしているんだ。脱がせなきゃ。ブラウスのボタンをひとつづつ外す。露になる二つの山。スカートのホックを外し、下におろせば、彼女の綺麗な足が出てきた。そこには美しいりりあ部長の姿があった。
「りりあ部長......」
僕にりりあ部長をどうこうしようという気はなかった。僕は肉的な次元を超えて彼女を敬愛していたから。そこで思い出す。忘年会の最中で投げかけられた言葉を。あれは紛れもなく、彼女の本心だった。僕は愕然とする。彼女に嫌われては生きて生けない。彼女に僕を否定されてしまえば、僕は僕の存在意義を見失ってしまう。そもそも、なんで僕はこんなにもりりあ部長を意識せざるをえないんだろう。この女が、僕を誘惑して僕を逃さないからではないか?僕がりりあ部長を意識せざるを得ないのは、りりあ部長が美しいから......?

僕はゆっくりとりりあ部長に向き直る。美しいりりあ部長。しかし、その美しさが疎ましかった。僕はベッドに近寄る。ばらばらだった髪に触れ、一つにする。その時にふわっと香るりりあ部長の匂い。僕の好きな香り。消さなきゃ。僕はキッチンに向かい、包丁を手に取る。そして寝室に戻り、彼女に馬乗りになって、髪を掴み一気に切る。短くなった髪は手で引きちぎることにした。
ぶちっ、ぶちっ
「い、痛い!」
彼女が起きた。でも気にすることではない。僕は髪を抜き続ける。
「え!なにやめて!いたい!」
わめき続ける彼女に苛ついたので、切った髪を口に突っ込む。
「ちょっと、もごもご」
言葉が通じないと分かると、今度は体を動かしてきた。邪魔だ。僕は、持っていた包丁を振り上げ、その四肢に振り下ろす。
「んーーーー!」
二、三度繰り返すとおとなしくなってきた。同時に僕の頭も少し落ち着いてきた。そこで足に柔らかいものが当たっていることに気が付いた。りりあ部長の、おっぱい。懐かしさがこみ上げる。これは、お母さんのおっぱいだ。懐かしさのあまり舌を這わせる。
「ん、んんん!んんんん......」
すすり泣くような音がする。あれは何の音だろうか?はぁ、お母さん。お母さん!僕はいい子だよ。だから泣かないで。ベシッ。僕の顔に何かが当たる。手だ。よく見ると爪に色がついている。ちょうどりりあ部長の悪口を言っている女どもの爪のように。お母さんの手は僕をなでるためのものであってこんな飾りはいらない。爪をはぐ。悲鳴。そうだよ、母さん。こんな穢らわしいものはとってしまおう。

爪は全部はぎ終わった。右手は僕の頭にのせる。左手は僕の背中に。落ち着く。再びおっぱいを吸おうと思った時、僕は異変に気が付いた。母さんの体温が低くなっていっているのだ。これでは僕が温まれない。そうか、いっそのこと僕がお腹の中に入ればいいのか。包丁を手に取る。そして子宮のあたりに振り下ろす―、のはちょっと待て。それだと子宮を傷つけてしまうかもしれない。横腹を丁重に切り裂く。腹をこじ開けてく。あれぇ、そういえば僕、もう大人だっけ?もう体の一部しか入らないや。じゃあ、僕と母さんがつながっていたところをおなかにいれよう。僕は下半身を母さんの胎の中に入れ込んだ。あぁ。温かい。これでやっと安心できるね。母さん。

次ページにもう一個エンディング書いてるんで、読みたかったら。

翌朝、僕は冷えった寒さで目を覚ます。眼下には血だまり。血だまりには裸になったりりあ部長。母さん、僕は、僕はー

あーあ。かわいそうに。