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おじいちゃんがとんでもないゲス野郎だった私

こんにちは! 猿田信司です。

この話は、父が死んだ直後に聞いた話です。

父が死んで、火葬場で火葬していた時のことです。

火葬って結構時間がかかります。

その間、待合室で親戚と待っていたのですが、
ヒマで、親戚といろいろな話をしていました。

普段、親戚と話すことなんてないのですが、
そこで、私の長年の疑問が氷解したことがありました。

長年の疑問

子供のころから、ずっと疑問に感じていたのですが、
父方の実家の名字が、父と違っていたんです。

母方の親戚の名字が違うのは、
結婚して姓が変わったからなのはわかります。

でも、なぜ、父の名字と、
父方の親戚の名字が違うのか?

父が生きている間には、
聞くことができませんでした。


父の火葬を待っている間、
父方の親戚の本家の方と、
話していました。

父が、家族を連れて、毎年お盆に帰っていたので、
私も子供のころから知っている10歳上の人で、
一人っ子の私にとっては、
お兄ちゃんみたいな人でした。

祭事にも詳しくて、何も知らない私に、
お焼香の仕方とか、浄土真宗のこと
とかも教えてもらいました。

その話の中で、驚くべき話を聞きました。

駆け落ち

太平洋戦争が始まる前のことです。

当時、私のおばあちゃん、
父の母親に当たる人は、
その親戚の家のお嫁さんでした。

子供もすでに何人かいて、
その長男の子供が、
親戚のお兄さんの父親でした。


そこで、どこからから
フラッとやってきたのが、
私のおじいちゃんです。

この、おじいちゃん、
結婚していたおばあちゃんを寝取り、
二人で駆け落ちしてしまったそうなんです。

そして、私の父と、
もう一人子供を作りました。


さらにひどいのが、このおじいちゃん、
何らかの理由で死んでしまったそうなんです。

親戚のお兄さんも、
死んだ理由は知りませんでした。

残されたおばあちゃん

おじいちゃんが死んでしまい、
子供二人と残されてしまった、おばあちゃん。

困ったおばあちゃんは、
駆け落ちして出たはずの、
親戚の家を頼ったそうなんです。

親戚の家は、寛大なことに、子供二人を含め、
おばあちゃんを受け入れたそうです。

そして、父は名字が違うまま、
その親戚の家で育てられたんだそうです。


私は、この話を聞いて、ものすごく驚きました。

おじいちゃん、ゲスすぎません?

不倫した上に、駆け落ち?

さらに、自分だけ先に死んで、
おばあちゃんをえらい目に合わせてます。

こんなゲス野郎が私のおじいちゃんなの?

親戚の家も、おばあちゃんをよく受け入れたな~。

第二次世界大戦前の話なので、
今とは価値観も違っていたのかもしれませんね。

おじいちゃんの遺骨

実は、このおじいちゃんの遺骨は、
私が持っている納骨堂に入っています。

しかし、親戚のお兄ちゃんによると、
「当時は今ほどちゃんと葬儀をしていない可能性があって、
骨壺に入っているのは骨じゃなく、土とかかもしれない」
と言われました。

納骨堂に行けば、見れるのですが、
なんとなく怖くて、おじいちゃんの
骨壺の中身は見れていません。


お寺には、過去帳と言われるものがあって、
いつ死んだかと、実名と戒名が書かれています。

昔は、お寺が戸籍を管理していた時期もあって、
これまでの先祖の名前が、過去帳には書いてあります。

しかし、私の家の過去帳は、両親と、
そのおじいちゃんの3人分しかありません。

父が納骨堂を作ったのは、
かなり後だったんでしょうから、
おじいちゃん以前の記録は
たどれなかったみたいです。

父の実家

父の名字と、父方の親戚の名字が違う理由が、
父が死んでからやっとわかりました。

父方の親戚の家が、
駆け落ちしたおばあちゃんを受け入れ、
父親の違う父も、育ててくれていた。

だからこそ、父も恩義を感じていて、
名字が違っていても、毎年お盆には
実家に顔を出していたのでしょう。


とんでもないゲス野郎のおじいちゃんでしたが、
おじいちゃんがいなかったら、
父は生まれてこず、私自身も
生まれてこなかったのかもしれません。

そう考えると、不思議なめぐりあわせ
運命のようなものを感じてしまいます。

ゲス野郎でも、おじいちゃん、ありがとう!


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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