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エッセイ*感情人間だった僕が感情の断捨離をした


僕は目が覚めて時刻が6時過ぎであることを確認すると重たい身体を引きずるようにリビングへ上がり薬を飲む
二度寝に戻るが、7時過ぎになれば自然に目が覚め、身体を起き上がらせる
次はシャッターを開ける
今日着替える服を持ち、暖房代わりのデロンギの電源を切り、部屋を出て扉をきちんと閉める
木製の扉には亀裂が入っていて、朝日がプリズムのように差し込んでくる
目が覚めて、1つ1つやることをこなすだけ
僕はまるで機械のようだ

頭は常に冷静で、「あぁ寝不足で体調が悪いから、昨日はもう少し早く寝ればよかった」なんてことを考えている
昨日までの僕なら、体調が悪いからと言って寝込んでいたかもしれないが、今の僕は機械だ
朝食を胃に詰め込み、仏壇に線香をあげた後(きちんとペットだったハムスターにも)昨晩の出来事を断片的に思い出した

昨日までの僕は「感情人間」であった
主治医に言えば診断が下りてしまうほど、感情に振り回される人間であり、感情に振り回される人生を送ってきた

昨晩突然、僕の中から感情が消えた
消えたと言っても全て消えたわけではないので、例えるならば断捨離のようなものだろうか

僕はおそらく恋人に依存していた
いわゆるメンヘラでありながら、相手のことを気にかけてやまない無駄にいい恋人であろうとしていた
どちらにせよ、相手に多くの感情を乗せていた
わがままな気持ちは湧く、でも気は使う、情熱的に「好き」であり、些細なことでも気になり、もやもやしていた
もやもやはいずれ蓄積し、爆発することも多々あった
今思えば本当にしょうもない、私との待ち合わせのためのコンビニで何か買おうとした時の選択が「ベビースモーカーの母親のタバコ」だったとか、そんなことで僕は振り回されていた

でも昨晩、僕は恋人に対して「好き」以上の感情を持たなくなった
好きだから何かが辛い、好きだからこうして欲しい、好きだからこうしたい、好きだから、好きだから、、、こんなものはもう僕の中にはない

自分でも不思議なくらいだ
これはきっと自己防衛本能だろうと思う
恋人とは言え他人
他人に期待をして振り回されることに、もう自分が耐えられなくなったのだろう

でも僕にとってはいいことかもしれない
僕はいつも普通になりたかった
医者からはいつも「感情に振り回されず淡々と日々を過ごせるようになれ」と言われていた
だからこれはきっと好都合だ
僕は自分にそう言い聞かせることにした

僕は自分の個性と引き換えに、安定を取ったのだと思うことにした


でも僕は今でも、彼女のことが「好き」だ


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