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現存する世界最古の国家・日本国の元首「天皇」とはどのような存在か?(中編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㉘ー

こんばんは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回も引き続き、

「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと

「天皇(すめらぎ)」に焦点を当て、

天皇とはどのような存在なのか?

天皇と三種の神器の関係

皇室に関する様々な問題などから、

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。



【今日の内容】
現存する世界最古の国家・日本国の元首「天皇」とはどのような存在か?(中編)~先生のための『和の国・日本国』講座㉘〜 

1)「譲位」とは何か?
2)「三種の神器」こそ『天皇が天皇であることの証』である
3)『皇位継承儀礼』を経て、初めて「天皇」となる
4)なぜ、明治政府は「譲位」を取り入れなかったのか?



前回の記事では、

日本国2680年の歴史の中で、

国民とともに歩んできた

「天皇」とは、

『国民一人一人の幸せを祈る存在』であり、

『日本国と日本国民統合の象徴』であり、

『日本国の元首』である。


というお話をしてきました。


今回は、

「平成」の時代から「令和」の時代へと移る理由でもある

「譲位」

どのようにして「天皇」になるのか?

という視点から、

「天皇とはどのような存在か?」を考えていきたいと思います。



1)「譲位」とは何か?



平成28年8月8日


「象徴としてのお勤めについての天皇陛下のおことば」


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の中で、


上皇陛下は、

「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」

と思し召され、

今後、年を重ねていく中で、

大きく公務を減らしたり、

代役を立てたりして

天皇の位にお留まりになることは

望んででいらっしゃらないというご意向をお示しになりました。


このお言葉により、

どのような条件が揃ったら譲位が可能になるのか?

天皇が譲位した後に何と申し上げるのか?

敬称はどうなるのか?

皇位継承資格を有するのか?

予算はどうなるのか?

などなど

「皇室典範」を改正し、法整備を進め、


令和元年5月1日。


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「譲位」がついに実現され、

「令和」の時代が幕を開けました。



じつは、

「譲位」が復活するのは、

200年以上前の江戸時代後期。

第119代光格天皇が譲位なさってから例がありませんでした。



まさに、

「平成」から「令和」の移り変わりは、

200年ぶりに復活した「譲位」が要点になっているのです。



その「譲位」とは何か?


「譲位」とは、
天皇(君主)がご存命の間に、その地位を新天皇へ譲り渡すこと。


です。


では、


何をもって『「譲位」が行われた』と言えるのでしょうか?




2)「三種の神器」こそ『天皇が天皇であることの証』である



皇位継承の根本は、


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「三種の神器の継承」


に尽きます。



「三種の神器」とは、
初代天皇より皇位継承のたびに皇位とともに受け継がれたものです。


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「三種の神器」は、


『八咫鏡』(やたのかがみ)


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『草薙剣』(くさなぎのつるぎ)


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『八尺瓊勾玉』(やさかにのまがたま)


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鏡と剣と勾玉の三種で、



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日本最古の歴史書である『古事記』によれば、 

鏡と勾玉は神代において、神々によってつくられたもので、

剣は、ヤマタノオロチの尾から出現したと語られています。



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その「三種の神器」は、

天照大御神が邇邇芸命(ににぎのみこと)を

地上に降臨させるにあたって持たせたものであり、


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邇邇芸命の曾孫に当たる「神武天皇」から、

皇位継承のたびに代々受け継がれてきました。


そのため、

「三種の神器」は、

『天皇が天皇であることの証』とされ、


「三種の神器」のあるところに玉体(天皇陛下の御身体)があり、

玉体があるところに「三種の神器」がある

とされてきました。


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そのため、

天皇が禁裏からお出になるときは、

必ず、三種の神器のうち、

『草薙剣』と『八尺瓊勾玉』を伴うとされ、

先の大戦終戦まで続けられました。


これを、


「剣爾後動座」(けんじごどうざ)


と言います。



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戦後は、

「式年遷宮後の神宮参拝」に限り、

剣爾御動座が行われてきました。



このように、

天皇と「三種の神器」は常に一体なのです。




3)『皇位継承儀礼』を経て、初めて「天皇」となる



では、


「三種の神器」さえ手にすれば、誰でも天皇になることができるのでは?


と考える人は…


いないとは思いますが、


実際は「天皇になることはできません」


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「三種の神器」は、
正統な人が、
正統な時期に、
正統な場所で、
正統な方法によって継承され、
かつそれが社会によって承認されなければなりません


それを担保するのが


『皇位継承儀礼』


なのです。


『皇位継承儀礼』は、

いくつかありますが、

最初に行われるのが


①『剣爾等承継の儀』


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です。

これが『三種の神器の継承』であり、

神器だけではなく、


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日本国の実印と天皇の実印に該当する国璽と御璽も継承されます。


この儀式は、

新天皇が最初になさる国事行為としての儀式です。



次の段階が、


②『即位礼正殿の儀』


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です。


この儀式は、

天皇陛下がご即位を公に宣明なさり、

そのご即位を内外の代表がことほぐことを趣旨としていて、



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天皇陛下が高御座に

皇后陛下が御帳台にお登りになり、

天皇陛下が即位を宣明なさります。


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それを受けて、

内閣総理大臣が寿詞(よごと)を述べ


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内閣総理大臣の音頭で万歳三唱を行います。



そして、最終段階が


③『大嘗祭』


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であり、

皇室として行われる行事になります。


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毎年、伊勢の神宮で「新嘗祭」は行われますが、

新天皇が最初に斎行なさる新嘗祭を

『大嘗祭』といい、

通常の新嘗祭とは異なって大規模に行われます。



このように、


第一段階の「日時の到来」により『法的な天皇』が成立し、


第二段階の「三種の神器の継承」により『歴史的な天皇』が成立し、


第三段階の「即位礼」を行うことで『社会的な天皇』が成立し、


そして、


第四段階の「大嘗祭」を行うことで『宗教的な天皇』が成立します。


『三種の神器の継承』こそが

「皇位継承」の本義なのです。




4)なぜ、明治政府は「譲位」を取り入れなかったのか?



冒頭で、「譲位」は、


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江戸時代後期の

第119代「光格天皇」が「譲位」なさってから

200年以上の時間を経て、「譲位」が復活した

という話をしました。


「皇室制度」が初めて明文化されたのは、

『旧皇室典範』が施行された

明治22(1989)年のことです。


それ以前は、

「皇室制度」は慣習の積み上げによって行われていました。



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「譲位」は、

645年に第35代皇極天皇が孝徳天皇に譲位なさったことを初例

として以降、

88代中57例の先例があります。


今まで、

天皇の「譲位」について議論されたことが3回ありました。



1回目は、『旧皇室典範』の作成のとき


です。


伊藤博文、柳原前光、井上毅、伊藤巳代治らが討議し、

最終的に伊藤博文の意見によって

「譲位」の制度は削除されました。


その理由は、


天皇が随意にそのくらいにはなれることに理はなく、
天皇の精神や体に重患があっても摂政を置くことで
百政を摂行することができ、
歴史上の譲位が為政者の事情に左右されたことを鑑みると、
譲位の規定は削除すべきである。


とのことでした。



ちなみに、


「強制退位」の先例は、


第75代崇徳天皇

 鳥羽上皇によって強制的に譲位させられ、

 保元の乱を起こすきっかけになったこと。


第108代後水尾天皇

 幕府との軋轢の中で幕府に通告せずに自ら譲位を断行し、

 満5歳の女帝を成立させ、上皇となって院政を敷いたこと。


などがあります。



2回目は、連合国による占領期間中


でした。


再び「皇室制度」を議論し、

帝国議会での審議を経て、

昭和22(1947)年、

『新皇室典範』を成立させました。


この時も、日本政府は、


天皇自身のお考えで譲位なさることは国民の信念と調和しない


と答弁し、制度化には至りませんでした。



そして、


3回目は、昭和天皇が83歳を迎えた時


です。


この時も、


①譲位を認めると歴史上見られるような「上皇」の弊害が生じる恐れが
 あること。
②天皇の自由意思に基づかない強制退位の可能性があること。
③天皇が恣意的に譲位することは「象徴」という立場に馴染まないこと。


などが挙げられ、

譲位の制度化は見送られています。



明治維新以降、

少なくとも3回も譲位の制度化は討議されたものの

いずれも制度化されずにいたのです。



しかし、今回。


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上皇上皇后両陛下が国民に寄り添い、

国民から敬愛される皇室をお築きになったこと。


そして、



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天皇皇后両陛下が将来の大役を担うために、

長年にわたる皇太子同妃時代に

たゆみない努力を積んでいらっしゃったことにより、


この時代に、

「譲位」が実現されました。



常に国民に絶大なる関心を向け、

国民に寄り添う努力を積み上げていらっしゃたことで、

昭和と平成を通して変わらぬ『天皇と国民の絆』が保たれ、


そして、それが

「譲位」の実現により、

「令和」という新しい時代に引き継がれていったのです。



次回の記事では、

現在問題となっている「女系天皇」のこと

常に国民に寄り添う天皇の本質が分かるお話

いくつかさせていただきたいと思います。




これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。


しかし、

2011年3月11日

東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。


じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!

まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。


「日本を知ることは、
       『自分のルーツ』を知ること」



わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?

そして、子どもたちに伝えませんか?

自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。


一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!



最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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