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新元号「令和」に込められた新しい時代への願いとは?(前編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㉒ー

こんにちは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回は、

「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと

「元号」に焦点を当て、

そもそも「元号」とは何か?

そして、

「令和」に込められた願いとは何か?から、

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。



【今日の内容】
新元号「令和」に込められた新しい時代への願いとは?(前編)~先生のための『和の国・日本国』講座㉒〜 

1)『元号』とは何か?
2)日本はいつから『元号』を使い始めたのか?
3)『元号』はいつ変わるのか?
4)現在も受け継がれている『元号』



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平成28年8月8日。


象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば


の中で、

「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」

と思し召され、

今後、年を重ねていく中で、

大きく公務を減らしたり代役を立てたりして

天皇の位におとどまりになることは望んでいらっしゃらない旨を

お示しになられたことをきっかけに

新しい時代へと動いていきました。



そして、法整備をして


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2020年5月1日。

上皇陛下から天皇陛下へと譲位が行われ、


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『令和』


としての時代が始まりました。



ところで。


上記で

「平成28年」「2020年」

で二つの『年の読み方』で表しました。が、




なぜ2つの『読み方』を使っているのでしょう?


どちらも同じ年を表しているならば

1つだけでも足りるはずですよね?


実は、世界の中で『元号』を使っているのは


日本だけ


なんです!!



なぜ、世界の中で日本だけが『元号』を使っているのか?
なぜ、2つの「読み方」を用いているのか?
そもそも、『元号』とは何か?



これから紐解いていきたいと思います。




1)『元号』とは何か?


年を数える「紀年法」には、

建国や革命、王の即位を起源とするものなどなものがあります。


最も世界で普及しているのが、


キリストの生誕を起源とする『西暦』


です。


このほかにも

仏の入滅を紀元とするする『仏滅紀元』


イスラム教預言者ムハンマドが

マッカからマディーナへ聖遷したことを紀元とする『イスラム暦』


ユダヤ教で神が世界を創世した日を紀元とする『ユダヤ暦』


そして、


日本では、


初代天皇即位の日を紀元とする『皇紀』


があります。


このように、

特別な日を起点に年数を数える「紀年法」が多い中、

時々改められる『元号』

これらとは異なるものがあります。



そもそも、『元号』とは、


中国大陸の「前漢」の国の「武帝」が定めたことが始まり


でした。


古代中国では、


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世界に先駆けて「稲作」を始めました。


かつては、カレンダーがなかったので

いつごろ、種をまくか

いつごろ、収穫するかがよく分からない。

そこで、稲作の時期がよく分かるように

『暦』というものを制定しました。


これが『元号』の始まりです。


そして、

正しい暦を制定して民に農耕の時期を知らせることは、

帝王の責務であり

帝王の特権でもあると考えられていました。


そのため、

帝王が即位すると元号を制定して年を数えました。


『暦』を改め、

『元号』を立てることは、


帝王が「時間」の支配者であること


を意味しました。


中国の歴代王朝では、

同じ王朝においても皇帝の代替わりや、

その他の事情で幾度も『元号』が改められるようになります。

中華帝国は、自分たちの『元号』を

中国王朝に従属していた朝鮮半島の国々や

その他の国々も同じように活用していました。



ところで、

古代中国で始まった『元号』ですが、

現在、世界の中で使っている国は


日本国だけ


なんです。


では、


いつから日本では「元号」を使い始めたのでしょうか?




2)日本はいつから『元号』を使い始めたのか?



日本も一時期、

中華帝国に朝貢(中華帝国に物を献上すること)していた時期

ありました。


「宋」の時代


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「倭の五王」と呼ばれていました。

この時は、

「朝貢(ちょうこう)」をしながら、

「冊封(さくほう)」も受けていました。


「冊封」を受けると、

中華帝国の手下として、

もらったものよりも何十倍の価値のある金銀財宝をお土産として渡したり、「〇〇王」として任命されたり、(日本は倭国王)

『暦』や『律令』、その他あらゆる技術を教えたり、

国防をしてもらったり、

していました。


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中華帝国は、

自分たちが常に正しく、清らかで先進国であることを示すために

東にいるバカタレを「東夷」

南にいる野蛮人を「南蛮人」

西にいる変態を「西獣」

北にいるアンポンタンを「北狄(ほうてき)」

と名付け、

あちこちの国を「馬鹿だ」「アホだ」「マヌケだ」と

変な名前ばかり付けていました。


日本が名付けられた「倭」とは「おちびちゃん」という意味なんです。

ひどい話ですよね。


当時、日本も新しい知識を取り入れるために、

「朝貢」「冊封」を受けていたのですが、

そのようにしてから5代目。


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第21代 雄略天皇の代(5世紀)


「中国からなんでもいいものをもらってばかりいては、国家としての足腰が弱くなり、国が滅びてしまう。」


という危機感を抱き、


あえて中華帝国と断交することを決めます。


それ以降、

わが国は中華帝国の冊封体制に組み込まれることなく、

現在まで来ています。


事実。

中華帝国から冊封を受け続けた国は、

ことごとく国家の足腰が弱く、すぐに滅亡してしまいました。


今から、約1600年前。

中華帝国から抜け出した日本国だけが

現在も「国家」として存続しています。



中華帝国からの冊封を断絶し、

独自の天下を歩み始め、

後には独自の『元号』を立てることになります。


つまり、


日本にとって独自の『元号』を使用すること
「独立国」であることの証


だったんです!


そして、


西暦645年。


「大化」


という『元号』を使い始めました。


「大化の改新」


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で有名ですよね!


「大化」がわが国最初の『元号』となったのです。




3)『元号』はいつ変わるのか?



『元号』が変わることを「改元」といいます。


では、


『元号』はいつ変わるのでしょうか?


現在は、


「天皇の代替わり」


に限定されていますが、


それ以前は、大きく2つのことをきっかけに

「改元」が行われていました。


まず一つは、


「祥瑞(しょうずい)改元」


珍しい動物や黄金が献上されたり、

慶雲(縁起のいい雲)が出現したり、

祥瑞(吉兆)が起きた時に

その運気に乗るために改元をしました。



もう一つは、


「災害改元」


飢饉、地震、疫病などの

災害(凶事)が起きた時に

運気を切り替えるために改元をしました。



日本国では、一年に2度改元されたこともあり、

現在の「令和」は

「大化」から数えて、248番目になります。


特に幕末は災害続きだったこともあり、

短期間のうちに何度も改元されました。

混乱を避けるために、


明治元年。(1868年)


天皇一代につき、一元号という


「一代一元号」


が定められました。



もしも、

今までと同じように「吉兆」や「災害」による改元が続いていたら、

例えば、

終戦、阪神・淡路大震災、東日本大震災などで

元号が改めていたかもしれません。




4)現在も受け継がれている『元号』



701年に制定された『大宝律令』


では、


公文書に『元号』を用いることが義務付け


されることになり、

以来1300年以上の長きに亘り公文書に用いられてきました。


現在でもパスポートなどの外国向けの公文書を除き、

公文書は『元号』表記が用いられています。


確かに『元号』は

もともと日本独自の文化ではなく、

中華帝国を真似て始められたものでした。


しかし、


1912年の「辛亥革命」が起きて清王朝が滅亡してからは、

『元号』が使われることはありません。

他の国も『元号』は立てていないので、


現在世界中で『元号』を使っている国は「日本だけ」


になってしまいました。


もはや、


『元号』は「日本の文化」


と言ってもいいと思います。


「平成」が終わるときには、

新しい時代への期待とともに

1つの時代が終わってしまうことを悲しむ気持ちがあります。


私たちにとって、

『元号』は親しみのあるものになっています。



その『元号』をこれからも守り続け、

次世代に受け継いでいきたいものですね。


次回の記事では、

『元号』はどのように選ばれるのか?

「令和」に込められた願い

についてお話していきたいと思います。





これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。


しかし、

2011年3月11日

東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。


じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!

まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。


「日本を知ることは、
       『自分のルーツ』を知ること」


わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?

そして、子どもたちに伝えませんか?


自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。



一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!



最後まで、お読みいただきありがとうございました。





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