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八百万の国の「仏教」とは何か?(後編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㊻ー

こんばんは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回も引き続き、

「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと

「仏教」に焦点を当て、

「神社」と「お寺」の違いとは?

「仏教」とは何か?

日本国の歴史の中で「仏教」がどのように取り入れられたのか?

天皇と「仏教」とのつながりとは?

などの視点から、

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。



【今日の内容】
八百万の国の「仏教」とは何か?(後編)~先生のための『和の国・日本国』講座㊻〜 

1)なぜ、『神仏習合』が可能だったのか?
2)『神仏判然令』によって切り離された「仏教」
3)「神道」「仏教」の住み分け。『和』とは何か?



前回の記事では、

「仏教」はどのようにして日本国に伝来したのか?

そして、

どのように日本国に根付いていったのか?

そこには、

「仏教」と「キリスト教」の明暗を分けたある事柄

があるということをお話してきました。


今回は、

「仏教」が

「神道」とともにどのように歩んできたのか?

そして、

どのように別れ、

現在に至るのか?

ということについて

『神仏習合』『神仏判然令』ということを

キーワードにしてお話していきたいと思います。




1)なぜ、『神仏習合』が可能だったのか?



この謎に迫るための説が2つあります。


それを


『本時垂迹説(ほんじすいじゃく)』


と言います。


これは、何かというと、


『太陽の神様』と言えば、


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「仏教」でいうところの

『大日如来』

です。


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これが、「神道」のいうところの

『天照大御神』

だろうと。


つまり、


『本時垂迹説』とは、
仏教でいう『大日如来』と神道でいう『天照大御神』は
同一の神である。もともと同じものである。


という考え方です。


インドでは『大日如来』というものがいて、

日本では『天照大御神』という姿形で現れたんだという考え方です。


これは、

「仏教」側が考え出した理屈です。

なんとか日本国に「仏教」を浸透させるために

このような説を唱えました。


ところが、

「神道」側はこれとは異なる理屈を持っています。


『神本仏迹説(しんぽんぶつじゃく)』


と言います。


この説はさっきの説とは逆で、

『大日如来』が『天照大御神』として

日本に現れたのではない。

元は、『天照大御神』がいて

インドで『大日如来』として現れたんだ!

という考え方です。


少しややこしいですよね(笑)

「仏教」側と「神道」側で考え方が逆なんですよ(笑)


でも、

いずれにしても

『天照大御神』と『大日如来』は

「太陽のありがたみ」という概念としては同じである。

という大自然の要素を神として拝むという考え方が

互いに良いバランスで一致していたんです。


このような説がつくられているのは、

日本国くらいですよ!


このようにして『神仏習合』がなされて、

「仏教」は仏教。

「神道」は神道。

それぞれが完結したものとして

この二つを両手に携えて歩んできたのが

日本国に歴史なんです。


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ちなみに

中国大陸、朝鮮半島を経由して伝来した「仏教」ですが、

現在、中国大陸にも朝鮮半島にも「仏教文化」はありません。


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そして、仏教の始まりであるインドでも、


『仏教徒の割合はわずか0.8%』


なんです!!


インドには「仏教」はないんです。。。


現在「仏教」を多く取り入れている国は、

タイやミャンマーなどで多少残っている「上座部仏教」で


本来の「大乗仏教」を受け継いでいるのは
ほぼ『日本国』のみ!!!


なんですよ!!


ということは、

日本国に「仏教」が伝わったことは

日本国だけではなく、

「仏教」側にもとてもありがたいことだったんですね。


現在も日本国では、

様々な宗派に分かれて大切にされていて

「仏教」は崇高なものとして残っていますよね!!




2)『神仏判然令』によって切り離された「仏教」



推古天皇が、

進んで「仏教」を取り入れるようにと詔を出した後、


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『元寇』の際、

亀山上皇が「神道」と「仏教」をともに拝み、

神の力と仏の力で国を護ろうと祈り続けました。


また、


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『応仁の乱』の後、

後奈良天皇は、疲弊し、疫病が発生したときに

自ら書いた書を売り、お金を貯めて、

全国の一宮に写経した『般若心経』を納めて、

国難を乗り切ろうとしました。


「私の徳がないばかりに、国民が苦しんでいます。なんとかこの写経を納経させていただくことで疾病の妙薬になることを望みます。」


と、天皇自ら国民を何とかしたいという一心で

仏の力を借りて、国民を守ろうとしました。



このように、

天皇の力によって「仏教」が日本国に根付き、

天皇の側も、仏にすがり、仏の力を借りて、

なんとか国を護り、国民を助けたいということで

ずっと一体となって歩んできました。



しかし、


明治時代に入り、


『神仏判然令』


が出てしまい、

宮中からも仏教的な飾西がすべて排除されてしまいます。


そして、

「神道」と「仏教」、蜜月だったところが、

急に切り離されてしまうことになってしまいました。


それにより、

現在では、「恨み」に変わり、

中には「皇室打倒!」を掲げて、

敗戦後に、

共産主義者がキリスト教や仏教を利用して反皇室に仕立て上げた

名残が残っているのです。




3)「神道」「仏教」の住み分け。『和』とは何か?



最後に。

「神道」「仏教」の住み分けですが、


「神道」と言うと、

やや大きいくくりのイメージです。


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【神道】
例えば、『生まれてきたこと』や『生きていること』
   『大自然の恵みをいただいているということ』
そして、『国家的な事柄(国や民)』


それに対して、


「仏教」と言うと、

やや個人的なイメージを強く持っています。


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【仏教】
例えば、「〇〇がうまくいきますように…」と
   『個人的な悩み』に対して救いの道を与えてくれるもの


というように


もともと日本にあった「神道」

悩んでいる人に対して

悩みを解きほぐして導いていくようなイメージはありませんよね。


「神道」と「仏教」で

役割分担をすることで

それぞれがそれぞれの『よさ』を活かし合い、

ともに国を支え、豊かにしてきました。


日本人はもともと

きっかけをもらって

さらにその『よさ』を見出し、発展させていくことに

非常に長けている民族だと思います。


「お米」も「ラーメン」も「カレー」もそうですよね!

「鉄道」も「自動車」も「造船」もそうです。


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このように、

「仏教」というものも

もともと中国大陸、朝鮮半島を経由して日本国に

入ってきましたが、

それをさらに

学問的にも解釈を様々に変えていき、

様々な宗派に分けたりしていきながら、

『日本独特な仏教文化』を創り上げてきました。


これは、日本国の強みと言っていいですよね!


そもそも、

日本国が建国をする上で、

戦争を経ずに国を一つにまとめた要因として、


「宗教の自由を受け入れた」


ということがあります。


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伊勢にある『神宮』と

出雲にある『出雲大社』は宗派が全く異なります。


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三輪山にある『三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)』も異なります。


にもかかわらず、

多少のいざこざはあったとしても

お互いの宗教を尊重し合い、

世界で唯一。

戦争を経ずに話し合いによって国を一つにまとめ上げていきました。


そして、そのような土壌に

「仏教」が融合したのです。


これが、


『和の精神』


です。


自分たちの考えが正しい!とか

考えを無理やり押し付けるようなことはせずに、


相互に尊重し合いながら

どのようにしたらみんなが納得して仲良くすることができるか?

どのようにしたら互いの『よさ』を共有することができるのか?

を考えて

『調和』していく。



「神道」も「仏教」もお互いに歩み寄って、

お互いがお互いのことを理解し合い、

再び、一体となり日本国を支える日が来ると

何かが変わるような気がします。




これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。


しかし、

2011年3月11日

東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。


じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!


まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。


「日本を知ることは、
       『自分のルーツ』を知ること」


わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?

そして、子どもたちに伝えませんか?」

自分の生まれた国を誇りに感じることは、

きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。


一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!



最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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