ぶれない生き方を体現するための一手『会津武士教育』に学ぶ義の教育観(完結編)~「武士道」に学ぶ義の教育観とは?~ー『日本人のこころ』29ー
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
いよいよ7月も終盤ですね!
夏休みに入り、自分の取り組みたいことにより一層集中できる期間を
つくることができます。
夏休み期間は、
できるだけXのspaceでの学習会や記事の執筆に励みたいと企画しています!
特に、
Xのspaceでは、日本がより好きになるような主題でお話をして、
執筆活動では、『古事記』についての学びを再開していきます!
いつも、「和だちプロジェクト」の活動にご理解、ご支援をいただき
ありがとうございます。
引き続き、6年目の「和だちプロジェクト」をよろしくお願いいたします。
さて、本テーマもいよいよ完結編です!
「私たちの心に、『武士道』は残っているのでしょうか?」
最後は、この問いに迫っていきたいと思います。
1)『武士道』とは?
近年、「日本人のモラルが低下している」という声があります。
などなど、社会問題と言える課題は山積しています。
しかし、私は日本を諦めたくありません。
日本人は、野蛮なのでしょうか。
いや、私たちの先人たちが遺してくれた
そして、今でも私たちの心にも残っている心があるはずだ。と。
今から、約100年前。
「日本人とは何か」を悩み、考えた人がいました。
新渡戸稲造さんです。
その新渡戸さんが書いた『武士道』を紐解くことは、
私たちの心に「武士道」が残っているのか?のヒントを与えてくれます。
新渡戸稲造さんは、
1862(文久2)年、盛岡藩の上級武士である父、
新渡戸十次郎と母せきの三男として
現在の岩手県盛岡市の城下町で生まれました。
1862という年は、江戸時代の末期、明治維新の6年前のことで、
江戸では坂下門外の変、京都では寺田屋騒動など、
血なまぐさい事件が相次いで起きた頃でした。
その後、
東京外国語学校に進学し、札幌農学校を卒業。
ドイツへの留学を経て、札幌農学校の教授となりますが、
多忙を極め、過労のため脳神経衰弱症を患ってしまい、
アメリカ西海岸のカリフォルニアで療養生活をすることになります。
その療養生活の中でも意欲的に執筆活動に取り組みました。
そこで生まれたのが『武士道』です。
『武士道』を書くきっかけは、
ドイツ留学中のラブレー教授との会話、
「宗教教育がないのに、どのように道徳を教えるのか?」という
問いでした。
この問いの答えを求めつつ、
カリフォルニアの療養生活中は、
日本人である自分自身を、また外国から日本という国を見つめなおすため
の絶好の機会でした。
幼き頃を振り返ってみても、新渡戸さん自身の学んだ学校には、
倫理や道徳の教科はありませんでしたが、
しっかりと善悪の判断はできるし、礼儀・礼節は重んじる。
新渡戸さんは、考えました。
そして彼は、その答えを「武士道」に見出します。
武士の世界に脈々と受け継がれてきた心、
これこそが日本人の倫理観を育んだということを見出すのです。
『武士道』は、日本人の思考や行動を支配する倫理・道徳観を
欧米人に対して説明しようとしたものです。
だからこそ、英文で書かれています。
つまり、
『武士道』とは、新渡戸稲造さんの「日本人論」「日本文化論」と
いうわけです。
では、
『武士道』にはどのようなことが書かれているのでしょうか。
2)「武士道」に学ぶ義の教育観とは?
『武士道』は、
から始まります。
日本人に好きな花を訪ねたときに、
一番多く挙げられるのは桜ではないでしょうか。
なぜ、日本人はこれほど桜が好きなのでしょう?
もちろん、最大の理由は花そのものの美しさでしょう。
洗練された気品と可憐なたたずまいが、
日本人の美的感覚を強く刺激するのだと思います。
ただ、それだけではなく、
桜のもつさまざまな特徴が日本人の生き方や価値観に合っていることも、
理由として挙げられるかもしれません。
そして、
その特徴は武士の生き様とも共通しているのです。
例えば、
桜の色はバラのように鮮やかではありませんが、
派手さを誇らない慎み深さがあります。
これは、
贅沢におぼれず、質素な暮らしを好んだ武士の心情を表しているようです。
また、
桜は、美しい花びらの裏にトゲや毒を隠し持っていません。
それは、
嘘や卑怯な手段を排除し、誠実さを重んじた武士の精神に通じます。
さらに、
「役目」を終えた後、
いつもでもその命を捨てる(散る)覚悟をもった潔さ。
それは、
大義のためにその身を捧げた武士の姿を連想させます。
私たちが春になってこぞって花見をするのは、
日本人としての原点を改めて立ち返るためのものかもしれません。
「武士道」という言葉を聞くと、
保守的で古臭い考え方なのだろうと思っている方も
おられるかもしれません。
山本常朝の『葉隠』
井沢蟠龍の『武士訓』など、
「武士道」という言葉を使って封建主義的な考え方を説いた
書物もあります。
『葉隠』や『武士訓』は、武士の「処世訓」ともいうべき内容で、
「武士道」そのものを体系的に論じているわけではありません。
著名な君主や特定の武士が遺した教えを伝えている書物です。
よく「武士道とは死ぬことと見つけたり」
という言葉があります。
これは、
『葉隠』の一説ですが、
自ら死を選ぶことに美学を見出しているわけではなく、
何事にも死ぬ気で取り組むことの大切さを説いているのです。
その一方、
『武士道』は、武士が貫いた価値観・行動規範を幅広く取り扱っています。
新渡戸稲造が『武士道』で伝えたかったのは
「ノブレス・オブリージュ(高き身分の者にともなう義務)」。
つまり、
上に立つ者に求められる責任、
国家を支える人々に求められる「公の精神」であり、
「正義を貫く心」です。
『武士道』の中で
第三章から第十章にわたって「
武士道」の徳目について論述されていますが、
それらの徳目が新渡戸稲造さんの『武士道』の最重要主題であり、
その中心を成していると言っても過言ではありません。
全部で7つの徳目が書かれています。
まず最初に「義」です。
「義」とは、一言でいえば、正義の道理です。
人として守らなければならない道のことです。
この「義」が精神面の柱であるのに対し、
これを行動面から支える徳として、「勇」があります。
「勇」とは、どんな状況にも恐れることなく立ち向かっていく強さです。
勇気とは、
危険を冒して、命を懸けるといった勇猛さを意味するのではありません。
真の「勇」とは、
義、正義を形作ることであり、義を伴っていなければ
徳とは認められないのです。
さらに、
内面に隠れされた何物にも動じない平常心です。
本当に勇気のある人は常に穏やかで動揺しないのです。
次は、「仁」です。
「仁」とは、
愛情、寛容、哀れみの心、簡単に言えば他者への思いやりです。
「仁」は、
人間の魂がもつ性質の中で、最も気高い王者の徳と考えられており、
武士として、その内にある土台に存在するべきものと
位置づけられています。
仁の心を持っている人は、
苦悩する人、辛苦に耐えている人、弱い人々を思いやることができる人
なのです。
武士は、
漢詩や和歌、俳句を学び、折に触れて花鳥風月を詠む詩人となるように
努めていました。
戦いの中でもやさしい気持ち、
他者を慮る心を育てるようにしていたのです。
そして、
「仁」から生じるのが「礼」です。
「礼」とは、
心の価値であり、いかに人として立派であるかが問われるものなのです。
他者を思いやる心、
つまり「仁」が形となって表れたのが「礼」なのです。
寛容にして、慈悲深く人を憎まず、
自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせない。
自己の利益を求めず、憤らず、恨みも抱かない。
そして、
「仁」や「義」と一緒になったとき、
初めて高い徳へとつながっていくのです。
「礼」とは、相手の心に寄り添うこと、相手を尊重することなのです。
相手の身に起きたことを自分のことのように想い、振る舞う。
泣いている人とは一緒に泣き、喜ぶ人とは一緒に喜ぶ。
「礼」と相互に関係しあうのが「誠」です。
「礼」に誠実な心が欠けているとそれは、
「礼」とは呼ぶことができません。
単なる虚礼であると言います。
言い換えれば、
「礼」の誠実さを裏付けるものとして「誠」の存在があります。
嘘やごまかしは卑怯とされ、武士はそれを激しく嫌いました。
その身分がゆえに一段と高い正直さと誠実さが要求されたのです。
「誠」という字は、
『言』と『成』との結合によってできているように、
言ったことを成すのが武士の掟であり、
命を懸けてでも果たさなければならなかったのです。
それだけ重みのある武士の言葉である正直・誠実は
「名誉」へとつながっていくのです。
嘘をつくことは、武士が最も尊ぶ「名誉」を傷つけることになります。
では、
「名誉」とはどのようなものなのでしょう。
「名誉」は、武士が最も希求したものであり、至高の徳でした。
「名誉」という感覚には、
人格の尊厳と明白なる価値の自覚が含まれています。
人として侵されてはいけない大切な部分と
自分が置かれている立場や能力を知ることから
「名誉」という考え方が生まれるのです。
誠を尽くして生きていれば、
自ずと自己の能力や価値が高まって
その生き方は誰にも侵されません。
武士にとっての「名誉」はとても繊細なものでした。
だから侮辱されると大変なことになりました。
しかし、
本当の武士は、その怒りを寛容と忍耐で抑えたのです。
支配者であり、
刀という武器を持った責任ある立場の武士が厳しき
守り続けてきた「武士道」。
その究極の理想は、平和なのです。
そして、
最高の「名誉」が得られるものに「忠義」があります。
「忠義」は、心から主君に仕えることで、
封建時代における武士ならではの徳であり、
名誉を希求する武士の行動であったのです。
この「忠義」という考え方は、
他国ではほとんどその信奉者を見出すことはできないだろうと
新渡戸さんは語ります。
しかし、
それは古臭い考え方だからというわけではなく、
他の国は「忠義」が忘れ去られていたり、
他の国が到達できなかった高みまで我が国がその考え方を進めていたから
なのです。
「武士道」は、
個々の利益や権利よりも「家」を大事にしたのです。
家族とは、一人一人が別ではない「一心同体」の存在である、と。
そして、
「武士道」は個人をさらに上の存在と結びつけたのです。
「個人とは、社会の構成要素である」
と。
つまり、
素晴らしい国家は心を鍛えた個人、
一人一人が創り上げるべきものなのだ、と。
「忠義」とは、主君の奴隷になることではありません。
武士は、
主君が間違った言動などをしているのにゴマをすって機嫌とる者を
「佞臣(ねいしん)」
卑屈に追従して気に入られようとする者を
「奸臣(かんしん)」と呼んで軽蔑しました。
主君が間違った行いをしたら、
あらゆる可能な手段を尽くして過ちを正すべきだという考え方なのです。
だからこそ、もしも間違いを正すことができなかったら、
命をもって自らの誠実さを示し、主君の叡智と良心に訴えたのです。
つまり、
本物の武士の「忠義」とは、
主君にこびへつらうのではなく、
過ちがあれば命を懸けていさめることなのです。
3)わたしたちの心に「武士道」は残っているのか?
『武士道』の徳のすべてを希求し、
これらの徳を備えて、磨くことが理想なのです。
これらの徳は、
一般社会人の倫理・道徳として当たり前のものに見えるかもしれません。
しかし、
当たり前のことを行うことこそ、実はとても難しいのです。
だからこそ、
これらの徳を常に意識し、心にとどめ、
常に実践していく姿勢が肝要なのです。
私たちは、「武士」を歴史上の存在として捉え、
自分たちとは関係のない『遠いもの』と考えがちです。
しかし、
普段使っている言葉の中には、
武士の生き方をうかがい知れるものが多く残っています。
「武士は食わねど高楊枝」
ということわざがありますが、
これは、
武士なら食事を済ませなくても、食べたふりをして(爪楊枝を使って)、
ひもじさをみせないものだという意味です。
また、
「一合取っても武士は武士」
という言葉もあります。
これは、
どんなに生活が苦しくても誇りを忘れないことという意味です。
この2つから読み取ることができるのは、
武士がいかに『誇り』を大事にしていたかということでしょう。
他にも、
「武士に二言はない」
という言葉もあります。
武士が一度口にしたことは必ず守るという意味です。
「武士の情け」
という言葉もあります。
武士の情けとは、
武士が自分より弱い立場にある者にかける恩恵や慈悲のことを指します。
武士階級がなくなった今では転じて、
強者から弱者への憐れみの気持ちを意味する言葉となりました。
このような言葉がいまだに残っているということは、
現代の私たちの中にも、
「武士道精神」の一端が受け継がれていると言えるのではないでしょうか。
『武士道』が書かれた当時、
日本は文明の先進国である西洋諸国から見れば、
一段低い水準のアジアの小国としかみなされていませんでした。
それが、
眠れる獅子と言われた清国に勝利したことから、好奇の目で見られ、
野蛮で好戦的な民族とさえ思われるようになります。
さらに切腹の習慣は、
自殺を禁じられたキリスト教の国から見れば、
到底理解できない恐ろしい死に方に映り、
野蛮な国という印象を強く与えるものとなります。
それが、
日本人に対する偏見や差別感となって表れていました。
そのような状況を目の当たりにした新渡戸さんは、
日本人は野蛮でも好戦的でもない、
長い歴史の中で培われた立派な倫理道徳観があることを
訴えたかったのです。
そして、
それを西洋諸国に知らしめるために『武士道』を書いたのでした。
明治という時代、日本が急速に変貌を遂げた時代。
文明開化の熱に踊らされ、国民道徳が荒廃した時期でもありました。
そのような時代の中、日本語にも翻訳された『武士道』は、
当時の人々に、さらには大正、昭和の人々に
「日本人とは何か?」を問い直しました。
そして、
人々は、失われていく日本人の伝統的な倫理道徳を振り返ったのです。
「武士道」を形成した日本人の特性は、
変容しつつも、現代もなお私たちの心の中で生き続けています。
グローバル化がますます進み、
なんでもかんでも「多様性」と叫ばれて無秩序になりつつある
国際情勢の中で、
いま『武士道』は、
現代を生きる私たちに「日本人とは何か?」を問いかけてくれるでしょう。
そして、思い起こさせてくれるに違いありません。
人としての生き方や考え方。
品性や美徳、優しさ。
時代が変わっても、絶対に変わらないものが「日本」にはある。
先人が大切にしてきた
「日本人として生きていく上で美しい姿」とは何かを
考える一助になれば幸いです。
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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。
極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。
昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。
その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語と修身教育を廃止させたのです。
戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。
しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。
道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。
「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。
教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。
教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。
教育とは国家戦略。
『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。
「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。
江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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