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自分らしさを尊重する学びをを実現するための一手『奈良女の教育』に学ぶ信の教育観(前編)~大正時代に取り戻した我が国の伝統的な教育方法とは?~ー『日本人のこころ』22ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


運動会も終わっていよいよ6月に入りますね!
みなさま体調はいかがでしょうか?

来週は修学旅行を控えており、
準備を進めなければなりませんが、
忙しさを言い訳にせず
我が国のために何ができるのか?
和の心を教育活動に取り入れるためには
どうすればよいのかを考えて
心を整えていきたいです。

さて、
今回からはまた新しい視点で
我が国の教育について見つめなおしていきたいと思います。

今回もよろしくお願いいたします。







今から約100年前の「大正時代」。

明治維新から約50年後の我が国は、
欧米列強にいつ飲み込まれてもおかしくない時代において、

一気に経済大国に躍進し、第一次世界大戦を経て、
アジア初の国際連盟の常任理事国となり、
世界五大国の一角をなす
ことになります。

当時、
列強はアジアを植民地化しようとしており、
アメリカはフィリピン
イギリスはマレーシア、シンガポール、ミャンマー、香港、インド
オランダはインドネシア
フランスはベトナム
アジアのほとんどの国は、欧米の植民地となりました。

日本とタイだけが植民地にならずに済みました。




そのような意味で
「大正時代」は、
我が国が、大国としての地位を確立させた時期であり、
「大正ロマン」「大正デモクラシー」と言われるように、
束の間の自由で明るい時代でした。

近代化の成果が実を結んだ日本では、
国民の教養も高まりました。

学校教育では、
小学校の就学率がほぼ100%となり、
中・高等教育機関も充実し、進学率も高まりました。

活字文化も広がり、
新聞や雑誌などが急速に成長して盛んに言論が戦わされるようになり、
娯楽分野でも週刊誌や絵本、小説が人気を集めました。




教育界では、
「自由教育運動」が活発に行われることになります。

のちに「大正自由教育運動」と呼ばれるこの取組は、
大正後期~昭和初期の自由主義的な教育をめざす運動です。

第1次大戦中から戦後にかけてデモクラシーの風潮を反映して、
子供の自主性を尊重し個性と創造性をのばす教育
民間を中心に活発になりました。




そのような中で、
1911年(明治44年)に開校した学校である
奈良女子高等師範学校附属小学校でも
明治維新において、
米国から輸入された「一斉指導」の学び方に相対する
我が国らしい自分らしさを尊重した学びへの挑戦が始まります。

2004年(平成16年)に奈良女子大学附属小学校となり、
2011年(平成23年)に創立100周年を迎える学校です。

大正デモクラシーの影響で、
2代目指導主事として赴任した木下竹次先生らが
自由で民主主義的な教育を展開しました。




大正時代に木下竹次先生が提唱した『奈良の学習法』は、
奈良女子大学付属小学校に脈々と受け継がれて現在に至っています。

そして、
奈良女子大学付属小学校
現在我が国が国家戦略として推し進めている
「令和の日本型学校教育」を体現する学校として
多くの教育者から注目を集めているのです。

では、
奈良女子大学付属小学校では、
どのような教育が展開されているのでしょうか?

明治維新において、
欧米の学校教育法を採用し、
歴史的に発達してきた我が国の伝統的な教育を破壊してから
約150年が経った
我が国の教育を見つめなおす一助とするために、
奈良女子大学付属小学校の実践から多くの知見を一緒に学びましょう!




今回は、

「自分らしさを尊重する学びを実現するための一手 
 『奈良女の教育』に学ぶ信の教育観」

という主題でお話をしていきます。

最後までお付き合いいただけると嬉しく思います。

よろしくお願いいたします。


次回は、
そもそも我が国の国家戦略である
「令和の日本型学校教育」とは何か?
考えていきたいと思います。


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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。

極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。

昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。

その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語修身教育を廃止させたのです。

戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。

しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。

道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。


「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。

教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。

教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。

教育とは国家戦略。

『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。

「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。

江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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