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毎日投稿のモチベをどこに見出すか。

 ども、毎日投稿83日目の平子です。男です。

 本日も細々とブログ更新!「経済悪化は世界恐慌以上」というニュースを見かけたので、以下の記事を書きました。


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 さて、今日のnoteは「毎日投稿という苦行をするにあたって、モチベーションをどこに見出すか」の話。


 なぜこれを考えたかというと、僕がフォローしいている方が今日で450日の毎日投稿を達成されたようで。その記事を読んだときに、同じ毎日投稿者として非常に刺激を受けたと同時に違和感を覚えたからです。

 その方は記事内でこう語っていたのです。

 「こんなに毎日投稿を続けてこれているのは、他でもなく、毎日見てくださっているフォロワーさんたちのおかげ」だ、と。


 僕は自分の最初の記事にて、noteの毎日投稿のポリシーとして「自己満足」を挙げました。

 人に見られらることを前提とせず、自分が書きたいことを書きたいように書く。しかし発信者という立場はきちんと分けまえて発言する。


 今でもこのポリシーは変わりません。たとえ記事の閲覧者数がスキの数より少なかろうが、人に見られることは度外視で書いているので、その事実が僕のモチベに関わる事は一切ないと。


 しかし450日も毎日投稿している方が「見られていること」をモチベのタネに挙げるなら、僕は今後、毎日投稿を続けることができるだろうかと、ふと考えてしまいました。

 

 もちろん、なにをもってモチベーションのタネとするかは人それぞれ。しかしどうしてもビビってしまう...。


 仮に僕が明日から他者に見られることを前提に記事を書き始めたとしてフォロワー様が増えるとは限りません。逆に減っていくかもしれない。


 このまま我が道を走り続けるのか、それともいまから方向転換して見られることを前提にして書くのか...。


 僕の現状での答えは前者です。変わらず我が道を走り続けます。

 よく考えたら、人に見られることがかえってプレッシャーとなってしまい、ノビノビと投稿できなくまってしまう。そんな小心者が平子という人間です。(だからと言ってフォローを外すとか、スキしないとかはやめて!!!!!! いつもありがとうございます!!!)


 前述の通り、モチベの保ち方は人それぞれ。僕の場合は書きたいことを支離滅裂に書きなぐるスタイルが性に合っていると感じます。


 僕も450日も投稿を続けたら自然と思考が変わっているんだろうか。とにかく毎日投稿83日目なんてまだまだ序盤。このゴールのないマラソンをいつまでもどこまでも突っ走って、学びの多い場にします!


 (自分で問題提起して自分で答えだして。ってこれひどい記事やな...。俺の別の人格しか興味湧かんよこんなん...。)


ーーという備忘録でしたーー

何か秀でた能力があるわけでもなく、友達が多いわけでもない。1日誰とも話さない日もザラにある。引きこもり文系大学生の心に秘めた思いをツラツラと。