【No.1336】ゴミのポイ捨ては運を捨てている
ビジネスの場では、「こういう場合にはこうする」というルールを設定し、それらのルールが集積されることでマニュアルが形成されます。これらのマニュアルは、さらに広い意味での仕組みやシステムとも言えます。
企業においては、このようなルールに基づいて行動することで、売上の向上が期待され、その行動はKPIなど数値的に測定されます。
売上だけでなく、業務効率やコストカットなど、様々な分野においても同様のルールが設けられ、それが積み重なって会社全体のシステムを構築します。
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個人の行動においても同様です。個々の事例に対して「こういう場合にはこうする」というルールを設定し、それをマニュアル化することが有効です。
これらのマニュアルは、個人の行動パターンとしてシステム化され、結果的に生活全般における自動的な成果を生み出す可能性があります。
それに従って生きていれば、勝手に成果が出る(たとえば、経済的に豊かになる、友だち関係も、家族関係も良好になる)なら、最高ですよね。
これが個人の「システム」や「仕組み」となります。
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そういう仕組みの根幹になるものって「言葉」だと思うんですよね。
もっと言えば「言葉に対する解釈」だと思います。
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例えば、
仕事と聞いたときに、楽しいものと考える人と、生活のためにやらないといけないものと考える人、どちらが成果がでるでしょうか。
家族と聞いたときに、自分を支えてくれる存在と考える人と、自分を束縛し自由を制限する存在と考える人、どちらが良好な家族関係をつくれるでしょうか。
お金と聞いたときに、お金稼ぎは価値提供の対価であり良いことであると考える人と、お金を稼ぐ人間には悪い人間しかいないと考える人、どちらが経済的に恵まれるでしょうか。
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昨日、マンションの共用部で、娘がチラシのゴミを拾いました。ポスティングされていた不動産のチラシ。
それを見た妻が「だれかの捨てた運を拾ったね」と言いました。娘は「運っって?」と分かっていない様子でしたが
ゴミのポイ捨ては、運を捨てるということ。
ポイ捨てされたゴミを拾うのは、だれかの捨てた運を拾うこと。
こう定義されたら、ゴミをポイ捨てしなくなる上に、街中のゴミを拾うようになるかもしれませんね。
娘の「こういう場合にはこうする」というマニュアルに、「ゴミを見つけたら拾う」というルールが設定され、
そして、それで運がよくなるのであれば(ここでは運の定義は割愛させてもらいますが)とっても良い習慣であり、仕組みであると言えそうです。
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もっと言えば、最初はゴミを見つけても拾うか拾わないか迷うこともあるでしょうが、
いつか拾うということが、無意識のデフォルト行動になってしまえば、
常に、なにも考えずに、運を拾い集めていくことができるんですよね。
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ポイ捨てされたゴミは、だれかが捨てた運。
素敵な定義だなぁと思った次第です。
ちなみにこれとは全く関係なく、今週末はこども会で近くの河川敷のゴミ拾いボランティアに参加する予定でした。
ちょうどいいタイミングに、素敵な定義をもらいました。意気揚々と、だれかが捨てた運を拾い集めてきます!
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ということで、今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」「あらかじめ○○していたら、あとで楽になる」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、人生と仕事を楽しんでいきましょう!
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