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じぶんよみ源氏物語 2 〜消滅と再生〜

出会いと別れは人生のさだめ

『源氏物語』には、
とにかくたくさんの人物が登場します。

1帖「桐壺」から書き始められたという説は、
今ではあまり信じられてはいないようです。

色々な場面を継ぎ足ししながら書いたために、
多少、前後の時間軸が噛み合わなかったり、
登場人物のキャラが急変するところもあって、
そこがまた、アナログ感が漂うのです。

だからか、物語の中で、
「出会い」と「別れ」が何度も交錯します。

中には、
いったん別れた後、
2度と戻ってこない人もいます。

それからほどなくして、
その人の欠点を補う人が現れる。

「消滅」と「再生」です。

「桐壺更衣の死」と「藤壺ふじつぼの登場」は、
その最初の例です。


桐壺更衣の消滅

周囲のいじめによる過度の心労から
すっかり衰弱してしまった桐壺更衣は、
いよいよ自らの死を悟ります。

桐壺帝に向けて詠んだ和歌です。

かぎりとて別るる道の悲しきに
いかまほしきは命なりけり

(訳)
自分の命の終わりが来たのだから
お別れしなければならないのは分かります。
でも、それは、あまりにも悲しいのです。
私が行きたいのは、
死の道ではなく、生きる道なのですよ。

「私は、死の道に行きたいのではなく、
生きたいのです」

掛詞かけことばですね。
シンプルなだけに、
無念がストレートに伝わってきます。

この切実な想いむなしく、
桐壺更衣は物語の最初で亡くなります。

残された者も悲嘆に暮れます。
中でも、母上の衰弱は同情を誘います。
女手一つで育てた愛娘の非業の死。
この現実を受け止められません。

桐壺帝の悲しみも言うまでもありません。
桐壺更衣が亡くなった後も、なお、
正妻である弘徽殿女御こきでんのにょうごから怒りを買うほどの
落胆を見せます。


藤壺という形での再生

そこに藤壺の登場です。

桐壺更衣と
あまりによく似た女性・・・

彼女は桐壺更衣とは違って先帝の娘、
最強の家柄です。

母の后は、
もし娘が帝の妻になれば、
桐壺更衣の二の舞になるのではと、
用心するほどでした。

母后「あな恐ろしや、
春宮の女御のいとさがなくて、
桐壺更衣の、あらはにはかなく
もてなされし例もゆゆしう。」

(訳)
母后は思いました。「まあ恐ろしいこと、
弘徽殿女御たちがとても非情で、
桐壺更衣が、明らかにものの数でもなく
あしらわれた例も忌まわしいことですわ」


ところが、この后も亡くなり、
藤壺はあっけなく宮中に入ります。


げに御容貌ありさま、
あやしきまでぞおぼえたまへる。

(訳)
ほんとうに、お顔立ちとお姿が、
不思議なまでに桐壺更衣に似ておられる。


「あやし」の世界へ

藤壺は桐壺更衣と
あやしき」までに似ている。

「あやしき」の終止形は「あやし」。
「あや」と声を立てたくなるくらいの
不思議で異常なものに心ひかれる、
という意味です。
(岩波古語辞典より)

人為ではない、
偶然か、運命のいたずらか、神仏の仕業か?
あやし」としか言いようのないミラクル。

かくして、
「桐壺更衣の消滅」は、
「藤壺を再生」した
のです。

元服をすませた12歳の光源氏は、
言葉にならないほどの
胸のときめきを覚えます。

え、亡きお母さんとそっくりな女性が、
父上の奥さんになる?
そんなことって、あるの?


語り手は、
光源氏と藤壺を眺めながら、
次のように言います。

うつくしげなるを、
世の人光る君ときこゆ。
藤壺ならびたまひて、
御おぼえもとりどりなれば、
かかやく日の宮と聞ゆ。

(訳)
光源氏のあまりの美しさに、
世間の人は「光る君」と申し上げる。
藤壺は、源氏と並ばれて、
帝の寵愛もそれぞれ同等なので、
輝く日の宮と申し上げる。


語り手は、
この2人が完璧にお似合いだとつぶやく。
どこか他人事のように。

これから、
運命に導かれる2人。

光と影。

消滅と再生をももたらす
「あやし」のパワーが、
ここから始まっていきます。






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