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じぶんよみ源氏物語 20 ~本来の自分がいちばん強い~

強い人間

村上春樹の代表作「ノルウェイの森」に、
永沢さんというリアリストが登場します。
ハツミさんという彼女がいて、
その方は「理想的」とも言える女性です。

ある夜、
永沢さんとハツミさんと「僕」の3人で
ディナーをとっている時、
永沢さんは、

俺は自分のことを
他人に理解してほしいと思っていない

と冷徹に言い切ります。

他の連中は自分のことを
他人にわかってほしいと思ってあくせくするが、
俺は理解してもらわなくたってかまわない、
自分は自分、他人は他人だ、と。

お前も同じだと言われた「僕」は、
自分はそれほど強い人間じゃない、と返します。

どうしようもなく
永沢さんが好きだったハツミさんは、
彼のそんな部分に苦しめられていました。

永沢さんとハツミさんが、
レストランで激しく口論した後、
僕はハツミさんと2人でビリヤードに行き、
ハツミさんの部屋で哀しい話を聞きます。
ハツミさんはその後、自ら命を絶つ、
そんなお話です。

「ノルウェイの森」は、
SFの世界が多い村上作品では
異色とも言えるリアリズムの小説だからか、
この時代におけるやり場のない虚しさを
強く感じます。

太宰治の世界に通じるものがあると、
私は思っています。


自分に同情する人間は、弱いか?

源氏物語の話をします。
第12帖「須磨」の巻です。

弘徽殿大后こきでんおおきさきから流罪を言い渡される前に、
光源氏は自ら須磨に退去します。

彼が須磨を選んだのには、
都から近すぎず遠すぎずの絶妙な距離感の他に、
ある理由がありました。
須磨という地場そのものにまつわることです。

少なからず影響を与えたのは、
過去に須磨に流された色男、
在原行平ありわらのゆきひらです。
「伊勢物語」の主人公、在原業平の兄ですね。

わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に
藻塩もしお垂れつつわぶと答へよ

(訳)
もし、たまたま尋ねる人がいたら、
私は須磨の浦で、
海藻からしたたる水のように、
涙を流しながら寂しく暮らしている
と答えてください

なんとナルシスティックな歌だろう、
と私には思えてしまいます。

俺は須磨の浦で、1人寂しく暮らしている。
俺のことなんて誰も尋ねてはこないだろうが、
もし誰かに声をかけられたら、
俺は泣きながら生きているって、伝えてくれ。

表向きは気取っているようですが、
「誰か僕のことを尋ねてきてー」
という本音が聞こえてきそうです。

この少しツンデレな感じが
どこか分かりやすく、
平安女性たちの心を
くすぐったのかもしれません。

在原行平の須磨への流罪は、
当時にしてはセンセーショナルなニュースで、
この和歌も多くの人に知られるものでした。

藻塩とは、海人あまが獲ってきた海藻を
浜辺で焼いて作る塩のことです。

その海藻から滴る塩水は涙を連想させます。
そして女性の海人を「海女」と書くように、
「海女」は「尼」につながり、
世を捨てて出家した女性のイメージを
漂わせます。

なので、行平が詠んだ、

須磨の浦に 藻塩垂れつつ

という言葉は、
須磨とは世をはかなんで涙を流す場所という、
固定化された世界を表現しているのです。

光源氏もまさに、
その世界に耽溺たんできしたのだと思います。


想像と現実のあいだ

ところが、実際の須磨での生活は、
想像していたよりも寂しいものでした。

生活が落ち着くにつれて
都に残してきた人たちのことが偲ばれます。

藤壺、朧月夜、紫の上、、、

光源氏はその人たちに手紙を送ります。
中でも紫の上の悲嘆は激しく、
起き上がることもできないほどでした。
若い彼女には、
弾きかけの琴や脱ぎ捨てた着物などが、
光源氏が帰らぬ人になる前兆に見えます。

かの六条御息所とも
文のやり取りを交わしました。
彼女は斎宮さいぐうになった娘君と共に
伊勢に下向しています。

(六条御息所)
うきめ刈る伊勢をの海人を思ひやれ
もしほたるてふ須磨の浦にて

(訳)
浮海布うきめ刈りながら憂き目に遭っている
伊勢の海女のような私の心を想像してください。
「藻塩垂る」という言葉のごとく、
涙に暮れておられる須磨の浦から。

いかにも六条御息所らしい和歌です。
「浮海布」と「憂き目」の掛詞が
彼女の心情を代弁するようです。
「伊勢の海人」という言い方は、
神に献上する塩を作る
どこか神聖な海女の姿が思い浮かびます。

これに対して光源氏はこう詠み返します。

(光源氏)
海人がつむ嘆きの中にしほたれて
いつまで須磨の浦にながめむ

(訳)
海人が嘆き(投げ木)をしながら
薪を積む光景を見て
泣き濡れて、いつまでこの須磨の浦で、
物思いをするのでしょう。

掛詞が織り交ぜられた、
湿りっ気たっぷりの和歌です。
在原行平に共通する、
ナルシスティックな空気も漂います。


甘えん坊の強さ

神戸市須磨海浜公園には、
夏になると多くの海水浴客であふれ、
海面はキラキラと輝いています。

今の光景からは想像できないほど、
平安時代は寂寥とした地でした。

光源氏は自ら流離しておきながら、
やっぱり都が恋しくって
たまらなかったのです。

手紙をもらった人たちも、
滅多に甘えてくれない光源氏からとあって、
うれしさも手伝って、
彼への想いが溢れてきます。

いつもは近くにいるあまり、
うまくは言えないことも、
距離によって素直に言葉にできる。

自分のことを他人に理解してほしい。

その思いが、
光源氏にも、都に残された人々にも、
込み上げてきた。

須磨の寂しい光景の裏側には、
人間が本来もっている素直な心の温もりが
沈み込んでいるのです。

塩をふったスイカが甘くなるみたいに。



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