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これを見れば、自分がわかるnote

はじめに

相棒の永井が思考の整理をnoteでしていたので、自分もしてみようかなと。少し長くなるかも知れないが、これを見返したときに2021年2月7日時点での自分がわかるnoteにしたい。

自己紹介

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名前:多田 圭吾(Tada Keigo)
出身:大阪(Osaka)99年生まれ
趣味:無計画な旅、写真
興味:エンタメ、デザイン、コンセプト、企画

学生団体Entervibeで主に活動している普通の大学生、かも。

21年間の過ごし方

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雑ではあるが、ざっとこんな感じ。小さい頃から飽き性であったので、いろんなエンタメに触れては飽き、触れては飽きを繰り返していた。

なので、特にこれが好き!というものはない。なぜ、映像学部に来たのかわからないくらい映画にも、ゲームにも、音楽にも興味のない人間であった。それでもこの学部に来た理由は、『なんかおもしろそう』やから。

思い返せば、小さい頃からテレビがあり、パソコンがあり、携帯電話があり、様々な画面(映像)に触れてきて、小学校のときにも友人と数人で(自分はお手伝い程度)ゲーム制作をしていた。ゲームをプレイする側から作る側を経験は、とても楽しく、エンタメに興味がないと言いながらも自分に気付けてなかっただけかも。

『Moneyman』という名前だったか?? もう覚えていない。このゲーム制作をきっかけに出会った友達と、卒業するまでに様々なものを作っていた気がする。

消しゴムを将棋のコマにし、自分たちで考えた新しいボードゲームであったり、漫画を描いてみたり、独自のカードゲームも考えてみたり、お楽しみ会を一緒に企画してみたり、

今の活動の原点とも言えるようなことをやっていた。中学受験とか大学受験という暗闇に突っ込まれたせいで、自分を見失っていたことに気付かされた。

なんのため?

大阪にある私立中高一貫校で6年間通い続け、皆勤賞を取るほどには学校は好きだった。しかし、とりあえず国公立大学、とりあえず模試で成績を取ること、とりあえず課題を提出させることを推める学校だった。

この長い六年間で、

「なぜ」を考える力を失っていた。

我が校の異名「勉強少年院」である。あー、怖い怖い。よく耐えたな自分、うんうん。大学受験を経験し、現役の時も映像学部に合格したが訳ありの浪人を経験している。

この浪人期間がなかったら、今頃大学で遊び呆けて終わっていた気がする。大学に行く目的を見つける一年間になり、いい経験をした。

高校と大学のギャップ

浪人の話は、人生の鉄板ネタなので気になる人はぜひ聞いて下さい。

大学に入ってから、一番に感じた高校とのギャップ。評価される軸も、宿題も、やることも、何もかも与えられ、それを積極的に熟すことが大切とされていた小学校から高校生まで(個人的な見解)。それに対して、大学では急に放置され、自分でやることを探し、自分で行動を起こし、積極性ではなく主体性を突然求められる世界に突っ込まれた気分。

大学を目指しているのに、大学生になったときの生活がとても想像できず不思議な感覚に。4年という短い期間、何をすればいいかわからないまま過ごす時間はとても勿体ない。

就職に対しても、その時と同様のイメージを持っている。インターンはそのためにあるのか、自分が社会人として働いているイメージが全くできない。

「英数国理社」という一般教養的なテストという点数の評価軸で順位付けをされてきた世界の中から飛び出て、自分の揺るがない哲学を持っている奴とか、圧倒的な行動力で見せつけてくる奴とか、そういう奴が評価される世界になったような感じ。

与えられた問に対して、わからないというのが恥ずかしかった。

今まで与えられていたものを今は自分で探さなければならない。わからないことが何が恥ずかしかったのか。もっと知ったり、わかったりする楽しさを伝えていきたい。

自分のやりたいこと

結論、そんなん見つからん。

浪人を入れて約三年間ずっと探してたけど、先輩に相談した時「『やりたいと思ってる』って虚構じゃない?」って言われた瞬間、今まで考えてた3年間がスッキリした。

自分のやりたいことは、自分を幸せにするもの。世界とか、社会問題とか、技術発展とかはちょっと自分にとっては広すぎる。自分の周りと少しでも良い意味でアホなことして爆笑してる環境を作れたらそれでいい。

ユニークでワクワクする繋がりを。

ワクワクせな、何も始まらんな~~!エンタメの面白さを知ってしまった!

教育分野にも興味

高校と大学のギャップのところで御話した通り、少しばかりか「知る」ことについて興味がある。中学受験と大学受験を経験して、勉強に対して成績を上げる「ため」の人が周りにとても多い気がした。学歴コンプレックスという言葉があるのも、そういうことなのだろう。

自分が高校生の時にはなかった、”探求の授業”はとてもいいと思う。生徒自信が問を探すことの大切さ。本質を知るためには、問を立てることで知ることができたり。

「わからない」ことが楽しい、そして「知る」ともっと面白い。

そんな環境が作れたら、もっと楽しくてワクワクする世の中になる。

終わりに

考えながら書いて、書きながら考えてるので、途中何を言ってるかわからないかも?まぁ、これで整理出来てたら良き。読んでくださった方はありがとうございました!

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