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目標を「No.1」に設定することのわかりやすさと危うさ。競争のループからの前向きな撤退

前回は、世間的には“いいこと”とされているNo.1を目指すことの弊害についてお話ししました。

こういう話をしても「一番を目指して何が悪い」「No.1よりオンリーワンなんて理想論だ」と、なかなかストレートに話を受け入れてもらえないこともあります。

それだけこれまで脈々と続いてきた経済観念、価値観が根強いということだと思うのですが、「刷り込み」の結果という以上に、一番を目指すことの便利さ、短期的に見たときの効果が大きいのではないかと思っています。


目標を設定する効果

受験勉強でも習い事でもなんでもいいのですが、誰かをモチベートするときにまずやるのは、大きな目標を示すことです。志望校が絞られていなくてもクラスの中、学校などでのテストの点数、「順位を少しでも上げること=一位が一番価値がある」というやり方です。

この価値観は現代でもほぼ説明なしでも簡単に伝わり、親や教師が子どもの勉強効果を測定する指標として抜群のわかりやすさを持っています。

目指せ甲子園! 目指せ国立! 目指せ優勝! の持つ魔力

思えば私も、サッカーに打ち込んでいた学生時代にはこういうわかりやすいフレーズに頼ることもありました。

「目指せ国立」
全国高校サッカー選手権大会は、野球の甲子園がそうであるように、高校で部活をしているサッカー小僧にとっては「当然目指すべき」場所でした。

出場のためには大阪府でNo.1になる必要があり、部員同士でもそのことを日常的に口にしていました。

私は口に出して引っ張るタイプのリーダーではありませんでしたが、「そんなことじゃ選手権いけないぞ」とか「大阪大会で優勝しよう」という、一番を目指すアプローチをしていたことは間違いありません。

チームビルディングにも即効性の高い目標としての「No.1」

部活動では、数十人いる部員のモチベーションはさまざまです。

サッカーを始めた動機、打ち込み具合、将来的にいつまでサッカーを続けるかは十人十色で、その時点での体格や技術、プレーの質にも幅があるのが普通です。

こうした集団をまとめるにはどうしたらいいか?

向かうべき方向、つまり全員に共通する目標を設定することで、おへそを合わせてそこに向かって団結する。チームビルディングにおいてこれがもっとも効果的ですぐに結果が出やすいアプローチなのは事実でしょう。

No.1を目標にすることは本当に正しいのか?

一番を目指すこと、No.1に向かって努力すること自体は悪いことではないことは前回すでにお話ししたとおりです。

しかし、年齢を重ね、改めてもっと長期的な視点で振り返ってみると、他者と比較の上にしか成り立たない「No.1」を全員の目標に設定することは果たして正しかったのか? という疑問に行き着きます。

「一番が正義である」という刷り込みに基づいた価値観は、すでに時代遅れになりつつある「大きいことはいいこと」「できるだけたくさんあることがいいこと」といった物質主義的な豊かさにも共通する違和感があります。

ビジネスについてもまた、一人のビジネスパーソンとして“働く”ことについても、同じことがいえます。

業界内での他社との比較にさらされ、社内でも同僚との比較による競争に追われる。

営業成績のグラフを貼り出すような激烈な競争を煽るやり方はもはやパワハラなのでしょうが、ブラックな体質やマインドが色濃く残る職場が依然として多いのは、やはり「No.1を目指す」という号令の下に社員一丸となって働くという目標設定に問題があるのではないでしょうか。

他者との比較、競争から逃れることのできない一本道のレース

「No.1を目指す」という考え方は、すでに同じ領域にライバルがいる前提でつくられた世界観です。競うべき相手がたくさんいるレースに自ら飛び込み、同じようなやり方をしているライバルをなんとか上回り、その相手を倒すことで自分たちのビジネスを成功させる。

連戦連勝を重ねNo.1になったとしても同じコースを走るフレッシュなライバルが次々に現れ、先頭を走り続けることは難しい

このレースに参加しているうちは、他者との比較競争から抜け出すことはできないのです。

これに気が付いたとき、例えばバリュエンスでは何を目標にしていくのか? 結局はNo.1を争うレースに巻き込まれていないか? と改めて自分たちのビジネスを見つめ直す機会が生まれました。

「No.1を目指す」と言わされていたのかもしれない

ここ数年は、機能的価値だけでなく、情緒的価値で同業他社にはない価値をお客さまに提供しようと呼びかけてきました。これはまさに比較競争のレースから離脱し、自分たちだけの存在意義を見つけるプロセスでした。

私が変わったのか? 以前はNo.1を目指していたのに、それがうまくいかなかったから方向転換したのか? 

時代が変わったのか? 日本自体が国際的な競争力を失う中で、No.1を目指すことが難しくなったからなのか?

自問自答をしてみると、2011年の創業から「業界No.1」や「日本一」を目標に設定したことは一度もないことに気が付きました。

ただ、企業として成長していく中で、メンバーが増え、上場を果たし、ステークホルダーが増えていく過程で、「わかりやすい目標設定」を強いられ、それを社内外に周知しなければいけなくなっていったことは事実です。

創業当初から目指してきたことに立ち返る

いろいろな気づきを得た現在だからいえることですが、正直、「本心ではないことをいわされていた」という感覚があります。

経営者としてはまだまだ未熟な身ですが、ここに来てはっきりとわかってきたのは、わかりやすさや効果測定、指標化のしやすさ、目に見える結果としてのNo.1を目指すことで得られる成果、成長には限界があるということです。

メンバー全員の目指すべきはNo.1ではなく、唯一無二のオリジナルを創り出すこと。

一時の栄光ではなく、時を超えて語り継がれるのは唯一無二の存在、つまりオンリーワンだけです。

大切なのは自分だけの独自の光を見つけること。その光こそが、真に時を超えて輝き続けることができます。

多くの人が無意識に競争の中に身を置いている今だからこそ、他社との比較でしか競えない「No.1を目指すレース」を下り、自分たちが本当に目指すべき「オンリーワンを追求する」新たな道を模索する必要があるのではないかと思うのです。

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