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【Takibitoについて】どうして心のケアに「焚き火」のアプリをつくったのかという話

V.S.?Collectiveの渡邉卓哉です。
私たちは、アーティスト、医師、科学者、社会活動家、起業家などが集まって構成されるチームです。

今日は、私たちが制作中の、自分のこころと向き合う焚き火アプリ【Takibito】
隠されたこころの傷みに寄り添うアプリを考え抜いた結果、焚き火に行き着いた理由についてお話しします。

いのちに、選択肢をつくる。

コロナ禍がはじまり、私たちは以前からよく議論していた、うつや自殺率の増加について、なにか行動を起こすことはできないかと考えました。
ただし、何か行動を起こすにせよ、私たちは、一方的に”特定の心の状態”を「わるいもの」「治すべきもの」と決めつけた行動は取りたくは、ありませんでした。
多様な職業の人間が集まった私たちコレクティブのメンバーを結びつけているキーワードのひとつに、「選択肢」があります。
たとえば、目の前に将来への分かれ道があるとします。
しかし、いま想像できる選択肢以外にも、第3、第4の選択肢が実は存在するかもしれません。
偶然の出会いや巡り合わせで、突然もう一つの道が見えてきた経験がある方も多いのではないでしょうか。
個人的な問題にも、社会的な問題にも、常に無限の回答と、潜在的な可能性が存在している。
その中から、環境や常識、自分への評価、前例、リスクなどを鑑みて、絞られた選択肢を私たちは意識しています。
そこにあらたな選択肢を作り出すこと。
想像していなかった手段や、まだ見つけていなかった道を選び取るための仕組みや、認識を作るための対話や表現を生み出すこと。
それが私たちのクリエイティヴィティであり、だからこそ多様な人間が集まって、このチームは結成されました。
すこし脱線してしまいましたね。話を元に戻します。
自らの死を想うことや、憂鬱な気持ちそれ自体を、完全に否定してしまうことは、かえって抑圧的で、選択の自由のない押し付けになってしまいます。
しかし、たとえば、自殺以外に選択肢がなくなってしまう。本当は別の選択肢があるのに、わからなくなってしまう状態で、苦しみ、迷いながら死を選ぶというのは、あまりにも悲しいと思うのです。
選択肢をもつということは、自分が自分自身を選び取るということです。
立ち止まって、すこし辺りを見渡してみる。もし凍えるように寒く、闇夜で何も見えないのなら、周囲を照らしあたためる、焚き火のような場所をつくりたい。
訪れた人が、それぞれに薪をくべて、すこし暖まって、自分を確かめられるような場所をつくりたい。
そんな想いから、このプロジェクトは始まりました。


社会が受け入れたくないものは隠されてしまう。

社会が物事に蓋をするとき、その重りの中でも特に代表的なものが、見えない空気です。(余談ですけど、実は地球上の空気も四捨五入で5.3kg×10の18乗というとんでもない重さがあるんですって。)
周りが当たり前にやっていることが出来ない。したくない。どう思われるかが心配で相談できない。自分では気づかない。自分がうつになるなんて信じることが出来ない。申し訳ない。認めることが出来ない。
そんな、なんとなく言えない空気の集合と同時に、気のせいだろう。かわいそうだ。気持ちがよわい人がなるものだ。そんな勝手な決めつけと誤解で、蓋をして、なかったことにする社会の空気が存在しています。
相談できる人が数人いれば、自殺の確率は極端に低下しますが、誰もが相談ができる状態にあるわけではありません。
日記を書くのも良いそうです。
しかし、日記を書くという行為は、習慣のない人からすると、思ったよりも重労働。そもそも、自分の気持ちを言葉にするのだって、とても大変なことです。


セルフリフレクションとオープンモノローグ

はじめに議論したのは、「気持ちを誰かに聞いてもらうこと」よりも、ずっとハードルの低い行為で、まずは自分のこころを眺めてもらうにはどうすればいいだろうか。ということでした。
そして、言葉にしてみたり、色にしてみたり、あるいは音にしてみたり。そんな行為を通じて、なんとなく自分の心の感触を確かめてみることをサポートするような仕組みが作れないか。と私たちは考えました。
そこで、セルフリフレクションという考え方を取り入れて、議論が進みました。セルフリフレクションは、自分自身の状態や心境、行動を、自分との対話を通じて、なるべく客観的に捉え直してみる営為を指します。
この内省を手助けするために、いくつかの言語的、非言語的な回答を求める質問や、他人から「いいね」などで評価されるプレッシャー、あるいは評価されないこと=無視される痛みを心配せずに、自由に言葉を紡いで行ける空間をつくる構想が出来上がってきました。
ただし、ずっと内省するだけでは、周りを見渡し、あたらしい選択肢を見つけ出すことにつながりません。
他の誰かと、場を共有すること。
しかし、言葉でやりとりしたり、評価し合う必要もない。ただ互いの存在を感じながら、みんなの真ん中に何か共有できるものがある。
その共有された場を通して、互いに反応しあえる状態が望ましい。
「それって、焚き火なんじゃないか。」
これが焚き火アプリという方向に決まった経緯でした。
オープンダイアローグという統合失調症の治療にも効果をあげている手法が存在します。
Yes/Noで回答可能な医師-患者間の一方向的な質問ではなく、その場にいる人間が全員参加し、自由な発言を傾聴し、対話を続けるというものです。
実際に専門家を交えて、対面し、信頼のおける人たちとの間で行うことができれば良いのですが、私たちはオンラインで、なるべく参加のハードルを下げて、対話や自己認識のきっかけを作ることを志向しているため、採用しづらい面がありました。
焚き火は、火を囲むという行為を全員で共有しながら、薪を入れたり、音楽を演奏したり、何かを焼いたり、食べたり、星を眺めたり、各々が緩やかな繋がりとコミュニケーションを持続することができる体験です。
火をじっと見つめて、内省に耽った経験がある方も多いのではないでしょうか。
自分の状態を言葉にする、その言葉は、日記のように残らず、焚火にくべられた紙のようにすぐに煙になってなくなる。
だから、まとまっていなくても、支離滅裂でも構わない。誰かに見られることもない。ただ、誰かが言葉をくべて、火が小さくならないようにしてくれた。ということだけはわかる。
行き場のない気持ちを持ってきた人がいるということだけがわかる。
だから、音や色を使って、抽象的なコミュニケーションをとってみる。
そんなオープンダイアローグならぬ、オープンモノローグが焚き火なら可能だと感じました。
全ての発信は、すぐに燃えて消えてしまうけれど、火は大きくなり、そこには熱や光がしっかり残ります。

見えないものを、確かめる。

行政や関連団体の方々が、日々さまざまな方法で、心の問題に取り組まれています。
既にさまざまな調査がありますが、この複雑で言葉にならない、込み入った気持ちを、今までとは違うかたちで可視化することで、Takibitoが何かの役に立てないだろうか。
具体的な検討はこれからも進めていきますが、セルフリフレクションをお手伝いするために、非言語的な表現の機会や、選択の機会、キーワード間の関係性や、音の使われる文脈などを、匿名性を完全に担保して、一見無関係なデータ同士を星座のようにつなぎ合わせる試みを検討しています。
誰かの燃やした言葉が、他の誰かを救ったり、他の誰かの行動や、社会全体の気づきのきっかけになっていけば、この焚き火はもっと大きく、闇夜を照らす明かりになるのではないかと考えています。
ただまずは、一歩ずつ、ひとりでも誰かのこころを照らす火になれれば幸いです。
【Takibito】は、非営利での開発と活動を行なっていくために、クラウドファンディングを行なっています。
プロジェクトのさらなる発展のために、一人でも多くの応援してくださる方を求めています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
https://motion-gallery.net/projects/takibini

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