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「副業解禁」が解放するもの(1)〜全てを背負うから、すベて委ねて〜

世間で最近、解禁されつつあるものと言えば、会社員の副業です。似たようなものとして”闇営業”も世間を騒がせていますが、こちらは解禁どころか、厳に慎まなければならないようです。少し似たところもなくはない気がしますけど。

副業について、考えてみたいと思います。でも、「こんな美味しい案件がある」とか「楽して稼げる」と言った類の話は一切出てきません。残念ながらぼくにはそんなうまい話を皆さんに提供するだけの甲斐性はありません。すいません。

でも、副業を題材として、日本の雇用の仕組みについて理解し、考えることは、働く一人ひとりにとって、意味があることだと思っています。日本で暮らし、働いていると、多かれ少なかれ、皆さん日本の雇用の仕組みに影響を受けます。その仕組みや仕掛けを理解することが、皆さんの生活にわずかばかりでも良い影響をもたらしてくれたら、そんな気持ちを(勝手に)持っています。

それでは、最初のスライドです。まず、ざっと、こちらのスライドに目を通してください。いわゆる日本的経営における日本の雇用の仕組みをデフォルメして絵にしてみました。ここを入り口に、副業について、話していきたいと思います。ざっと眺めるだけで良いです。静かな海でも眺めるように。

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「全てを背負うから、全て委ねて」モデル、それはわたし色に染めること

「会社員は副業禁止」のイメージがあります。

「副業」をインターネットで検索すると、「会社にバレずに」という結果が目につきます。会社員は本業に専念するもの、副業はやってはいけないもの、仮にやったとしても、隠れてやるもの、と言うのが今までの世間の常識的な受け止めだったと思います。

そうした受け止めが一般的となった背景には、戦前戦後から続く日本の雇用の仕組みが影響しています。ある日、突然そうなった訳ではなく、戦争なども含めたいくつもの理由が折り重なって、出来上がりました。

会社は社員の人生の全てに責任を負う。だから、社員にもすべてを会社に委ねることを求め、社員もそれを受け入れて生きる、という構図です。名付けて、「全てを背負うから、すべて委ねて」モデル。

会社は、社員の人生に責任を持ちます。雇用の安定、ライフステージに即した賃金のアップ、さらには保険や年金と言った福利厚生から、時には、結婚相手の斡旋まで…。会社は多大な労力とコストをかけて、社員の人生を背負ってきました。そして、その分だけ、社員に広く、深く求めもする。つまり、わたし色に染めるのです。

では、何を求めるのか?

それは全人格的な会社への忠誠や貢献です。精一杯仕事に取り組み、成果をあげるのはもちろん、時に、会社の都合を個人の事情よりも当然のように優先し、場合によっては、会社の都合を社会のルールよりも優先することです。

例えば、本人の意思や家族の事情を十分に踏まえて転勤や出向を決めている会社は少なかったと思いますし、今でも少ないでしょう。「お家を買ったら転勤」と言った都市伝説的噂すらあります。そんなことをして、会社にとって何のメリットがあるのか不明ですが、そんな話しを身近に聞いたことがある方も多いと思います。

本人の同意のない配置転換の是非については、裁判でも数多く争われ、配置転換を拒否した社員の解雇を相当としたケースもあります。社会的にも、会社が社員に対して大きな責任を負っているのだから、その分だけ社員もそれに応じることが当然とも考えられてきました。

また、サービス残業という良く考えると謎の言葉が良くも悪くも一般化しているように、素朴に考えると社会のルールから外れた行為(働いてるのに給料払わないってどんだけ?)であっても、そこに疑問を持つよりも、会社の言った通りに、周りのみんながやっている通りに、素直に仕事に向き合うことが好まれる時代が続いてきました。

それが行き過ぎると、会社のために自らが不正や犯罪行為に走ると言ったケースすら出てきます。自分が犯罪行為に手を染めてでも、会社を守る、というのは側から見ると滑稽にすら見えますが、(実は、会社を守るに名を借りて、自分を守っているという面もあるでしょうし)、そこにある種の決然さというか潔さを感じる人もいると思います。

滑稽といえば、過去には、証拠隠滅のために、検査官の前で書類を食べた銀行員がいるという噂が流れたこともありますが、これって横山秀夫さんの「64(NHKドラマ版)」で追い詰められた容疑者がとった行動と全く一緒で、もはや事実は小説よりも奇なり、の世界に至っています。

「全てを背負うから、すべて委ねて」モデルには、社員が過剰な負担や我慢を強いられる面が確かにあります。しかし、社員の側もまたそれを受け入れてきました。なぜか?そこには、自分が頑張れば、会社も良くなる。会社が良くなれば自分の暮らしも良くなる。会社の言う通りにしておけば、見捨てられることはない(だろう)。悪いようにはしない、悪いようにはされない(だろう)、と言う前提が暗黙ではあっても、現実感のある事実として存在していたからです。

2000年前後でしょうか?リストラ、という言葉が人員削減として用いられ始めた頃です。当時、日本経営者連盟(日経連)の会長だったトヨタ自動車の奥田碩会長が、文藝春秋に「経営者よ、首切りするなら、腹を切れ」と題した論文を寄稿しました。一つの文章に首切りと腹切りと強烈な言葉を二つも入れる。普通であれば、センスを疑われかねないこの表題ですが、経営者は従業員とその家族の全人生を背負っているという責任感と、だからそれを安易に反故にしてはいけないという倫理観がこの激烈な一文を生み出したのかもしれません。

そんな時代。会社が社員の人生を半ば保障してきた時代に、副業が議論される余地など当然ありませんでした。そんな寄り道、脱線、をするよりも、脇目もふらずに目の前の仕事を頑張ることが、会社から求められたことでしたから。そして、それに応えることが、会社員の務めでした。その関係性が世の中の当たり前だったのです。

しかし、実は、この「全てを背負うから、すべて委ねて」モデルの成立には条件がありました。それは「全てを背負う」ことから生まれるメリットが、「それにかかるコスト」を上回り続けることです。ここから生まれるメリットというのは、会社の競争力です。

その条件が成立しなくなった時、会社がとる対応は二つあります。一つは、その条件が成立するフィールドへと移動すること、もう一つは、モデルを書き換えることです。

しかし、残念ながら、多くの日本の企業はどちらも十分に実現できませんでした。

副業の話から少し離れていきました。でも、ご安心ください。これは、副業解禁が「解放するもの」についてのお話です。いくつかの回に分かれていきますが、最後には、何が解放されるのか、そして、何を理解しておいた方が良いのか、ちゃんとわかるようにしていきたいと思います。

ということで、今日の分はここでおしまいとなります。

(1)のまとめ

・ 副業はずっと「隠れてやるもの」と受け止められてきた。
・ その背景には「全てを背負うから、すべて委ねて」という日本の雇用の
     仕組みがあった。
・ 全てを背負うことも、すべて委ねることも大変なことではあるが、それに
  よって会社のために頑張れが、間違いなく報われるという世界が実現され
     てもいた。
・ しかし、会社が全てを背負うことのメリットがそのコストを上回るという
  前提条件が崩れてからも、戦うエリアを変えたり、モデルを書き換えた
 り、ということが十分には実現できないままでいる。

このまま続きを読まれる方は下のリンク先からどうぞ。

(2)もしもあなたの副業が会社にバレたら
(3)副業って三方よし?
(4)失われたフィット、内側から崩れたモデル
(5)下ろした荷物

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*本記事中のスライドにはicooon-monoさまのアイコン、フキダシデザインさまの吹き出しを使用させていただいております。ありがとうございます。

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