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絵をかくべきはだれか

 伝える方がかくは間違いです。コミュニケーションととらえれば情報を受け取る側がかく方が効率的です。

認知から考える

認知と運動

 ヒトが何かを理解する。対象が記憶にあることが必要です。
 リンゴを以前見た。そして記憶がある。なので次にリンゴを見ればそれをリンゴと認識できます。
 初めてみた時はどうなるのか。記憶する、覚えるとは複数の既知の知識を組み合わせることです。
 赤くて丸いもの。リンゴという名前。この二つが同じものであること。この3点がまとまったものが新しく記憶される。これが知識です。
 三重苦のヘレン・ケラーが、耳が不自由になる前に聞いた「ウォーター」という音と冷たい液体が一緒であるとサリバン先生から教わった時。言葉という概念に思い当たり知識化。その後は学習が一気に進んだというのは有名な話ですね。

理解するのは受け手の問題

理解は受け手の問題

 情報を理解できるかどうか。これは受け手側の問題となります。
 確かにわかりにくい言い回し、図解はあります。それを何とかしたいというのもわかります。
 コミュニケーションの根本の問題。これは受け手に知識があるかどうか。これにかかっています。わかりやすい言い回しを使ったとしても。わかりやすい図解をしたとしても。受け手が理解しなければなんにもなりません。

受け手のフィードバックが必要

フィードバックで伝わったかがわかる

 送り手は相手からのフィードバックにより伝わったかどうかを確認できます。
 単なるオウム返しでは本当に理解しているかどうかはわかりません。受け手は自分が如何に理解したのか。それを伝えるとより良いでしょう。
 リンゴの例で言えば「手のひらに乗る大きさの赤くて丸いものをリンゴと言うことがわかりました」みたいな感じですね。

つまり絵を描くのは受け手

 つまるところ絵を描くのは情報の受け手である。これが私の思うところです。
 絵を上手にかきたい、良い図解をしたい。それは単なる自己顕示欲ではないのか。コミュニケーションの観点で言えば大事なのはフィードバックをしてもらうこと。受け手がかく。これが結論だと思っています。
 ではグラフィックレコーディングとは一体何なのか。ビジュアルファシリテーションでかくという行為は一体何なのか。これらを行うビジュアルプラクティショナとは一体何者なのか

代理でかくのがビジュアルプラクティショナ

受け手の代理であるビジュアルプラクティショナがかく

 かかない人に成り代わってかく。これがビジュアルプラクティショナの役割だと思っています。
 グラフィックレコーディングとはどういうことか。大勢の人が模造紙に群がってかくというのは現実的ではない。そのため参加者の代表としてかく。これがグラフィックレコーダーの仕事だと思っています。
 ビジュアルファシリテーションでも同様です。参加者の発言を聴いている人が全員メモをするとそちらにエネルギーがとられてしまいます。ファシリテーターが自ら代表してかく。これで参加者は理解すること考えることに集中できます。

まとめ

 絵をかくべきは情報を受け取る方の人です。送り手へのフィードバックとしてかくのが良いです。

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