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『ゴジラ』にも登場したアルミニウム彫刻の秘密 ―特撮美術監督・井上泰幸の素顔 第一回

私たち株式会社バリュープラスは、「ゴジラ」シリーズをはじめとする特撮映画の美術監督として活躍した井上泰幸氏の個展「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」(2022年/東京都現代美術館)に協力し、膨大な図面やデザイン画のアーカイブを行いました。

本記事では、井上氏の姪で、遺族を代表して井上氏の足跡を後世に伝える活動をしている東郷登代美さんにお話を伺いました。

第一回は、井上泰幸氏の妻であるアルミニウム彫刻家・井上玲子氏についてのお話です。


―まず、東郷さんは特撮美術監督・井上泰幸さんとはどのようなご関係なのでしょうか?
 
東郷登代美さん(以下:東郷) 私は井上泰幸の姪に当たります。泰幸の兄弟は8人いるのですが、叔父は7番目です。私の母が4番目なので、井上泰幸は母の弟になります。

バリュープラスのオフィスエントランスに飾られている井上玲子作のアルミニウム彫刻

―私たち株式会社バリュープラスのオフィスには、井上泰幸さんの妻・玲子さんの制作されたアルミニウム彫刻を飾らせていただいています。井上玲子さんは、どのような方だったのでしょうか?
 
東郷 井上泰幸と結婚した時点では玲子自身は美術をやっていたわけではないのですが、若いときから美術家を目指したいという気持ちがあったようです。高校時代には地元の長野県の展覧会に出品して、賞をもらったこともあったようです。成人して上京してからも美術を目指したいと思っていましたが、親の反対でその道には進めませんでした。
叔父(井上泰幸)と結婚してから「やっぱり美術をやりたい」と思い始めたようです。「一緒に美術を共にやりましょう」という手紙のやり取りが残っていたり、更に井上の日記にも、お互いに美術を目指すことで共感できた記述がありました。
玲子は高校時代から頭脳明晰で、とても綺麗な人だったと、高校の同級生が異口同音に話されていました。また性格も穏やかで、周りの人から憧れの的であり、優美な感じの人でした。

高校生時代の井上玲子

 ―井上泰幸さんと玲子さんはどのような出会いだったのでしょうか?
 
東郷 私は詳細は知らないのですが、調べてわかったことをお話しします。
まず叔父は戦争に行って片足を失ってしまうんです。片足を失った後に、北九州にある戦争傷病者たちの職業訓練所で、3年間家具職人の修業をするんですね。後に東京に出てきて木工所に勤め始めたんです。その時に近所の方が井上を見て、「あなたは家具職人で終わる人じゃない。とにかく学校に行きなさいよ」というアドバイスをしてくださって、定時制の高校を卒業し、日本大学芸術学部に入学しました。
その近所の方のご紹介で知り合ったのが玲子です。

結婚当時の井上玲子(右)と井上泰幸(左)

―玲子さんが彫刻制作を始められたのはどのようなきっかけだったのでしょうか?
 
東郷 結婚してからも、叔父は映画の撮影で忙殺され、数日間は帰ってこないのが常で、たまに帰ってきても寝るだけで、またすぐに撮影に行き、玲子は家に一人でいることが多かったのです。子どもにも恵まれず、一人で家にいながら、生け花や料理を習ったり、エッセイを習ったり、いろんなことをしているうちに、井上が撮影所で知り合った彫刻家の富樫一さんを、家に連れてくることが重なり、それがご縁で師事することになったようです。

井上玲子(撮影時期不明)

 玲子は高校時代から描いた絵のスケッチブックや、北欧風のテキスタイルなどが、たくさん残っており、その後も描き溜めていました。富樫さんと知り合った時点で玲子は三十代でしたが、富樫さんは玲子の才能を直ぐに見抜かれたんですね。そして学生に教えるようにゆっくりステップを踏んで教えるのではなく、すごく特殊な教え方をされたようです。
例えば「『赤』と聞いて何をイメージするか?イメージするものを描け」というお題を与え、トマトでもいいし、太陽でもいいし、炎でもいいし、イメージしたデザインを描くわけです。それを今度は立体的に描き、彫刻にしていく、という教え方でした。面白い教え方ですよね。何かを見て描くのではなく、「青」とか「黒」とか色という題材を出されることから始めたんだそうです。
 
―その後、作品を数多く制作することになるアルミニウムの彫刻は銀色で、赤や青というのは使われなくなりますね。
 
東郷 最初の頃の作品はとても硬い印象で、金属はアルミではないんです。富樫さん自身が力強い作品をお作りになっていたので、その影響もあるんじゃないかと思います。
今残っている作品のような玲子らしさが出てくるアルミ彫刻は、少し先になってからです。玲子は彫刻の他にエッセイとか、和歌とか、俳句や詩などを書いていたんです。生活の中で見かけた何気ないものからまず「詩でデッサン」し、それと対になる形で彫刻が作られています。

井上玲子直筆の詩「ひとりごと」

金属はアルミニウムを使うようになっていきますが、柔らかさや優しさを感じる彫刻がとても多かったです。
井上が脳梗塞で倒れた時から、玲子の作風がガラッと変わりました。その頃、「まさかこんなことが自分の身の上に起こるとは」と「真っ逆さま」を合わせて「マサカサマ」という題の詩を書いていました。日常生活の中で「まさか」という出来事が起こる。その「まさか」に玲子は「美」を見出し、作品として表現したんです。それは、不安定なバランスの悪い中に、凛とした美が込められた感じの作品でしたね。

「マサカサマ-7」(2001年)

―その時その時に気になったことや精神状態が作品に影響を与えていそうですね。
 
東郷 生活の中で感じたことを描いていており、人の心のひだに優しくふんわりと触れて、寄り添う様な作品です。
「ごきぶりのなみだ」が見えたという詩の一節がありました。忌み嫌われている虫の奥深い心の悲しみに共感して、自分を見つめているようで、とても面白い表現ですよね。

前出の画像と同じ題名だが若干内容の違う「ひとりごと」。
中盤に「ごきぶりのなみだ」という一節がある

東郷 一つ一つの作品に、生活の中で感じた日常の思いの詩があって、デッサンがあって、そして彫刻に至るという段階があるからこそ、見る人に訴えるものがあるんだろうなと思います。
 
―彫刻は大きいものも多いですよね。しかもかなりの数を作られていたようですね。
 
東郷 全部で300点は残されていました。
作品を保管する場所にも物理的な限界があります。玲子が亡くなった時に、保管しきれないものは溶かしてしまうことも考えたのですが、玲子の想いや、作品を見た時の感動を思うと、溶かす事は私には到底できなかったんですよ。少しでも1点でも、と残す思いだけしか無かったです。

―その膨大な作品の中から、バリュープラスのオフィスでは15点ほど飾らせていただいています。その経緯を改めてお話しいただけますでしょうか。
 
東郷 やはり作品を残していきたいという思いから、10年間ほどかけて日本の随所に寄贈したんです。井上の出身地である福岡県古賀市にも40数点寄贈し、更に美術館などいろいろなところに置いていただく事になりました。
2022年に東京都現代美術館で「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」が開催されていた時期に、同時進行で銀座の日本画廊で「井上玲子作品」の展示をしました。日本画廊のオーナーは、井上玲子の作品に並々ならぬ理解者で、高い評価も持ってくださっている方でした。
初めてお会いした時に「玲子先生の作品は、溶かしちゃダメよ!」と言われました。それだけの高い美術価値がある作品だと、私は改めて認識をしました。

「動き出した午後」と井上玲子。
作品は現在、バリュープラスのオフィスエントランスに飾られている。

ずっと残して置いておける場所を探していた中で、バリュープラスさんとご縁があって。こんなきれいなビルで、この場所のために作ったのではないかというくらいにぴったりでした。とても嬉しく飾られた作品が生き生きと輝いて、玲子の思いが語りかけて来る気がしました。
 
―弊社が東京都現代美術館での「井上泰幸展」をお手伝いしていた時期は、ちょうど現オフィスに移転したタイミングでした。スペースが広くなり、美術作品を置くのにぴったりではないかと。取締役と総務部長が日本画廊に下見に行き、「2~3個選ぶのかな?」と思っていたら、「全部持って行く!」と言ったので、驚きました(笑)
 
東郷 日本画廊には選りすぐりの作品を展示していました。これだけ大きな作品をたくさん飾ってくださるところは少ないです。
そして、このバリュープラスさんのオフィスが玲子の作品の全てを、待っててくれた気がするほど馴染みました。頑張って残したことが、このような大きな喜びに繋がり、最高に幸せで感謝しかありません。
 
1984年の『ゴジラ』(橋本幸治監督)の一場面にも、玲子の作品が出てくるんです。橋本監督が玲子の彫刻をご存じで「これを使いたい」と。井上泰幸が勧めたんじゃないんです。内閣の会議室のシーンで、小林桂樹さん演じる総理大臣の後ろに飾られています。

バリュープラスのオフィスに展示されている作品「す・き・ま(通りゃんせ)」と東郷さん

東郷 300点近くある彫刻を、1点でも溶かしたくない、どこかに残したいと思っています。
井上泰幸も玲子も、二人とも何でも残しておく人でした。遺品を整理する時に、4tトラック20台くらいの日用品がありましたから(笑)
「何でこんなものを残しておくのかな?」というものも多かったのですが、そういうものも泰幸は特撮美術の素材として活かしていたようです。
 
(第二回に続く)
 
取材・構成:バリュープラス アーカイヴ プロジェクト
監修協力:三池敏夫


井上玲子(1932~2010)

1932年 長野県諏訪に生まれる。
1950年 長野県立諏訪二葉高等学校卒業
1966年 平松譲、 富樫一に師事
    自由美術展初出展(以後、毎年出品)
1969年 自由美術協会会員
1970年 自由美術展佳作賞
1974年 自由美術展平和賞受賞
1975年 個展(日本画廊)
    個展(ギャラリー諏波)
    第九回現代美術選抜展(文化庁主催)
1976年 二人展(愛宕山画廊)
    第五回 神戸須磨離宮公園現代彫刻展
    エスキース優秀作品展(ギャラリーサンチカ)。
1978年 二人展(日本画廊)
    第六回 神戸須磨離宮公園現代彫刻展神戸市公園協会賞
1979年 個展(日本画廊)
    第八回現代日本彫刻展(宇部市)
1980年 第八回長野市野外彫刻賞
    第七回神戸須磨離宮公園現代彫刻展
1981年 二人展(日本画廊)
    第四回日本金属造形作家展(和光ホール)
    春雷展(横浜市民ギャラリー)
1982年 第八回神戸須磨離宮公園現代彫刻展
    エスキース優秀作品展(ギャラリー、サンチカ)
    自由美術彫部会員展(田中八重洲画廊)
    第四回玉川野外彫刻とテキスタイル展(玉川髙島屋)
1983年 第十回現代日本彫刻展
    エスキース優秀作品展(宇部)
    自由彫刻部会員展(田中八重洲画廊)
    春雷展出品(横浜市民ギャラリー)
1984年 「現代作家シリーズ 井上 玲子・ 勝呂 忠・ 深沢幸雄展」(神奈川県民ホールギャラリー)
    相模原野外彫刻展
    個展(日本画廊)
1986年 第一回炎展
    第十一回相展
    『ゴジラ』の映画の劇中に、作品が会議室のオブジェとして採用
1987年 丹沢野外彫刻展
    「平面+立体断面展」(釜山・東京)
1988年 第十一回神戸須磨離宮公園現代彫刻展招待出品
    神奈川県立近代美術館賞
    個展 (日本画廊)
1989年 KAJIMA彫刻コンペ優秀エスキース展
1990年 個展(彩林画廊)
1992年 個展(日本画廊)
1994年 広島県山県郡戸河内町戸河内インフォメーションセンター
    野外彫刻三点設置
    個展(秀友画廊・東京)
    日本金属造形作品展 ‘94
1995年 個展 (ギャラリーセンターポイント)
1996年 日本金属造形作家展‘96 (ドイツ文化会館)
1997年 個展(日本画廊)
1999年 ミキモト本店プラザ彫刻展(東京・銀座)
2000年 個展(日本画廊)
2002年 個展(東邦画廊・東京)
2004年 個展(日本画廊)
2010年7月19日死去
2011年 画廊コレクションによる井上玲子展(日本画廊)
2022年 生誕100年特撮美術監督 井上泰幸展(東京都現代美術館)
    井上玲子展(日本画廊)

『パブリックコレクション』
海老名市相模鉄道さがみ野駅前「遥」
セントラル新大阪ビル「未知への門」「誕生」
神戸市役所花時計広場「わたしと私」
全労災会館「和」
長野市茶臼山自然植物園「風よ」
千葉ボートスクエア「プリマドンナ」
秦野市文化会館前「ふたたび」
広島県戸河内インフォメーションセンター「時のながれ」
神奈川県立近代美術館「カゲボウシ」
和洋女子大学「風の詩」
第一製薬株式会社本社ビル「いのちの海」
福岡県三橋町役場「芽生え」
福岡県古賀市役所生涯学習館
福岡県古賀市「彫刻の森」に既に寄贈の50点を展示予定

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