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南米のスラムの話

パラグアイのスラムでの話。

あるプロジェクトで学校で活動していた時のこと。
現地のカウンターパート、学校の生徒とその父兄とともにサッカーコート建設のための作業を行なっていた。

35℃以上にも及ぶ真夏の炎天下での活動。子ども達は元気に走りまわっているが僕にはキツイ日差しであった。さらにそのコミュニティには多くのゴミがあちらこちらに捨ててある。学校の校庭の一角にもゴミが貯められている。暑さで異臭を放っている箇所も少なくない。

汗水を垂らしながらレンガを運びセメントをこねている中、2人の女の子が僕に近づいてきた。どうやら姉妹みたいだ。そして2人は僕にペットボトルのコーラを手渡してくれた。
わざわざ僕に買ってきてようだ。

こんなことってあるのだろうか。僕には理解し難いことであった。他のパラグアイの学校の子どもでも、日本でもこんな子どもは見ないだろう。
近くに親が来ていたわけでもない。自分たちの配慮からの行動である。

僕が活動していたそのスラムは大きな川沿いにある地域で、よく川の増水による洪水が起こる地域であり、インフラはよく整備されておらず、住民の多くは経済的に厳しい状況にある。
出自によるスティグマから仕事に就くのも容易では無い。リサイクルできるゴミを集めて換金してなんとか生活している家庭も少なくない。犯罪も頻繁に起きている。

そんなバックグラウンドまで想像すると彼女達の行動には改めて驚かされる。
一方で思うのは、そんな過酷な環境の中だからこそ、思いやりに溢れる少女に育ったのでは無いかとも思う。
そんな彼女と同じような優しい心を持つ多くのそのコミュニティ出身の人々が、そのコミュニティ出身というだけで差別やツラい思いをしていると考えると心が痛む。

実際に行って、自分の目で確かめなければわからないことはこの世にたくさん溢れている。僕は実際に自分でパラグアイに1年間滞在するという選択をし、この子達に会うことができて本当に良かったと思っている。
スラムだから、危ない地域だから、そんな言葉では形容できない。僕はこのコミュニティが好きである。

後日その学校に行った時、姉妹に再び会った。僕は持っていたお菓子をあげた。満面の笑顔を僕に見せてくれた。
その笑顔からお菓子なんかじゃお返しできないほどのパワーをもらった。

お読みいただきありがとうございます。そのお気持ちに涙が出ます。