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ちょっとだけ毒なる

喫茶店のマスターとしては、あんまりのんびり過ぎるのも困るのだけど🥺
困った困ったって言っててお客さまが増える訳でもないしね。

国の本営のお考えも相まって「地方創生」「地域活性化」はなかなかトレンドなご様子。
ここ大阪府貝塚市では市政開始80周年ってことも手伝って、イベントがちらほら催されてる。
お隣の岸和田市や泉佐野市、近隣の和泉市、泉大津市、高石市、泉南市なんかを見ても、同様の活動があるみたい。
流行りの力って舐めたらダメよってくらい強かったりもするから、上手に活用するのとてもいいよね。

前回の投稿で「そーかもね?」ってなった
「地域を盛り上げたい」
「伝統を伝えたい」
は一般化が進んじゃって、力をなくしてしまってるんじゃないか説。

その言葉を使うことや、想いを持つことは、やっぱり自然やし、とても素敵なことで、文化が全く違う他の国に暮らす人たちにも共通する社会通念ってところで、云々する必要もないくらい。
そんな共感を得やすい言葉や想いやから、使いすぎちゃうと、ちょっとかわいそう。
力がなくなっちゃう。

日本中にある地域がそれぞれに
「盛り上げたい」
「伝統を伝えたい」
を口にすればするほど、全体としてその言葉や想いに力がなくなっていっちゃうって、陥りがちなケース。
それぞれの「想い」や気持ちが美しいだけに、問題が難しいのよね。

じゃあどうしたもんかいね?ってことになるんやけど、自分の提案としては一つ目として
「想い」は続ける。
「言葉」は使わない。
のが良いんじゃないかなって。

「地域を盛り上げたい」って想うのはとても素敵。
「伝統を伝えたい」って想うのはとても素敵。
でも
「地域を盛り上げたい」って口にしない。
「伝統を伝えたい」って口にしない。
口にはしないよ、想ってはいるけどね。

それはきっとしんどい状態。
「想い」はあるのに「言葉」に出来ないって状態。
この状態。
大人になった人なら、だいたいもうみんな知ってる。
アオハルやった時の、あの時に似てる。
好きな子に想いはあるのに、伝えられなかったことに似てる。

わざわざしんどい状態にしてなんになるの?
って思う人が多いかも知れないけど、この「アオハル縛り」をすることで、過去の自分から色んなヒントをもらえたりする。

なんでも簡単じゃなかったアオハル時代は、黒歴史にしたい失敗がたくさんあるけど、一生懸命な悩みや工夫、挑戦が、そこにはあったからね。

「地域を盛り上げたい」
「伝統を伝えたい」
に青春時代くらい悩んで吐き出した「想い」があるなら、それを「言葉」にする意味はある。
その「言葉」は、どこの場所にでも当てはまる言葉ではない言葉になってて、そしてその言葉には確かな「個性」がある。
確かな「個性」があるから、際立つ「力」がある。
もしいま「力」がいまいち出ないなら、それは「個性」が少ないのかも知れないね。
簡単に済まそうとしちゃってるのかも。
ちょっと賢くなり過ぎちゃってるかも。

たくさんあった活動の一つとしてシレっと消えてくことを由としないのであれば「アオハル縛り」をしてみて、昔の自分みたいにいっぱい考えて、工夫してみるの、もしかしたら必要なことなんじゃないですかね。

「地域を盛り上げたい」
「伝統を伝えたい」
って言葉を使わないで、その目的に向かって進んでる活動があったら、僕はすごい刺激をもらえる気がするんです。

葉っぱを売ったじいちゃんばあちゃんたちは、そんな言葉を使ってなかったしね。
結果、地域が盛り上がった。

因果の関係を見直してみるの、きっと大切。

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